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病み上がり
死ぬことと婚約者の居る人間の持つ空間は同じ時空に存在できるのか。闇が問いただす。なるべく小さな明かりが流行りのようで間抜けな歌で溢れてた。語られる美しい美しい恋愛模様から退屈な苛立ちまで丁度ジョンレノンとカートコバーンが居てめちゃくちゃカッコイイんだ。俺はいつしか自分もその一人になれるんではないかと勘違いして阿呆みたいなことをポツポツと書くだけで生活したい。だからイスラエルの精神病院に入れてくれ。やっと人間らしくコーヒーが飲める。もしそんなソファにもたられてる生活が続いたら飽きてしまうんだろうか。人の声も。物音一つ聞こえない。自分だけの空間だから。話題が反響する。眠気と情熱と自堕落と抱き合わせたような人生。溜息しかでない。どうか死に方を教えて欲しい。神の息子みたいな苦難も奇跡も要らないから退屈な日常を返して。それこそ自分を判断する機会。退屈だと首を吊ってもいい。誰かがまだ泣くのなら。待ち合わせた教会で。マフィアに追われた売人みたいな終わり。親友を殺せるかまで迫られる。その瀬戸際俺がつまらない冗談を言おうとしよう。君は決して振り向かないし、笑わない。つまらないとさえ言わないかも知れない。でも本物が分かってくれれば十分。知らない人のサインなんかいらない。
病み上がり ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 968.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-03
コメント日時 2018-05-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
それぞれロック的なアイコンとして頂点を極めた感のある二人の名が出てくる。彼らには、共に揃って語られるべき女性がいたことも、多分偶然じゃないんだろうなと思って読んでみた。1960年代くらいから、ロックは同じことしか言ってない。そう独断すると、この作品で述べられていることも、1960〜2000年の間に発表されたロック作品を15、6枚ピックして、それらの中の歌詞をコラージュしたもののように見えてくる。聞いたら見たりしたその場ではえらく共感できるけど、翌日からの現実が適応を迫ってくる。「マフィアに終われた売人」のことは映画でしか知らない。ロック的なものをコラージュしたように見えるし、事実その通りなのかもしれない。だとすると、この作品はどこに照準を合わせて作られたものなんだろう?そこが僕には不分明だった。 「神の息子みたいな苦難も奇跡も要らないから退屈な日常を返して」。キリストの死と復活のことだろうか?試しにジョンレノンとカートコバーンとジーザスとで画像検索してみると、両名を神になぞらえた(んだろうと思われる)画像が散見された。両名は間違いなく死に続けているし、キリストもまた同じだろうけど、人々の口伝の中で生き続け、拡散し、再解釈され続けるあたり、頂点を極めたロックスターは、ゴルゴダの丘に赴くことでその人生が完結するシステムでもあったのかと訝りたくなる。彼らの熱心なファンひとりひとりの振る舞いが彼らを死に向かわせたとすると、誰かがこれは虚像やぞと言わなければいけなかったのかなあ。ジョンレノンは他殺らしいけど。 ここまで余談だしここからも余談だけど、アメリカで発売される楽曲の5割くらいはヒップホップらしい。ロックは主役の座をすっかり奪われてしまったとか。ロックの神話も潰えた今、この間、スリップノットのボーカルの人が自殺したらしいけど、熱心なコミュニティ以外で話題になっていない感があるのは、皆ほかの話題に興味があるか、己の情報発信に勤しんでいるせいかもしれない。
0批評ありがとうございます。これは特に何も考えずに書きました。以上
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