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ラブ・ラプソディ 【後編】
「あっ、あなたおかえりなさいね
ラブ・ラプソディ 【後編】 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1282.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-14
コメント日時 2018-06-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
うわっ、1行当たりの文字数上限ミスったか
0前編 ↓ http://breview.main.jp/keijiban/index.php 環境依存文字(
0前編のURL間違っていた→http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1768 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この「ラブ・ラプソディ」ですが、オリジナルVersion、B-REVIEW Version、文学極道Version、の3種理があります。 オリジナルVersionは上記のWordのスクショです。 B-REVIEWは1投稿につき上限3000字という制限があるため前編と後編に分け、また後編の最終行を削除して文字数を調整しています。 B-REVIEWではハートが色付きになるためオリジナルVersionよりさらに理想に近かったのですが、見てもらえればわかるよう、環境依存文字のハートが全角1マスより大きいということに気づかなかったミスで表示がひどいことになってしまいました。 文学極道Versionはこちらです→http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=10445#20180514_322_10445p 文学極道の場合環境依存文字が殆ど使えず、例えばハートは「
0細かいけど訂正 『例えばハートは「#128151;」、バックスラッシュ(斜め線)は「#9586;」と文字化けしてしまうので、』
0こんにちは。愉快でした。迂闊にも一人の部屋で笑ってしまった。いや、楽しい。 「前編」の冒頭からの運びは、特撮モノの変身シーンや“前回までのまとめ”にさしはさまれるナレーションのような感じで、頭のなかで音声として入ってきて楽しめました。主人公としてはショックな出来事なのだろうけど、読んでる側としては同情しながらもユーモラスに感じました。《!》を含めた語り口の効果でしょう。 「後編」は、昔、ねじめ正一がやっていたお茶の間劇のような喧しい印象でしたが、前編・後編合わせて読むと、これは派手は派手な展開ながら、哀しいイキモノね、と思うところもあり、表現上の派手さと内容のギャップとで、余計ユーモラスに感じました。さしずめヒューマン(?)コメディといった感じとでもいうか。 全体の展開としても、アクセントがはっきりあって、総じて痛快エンターテイメント詩だと感じました。
0オリジナルVersionの画像に一部不要な線が混じっていたため訂正版を再掲 ↓ https://imgur.com/a/azYoS0q ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 藤一紀さん この詩はQUEENの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」(https://www.youtube.com/watch?v=fJ9rUzIMcZQ)に影響を受けて書いたものです。 この曲を私は最近初めてちゃんと聞きまして、そして大きな衝撃を受けました。 ラプソディは「狂詩曲」と訳され、Wikipediaをそのまま引用すれば「自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲。異なる曲調をメドレーのようにつなげたり、既成のメロディを引用したりすることが多い」のが特徴です。ボヘミアン・ラプソディも一曲のなかでアカペラ→バラード→オペラ→ハードロック→バラードと曲調が変わっていきます。 詩でこういったラプソディ形式のもの、一作品のなかで形式やテンションが目まぐるしく変わるものって私は知らないなと思って書いたのがこれです。 なので各ブロックがそれぞれに特徴を持つよう気を配って書きました。 冒頭のは筋肉少女帯の「これでいいのだ」(https://www.youtube.com/watch?v=z7rBqU7st_E)という曲を念頭に置いて書いていましたね。
0毎度投稿有難う御座います。Queenのボヘミアンラプソディはオペラに対するパロディだと思っているのですが、本作もパロディ色が出ていて面白かったです。祝儀敷さんってやっぱパロディをやらせると上手いと思う。また、なんといいますか、最近の祝さんの日常の鬱憤みたいなものがさく裂していて、それが倒錯な昇華となり本作を詩にしている気がしました。
0三浦さん パロディに必要不可欠なのは元ネタへのリスペクトです。替え歌で有名な嘉門達夫は必ず歌手は作詞作曲家のところへ出向いて直接許可をもらってからネタにしているそうです。パロディはその内に必ず笑いを内包していますが、そもそも笑いというのが真面目にやらなければ成立しないものです。ふざけた内容でもふざけてそれを行ったら絶対に面白くならない。カラオケで嘉門達夫を歌うとしてもふざけて歌ってはいけない。 「最近の祝さんの日常の鬱憤みたいなものがさく裂していて」 見透かされているなとタジタジです。通り魔をやるかわりに詩の中の人々の人生を翻弄して鬱憤晴らしをします。
0花緒さん 遅ればせながら。選評(http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1895)でとりあげられていたから読み返してみたら気づいた感じです。 掲示板のデザインが変わって、まだすこしオリジナルの体裁とは異なってしまっているがでも前のようひどい表示にはならなくなりましたね。 「AI<生身の人間、という価値観が前提条件」とは書きたくなかったわけですが、そう見えてしまったというなら作品側の不備でしょう。その価値観ならば詩中主体は悩まないわけでして。
0ちな、朗読動画これです https://www.youtube.com/watch?v=gP7z616ZaScfeature=youtu.be 諸事情あって文学極道Version(http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=578;uniqid=20180514_322_10445p#20180514_322_10445p)で作ったからこっちに貼ってなかったです
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