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始発に乗って
落莫たる時間を彷徨って見つけた真理はプラスチックで出来ていてどのデパートにも並んでる広告にも似ていた。けれど皆んなは気にしない流行に倫理観や道徳心が犯されていても。まさに愉しみながら死んでいく時代。今は全てがエンターテイメントになりえどんな些事にも広告が添えられている。そして「アパシー」にさえ知らない誰かの関心は向けられる。例えそれが彼の死ぬる程の苦しみで構成されていても。TwitterでYouTubeでFacebookでイイねされながら死んでいく。頭の中に埋められた種にばかり栄養を取られて、本当のことは金持ちにしか教えられず俺たちの話題は天気に支配され時間は単価数千円で売買されミイラになるまでミイラを取り続けはみ出せば生きることさえ否定される始末。あゝ何て退屈なのかしら。さあこの人生どのチャンネルに埋められようか。 俺はきっと時間が在る限り怠けるだろう
始発に乗って ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 940.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-16
コメント日時 2018-05-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
〈落莫たる時間を彷徨って見つけた真理はプラスチックで出来ていてどのデパートにも並んでる広告にも似ていた。〉と〈俺はきっと時間が在る限り怠けるだろう〉このフレーズに挟まれた、現代の寸評。〈頭の中に埋められた種〉は面白い視点です。その種が「多すぎる」ゆえに、芽吹かせることができないのか。そのことが、結局は「何もしない」「何も出来ない」まま、日々を浪費、蕩尽していくことへの「もどかしさ」へと繋がっていく、のか・・・。例示されていくエピソードが、身近で共感を得るものである分、もっと独自の、ユニークな視点を持ち込んでほしいという思いも残りました。 アパシー、久しぶりに聞いたと思いつつ・・・何もする気が起きない、喚起されない、感情が平坦に伸ばされてしまって、ある種の麻痺感覚を受けている、そんなイメージでしょうか。それが〈死ぬる程の苦しみ〉である、として・・・彼、の苦しみへの共感なのか、俺、の生き方、在り方の対峙、なのか・・・俺たち、という「語り手」も登場しますね。俺、の視点と、皆、彼、そして俺たち、次々に投入される主語を見ていると、俺の葛藤であると同時に、俺たち、皆への憤りや諦念を生け捕りにしたい(でも、うまくいかない)という作者の姿勢が見えるような気がしました。
0まだまだ未熟、勉強が足りないことを理解しました。ありがとうございます。
0こんばんは。 さまよったあげくにようやく見つけた真理が、割と単純で、ひとに話したら「うん、そうだね」みたいに、特に感動もない返事で済まされてしまうこと、稀ではないと思います。とは思うものの、見つけた本人にしかわからない重さというのがあるんじゃないかと思います。多さにまぎれるとそれすら流されてしまうこともあるだろうけど。 というのはおいておくとして、超高度な情報社会と大衆消費が結びついた現代とあっては、欲望も病理もカルチャーセンターの講義内容になったり書店に平積みされて娯楽になってしまってしまう、そのくせ、「平成○○年に流行した云々」のように、過去のこととして切り捨てられる嫌みなところが大いにありますね。 企業はモノよりも価値観やステイタスなどといった欲求を駆り立てることを先んじて流通させようとするので、なんでも揃っているので、その飽和によってつねに渇いていて退屈してしまう。朝からウンザリすることはよくあります。その疲弊を現わせていると思います。私も怠けていたいものです。
0批評ありがとうございます。今後はこんな青い物言いみたいなものは書くのを控えようと思います。
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