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歩幅の成り立ちについて
一歩踏みだしたその足が ぬかるんだ泥の上についた足跡 が乾いて固まったものであった時 それは足跡になって 私を見たいと思う人たちの静かな様式になって行く テレッ 降る雨が冴えたように感じられない日
歩幅の成り立ちについて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 995.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-15
コメント日時 2018-05-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
『テレッ』のスリップ感がとても好ましかったです。投稿有難う御座います。
0私だけかもしれませんが透明人間が歩いたみたいに足跡が一つずつ増えていく映像が目に浮かびました。 なので、私が思うに作中の「私」は透明で、一歩ずつ足跡だけが残されていくけれども、足にはしっかり泥がついて、乾いてこびりついているのかな、と想像しました。 テレッ なぜか、他に何もかかれていないのに靴がすべって重心がずれたあの感覚がまざまざよみがえりました。 ……もしくは、「私」はそこにはもういなくて、足跡が物語る「私」だけがそこにあるのかもしれないですね。その一つに、どう見たって足が滑ったような足跡もあって。もちろんその時は雨が降っていたけれど、とっくのとうに雨は上がって乾いてしまっていて。 だとしたら冴えない雨が降っていたけれど実はもうからっと乾いてしまっているという時間の倒置が、なんだか妙にスカッとするような気持ちがしました。
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