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E# minor
彼女の瞳がまるでヤクをキメてる人みたいにギラギラと輝いていて、僕は嫌悪した。思わず目を逸らして電車の窓を覗いたら外はもうずっと真っ暗で、様々な色の窓や部屋がふわふわと宇宙に浮かんでいるようでとても美しいと思った。そのどれか一つだけを選んでカーテンを開けたら、彼女と僕は二人だけの狭くて広い世界に閉じこもるはずだったけど、そんな陶酔はこの世には存在しなくて、ただザラザラとした苦い後悔だけが喉に詰まって口の中が砂利の味で一杯になったような気がした。暖かい気持ちは全部冷えた夜の空気に溶け出してしまって、空気がひたすら薄かった。 電車を降りたその駅は森のような公園に繋がっていて、沢山の4本足の人たちが、独り言を囁きながら闇の中に消えていくその光景を僕はとても美しいと思った。池の周りをゆっくりと歩きながら彼女は何かしら昨日の続きの話をしていたように思うけど、何もかもが取り返しがつかないほど醜くなってしまっていることに彼女はまるで無頓着で、左手で僕の右手を優しそうに撫でていた。僕は彼女をゆっくりと握り返してその手の骨の数を数える。手首に8個の手根骨。掌の部分は肉の中に中手骨が手首から指にむけてバラバラに4本。その先の5本の指はそれぞれ3本ずつ指骨が間接で繋がっている。その28個の骨のうちのどれを探っても空っぽな手触りしかなかった。 僕の5本の指はどれも彼女の指よりも少しだけ小さくて、どの指も寒さに震えて縮こまっていたのに、彼女の餓えた28個の骨はどの一本も僕を解放してくれないで、ペットを愛でるようにしていつまでも僕の手を慈しんでいたし、暗闇の中で彼女の瞳は一層不気味に潤っていて、なんであの日、僕はこの瞳をあんなにも美しいと思ったのかすっかり思い出せなくなっていた。やっぱり目を逸らしたくなって目を上げたら、池の上のボートはどれも岸に繋がれていて、静かに揺れているのが沢山の水死体に見えてどれも醜い。 「私も好きです」 僕が送ったメールに彼女がくれたこの間の返信を、何度も何度も頭の中で読み返した。もうあの時には、口の中に砂利の味が広がり始めていたのをはっきり思い出した。それは鉄の味にとてもよく似ている。
E# minor ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1174.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-01
コメント日時 2018-06-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
修正です。 修正前: 手首に8個の手根骨。掌の部分は肉の中に中手骨が手首から指にむけてバラバラに4本。その先の5本の指はそれぞれ3本ずつ指骨が間接で繋がっている。その28個の骨のうちのどれを探っても空っぽな手触りしかなかった。 修正後: 手首に8個の手根骨。掌の部分は肉の中に中手骨が手首から指にむけてバラバラに4本。その先の4本の指はそれぞれ3本ずつ指骨が間接で繋がっている。親指の根元の指骨は手首の手根骨の一つから大きく反り出すように付いていて、その先にさらに指骨が2本。全部で28個の骨のうちのどれを探っても空っぽな手触りしかなかった。 --- 以上読み替えてください。
0あ、あと28個じゃなくて27個の間違いです。
0この詩は語単位のレベルで連想が広がっていくというよりは、どちらかと言えば各文章がそれぞれで成立していてその単位で連想が広がっていくような形式になっていて、鑑賞の形式としては一語一語に拘泥していくよりもむしろ流れるように読んでいく方が良いのかもしれないと感じました。 そうした観点から文章ごとに何が示されているのかということに注目すると、例えば一連目における各文の内容は、「僕は嫌悪した」「ザラザラとした苦い後悔だけが」という近接している嫌悪すべきものと、「とても美しいと思った」「暖かい気持ちは全部冷えた夜の空気に溶け出して」という遠隔している愛好すべきものとの対比が描かれていることが読み取れます。この対比は二連目以降も続いていて「闇の中に消えていくその光景を僕はとても美しいと思った」という一文と「何もかもが取り返しがつかないほど醜くなってしまっていることに彼女はまるで無頓着で」という一文との対比は同様の比較の内に成りたっていると言うことができ、更にここで「電車を降りたその駅は」という形で日常的な現在の移動が描かれることによって、ますますその対比が過去と現在との対比としても際立っているように感じられました。そして三連目では一気にその内の「近接したもの」に注目が向かっていき(そこで見られているのは「僕の5本の指」であり「彼女の餓えた28個の骨」であり、そして「彼女の瞳」です)その嫌悪の感覚はその次の箇所で「私も好きです」というメッセージのあった過去へと一気に延長され、この嫌悪感はここで拡大されて強く感じられるようになっています。ここでは過去からその嫌悪感が続いていたかどうかの確からしさは検証しようがありませんが、その現在的な嫌悪感が今まで対比された過去にまで侵食していく様子がその嫌悪感の強さを示すことに繋がっているようで、この詩においてのその感情をより強く示すことに役立っていると感じました。 興味深いのは、こうした対比が「ふわふわと宇宙に浮かんでいる」「空気に溶け出してしまって」という淡い気体のようなイメージと「砂利の味」「骨」「鉄の味」という固体のイメージによっても対比されているということ、そしてその固体のイメージは水死体や骨のイメージと結びつくことで腐敗していく二人の醜さ、つまり老いへと向かっていくことへと結びつけられていて、それは「あの日」と比べる現在という形で意識されてもいるということです。つまり淡い気体のように理想的だった二人の関係や「あの日」の記憶が、今の肉体的な老いや性的な肉体関係が発生したことによって醜いものとして訂正されてしまったということがここから理解できるように感じました。また、こうした一連の関係が時空間の流れに沿って自然に示されていくというのが一つの技術であるように感じました。 しかし私が一方で疑問を覚えたのは、ここでの「僕」のやや受動的な(と形容すべきか少し怪しいのですが)傾向にある姿勢です。「僕」はただこのような醜さを感じさせている「彼女」に対しての苛立ちを全体において反復していて、その感情の原因をすぐに解決しようというような意欲は表象されていないように思います。もちろん、彼が「彼女と別れた男」なのだとすれば改善の意識に欠けている訳ではないので単に受動的な態度だとは言えないかと思いますが、とはいえこの詩は現実への肯定感に包まれているわけでは決してなく、一つの可能性としては鑑賞者がただ増幅された相手への嫌悪感ばかりを受け取ってしまい、厭世的な感情へと陥らせてしまうこともあるかと思いました。そのため、私はこの詩において、このようなやや否定的な傾向にある感情を描写することによって何を目的としたのかということが気になりました(とはいえもしかしたら、私が肯定的な部分を見逃してしまっているだけかもしれないので、そうでしたら後学のためにもご指摘頂けると幸いです……)。
0花緒さん コメントありがとうございます!<美しい、醜い、という直裁なワードを使わないで同じことができたらもっと作品の高級感が高まったとは思う>とのご指摘、確かにそうかもしれないですね。こちらこそ勉強になりました!
0日下ゆうみ コメントとそしてとても鋭い読解ありがとうございます!文章のテクニカルな側面のおいて私がやろうとしていたことはほとんど日下さんのご指摘くださった通りで、その読解の鋭さに舌を巻きました。 <しかし私が一方で疑問を覚えたのは、ここでの「僕」のやや受動的な(と形容すべきか少し怪しいのですが)傾向にある姿勢です。> そうですね。これは私の他の散文作品に共通していえることなんですが、他者との関係においてとにかく受動的な姿勢のものがとても多いです。それは私自身が特に人間関係(特に男女関係においては)わりと受動的な性格だからなのかもしれません。 <「僕」はただこのような醜さを感じさせている「彼女」に対しての苛立ちを全体において反復していて、その感情の原因をすぐに解決しようというような意欲は表象されていないように思います。> まったくその通りで、それは先ほどご指摘いただいた受動的な姿勢にそのまま繋がると思います。つまりこの作品の主人公は、自分勝手の極みなんです。 <私はこの詩において、このようなやや否定的な傾向にある感情を描写することによって何を目的としたのかということが気になりました> 特に目的というものはないです。「一つの可能性としては鑑賞者がただ増幅された相手への嫌悪感ばかりを受け取ってしまい、厭世的な感情へと陥らせてしまうこともある」とご指摘頂いた通りで、読者は主人公である「僕」とそして作者のあまりに自分勝手で自己陶酔的な感情の発露に付き合うしかありません。逆に肯定的な要素を作品にどうしても残さないといけないとお考えであるなら、その理由をぜひ知りたいなと感じます。例えば世の中には救いようがないほど暗い曲がたくさんありますが、それに対して私は「そこに肯定的な要素がなく、ただひたすら暗くて厭世観を煽る」ということに疑問を感じませんし、ときにはそのことがとても救いに感じられます。 この部分はむしろ、読者がこの作品のひたすらネガティブな感情描写に対して何を思うか、ではないかと思います。自分にも似た感情があったと共感するのか、理解不能で気持ちが悪いと嫌忌するのか、未知なものとしてこの感情を新しく発見するのか、あるいはこの作品を読んだ上でさらにポジティブに思考を重ねるのか、またはこの続きのあるいはこれに先立つ物語に思いを馳せるのか。それらはすべて読者に委ねられています。 少なくとも読者に後味の悪さを味あわせてやりたいといった悪意はないです。ただすたすら書きたいことを書きたいように書いたという点において、私自身も作品の「僕」と同様にどうしようもなく自分勝手な人間なのだな、という自覚はあるつもりでいます。 とても深いコメントありがとうございました!!
0おはようございます。ううん、これはよく書かれていますね。とてもうまいと思います。感心させられる箇所はいくつもあるのですが、特に骨の「数」を確認するくだりは唸ります。握っている「手」や「指」から入って、骨の構造、そして「数」。この現実的、具体的な叙述が、《僕》の心理的な空虚感、《彼女》への距離感を表しているばかりか、その非現実感をも表しているように思います。内面という抽象的なものの動きを「骨」「数」という具体的なものによって喩える。見事。 そして、《水死体》のように揺れている《ボート》。終わってしまっているなあ。こうした非現実性を仄めかす個所が所々に配置されていて、表現上としては一見《嫌悪》や《醜さ》について語っているようで、全体としてはとても美しい作品になっていると思います。
0E♯minor・・・どこか艶やかな短調のムードを予感させる題名。 整った無理のない文章、きちんと描写しているのに、余計な説明は省かれている度合い。たしかに、「上手い」と思います。それも、技巧的な上手さではなく、自然な上手さ。 二連目の〈沢山の4本足の人たちが、独り言を囁きながら闇の中に消えていく〉この不思議なフレーズに、誰も言及していないのですが・・・ 独り言、というからには、単体というのか、個体をイメージするわけですが、流れから類推すると、まるで二人で一人、のようなペア(アベック いまどき、言わないかもしれませんが)の動きを目で追っている。 どこか動物的、四つ足の獣的なイメージもまとう表現。そのペアたちを「美しい」と思う一方で、自分たちがそうした一体感を持てずにいること・・・もっと言えば、大柄で異性に対しても大胆で、俗にいう「肉食系」の彼女に飲み込まれそうになる自分が感じている違和感、嫌悪感を、どう扱っていいのか困惑しながら観察している・・・そんな「草食系」の青年の視点が面白かったです。 水は「女性性」の象徴ともいえるわけですが・・・肉欲、野生の本能になんの疑いもなく身を任せていくアベックたちの営みを「美しい」と思う一方で、性行為もしくは行為を終えた後の揺らぎを象徴するような水上のボートの動きを、まるで「水死体」のようで醜い、と感じる、このズレの度合いを、繊細に捉えていると思いました。 能動的に、野生、本能の世界に引き込んで行こうとする女性(感性)と、呑み込まれること、陶酔を期待しつつ、本能に身を任せることに抗うような男性(理性)の葛藤を擬人化したら、こんな関係性になるのかもしれません(ここでいう男性、女性は、実際の性うんぬんというより、いわゆるジェンダー的な、記号的な「仕分け」「区分」であって、厳密な定義づけ、ではありません・・・なんでこんなことを付け足すのか、と笑われてしまいそうですが・・・念のため、です(笑)
0藤一紀 さん コメントありがとうございます!ご指摘の通り「嫌悪」や「醜さ」について書いてはいるのですが、全体的にグロテスクな印象にならないようバランスを取ることに気をつけました(矛盾しているようですが...)。ですので「全体としてはとても美しい作品」というご感想はとても嬉しく思いました。骨の数を数える部分は特に思い入れのある箇所です。
0まりもさん 丁寧に読んでくださり本当にありがとうございます!とくに<肉欲、野生の本能になんの疑いもなく身を任せていくアベックたちの営みを「美しい」と思う一方で、性行為もしくは行為を終えた後の揺らぎを象徴するような水上のボートの動きを、まるで「水死体」のようで醜い、と感じる、このズレの度合い>とのご指摘は非常に嬉しく思いました。読んでくださった方が自分の作品から思い描いてくださる手触りが自分のそれに非常に近いとき、ああ書いて本当によかったな、と思います。「伝えること伝わる」ことが文章や詩のすべてではないというのが持論なのですが、それでも伝わることの歓びも決して無視できないものですね。
0〉まりもさん 《水は「女性性」の象徴ともいえるわけですが・・・肉欲、野生の本能になんの疑いもなく身を任せていくアベックたちの営みを「美しい」と思う一方で、性行為もしくは行為を終えた後の揺らぎを象徴するような水上のボートの動きを、まるで「水死体」のようで醜い、と感じる》というところなんですが、この「美しい」は「醜い」とほぼ同義というか表裏のようにも解釈は可能に思います。水は女性性の象徴ですから、呑み込む面と産み出す面と両義的です。しかし産まれるためには一旦は水の中に入る、浸されることが必要になるし、場合によっては溺れることもある。「僕」はそれを恐れているために防衛規制として「美しい」と捉えてしまう、と考えることが可能だし、同じように恐れていることを無意識的に正当化しているために「醜い」と言っていると考えることもできます。とすれば、「僕」は現時点から次の状況へと進むことを躊躇っている段階にあり、「岸に繋がれているボート」の揺れとは、「僕」自身の揺れであり、不安であるように読めますがいかがなものでしょう。
0きれいは醜い、醜いはきれい・・・マクベスの魔女のつぶやきにあったような・・・アンビバレントな感情は、直線の両端にあるのではなく、円周上で向かい合わせになっているような気もします。 確かに、不気味で怖いから逃れたい、と思うと同時に、その未知が人を引き付け、あらがいようのない魅力となる、ということもあるでしょう。大切なご指摘だと思います。
0愛してるはずの人のことをなぜだか醜く思う苦々しさみたいなのは個人的にはよくわかるので、グッときました。共感したとかではなくて、ただ、そうだよなあって、共感を一歩超えたような感想です。うまく言えないですが、お上手だと思います。また読みたいです。
0鬱海さん 嬉しいコメントありがとうございます!<愛してるはずの人のことをなぜだか醜く思う苦々しさみたい>なもの。確かにそんな感じの感情に近いかもしれません。
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