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ガリと私
重力を食べた我に 朝は厳しく夜は優しい 新鮮なムロさんを含んだ日月 黒揚羽を踏み潰す ぞんざいなステップ セメント道を行く 得るが無くても追う 蜜が無くても追う 遂には弓なりに 湾曲してもきつい背が 楽しくなくても昇る サーキットの娘(ジャスラックの許諾番号を忘れて仕舞いました) 蒸らして行く戦略を超える揚羽に 田圃が生じて船を引き入れる 砂糖が無くても生じる黒揚羽を ガリが舞踏しながら掴んだ 船に乗ったガリ ガリと食べた重力、思い出 倉をもっと、舞踏をもっと もっとルネサンスを革命を求める ガリと食べた重力が 黒揚羽を殺したのか 何も答えぬ サーキットの娘はただそこにあるだけだ
ガリと私 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 760.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-04-27
コメント日時 2018-05-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
立ち上がりが新鮮でした。クロアゲハ、死や不穏な予兆を優雅に印象付けるモチーフですが、ここではどんな意味を担っているのか。 黒揚羽を踏みつぶす、という暴力性(衝動)と、何が、誰が、黒揚羽を殺したのか、という問いかけとが対になっていて、奔放に飛んだり意味より音韻で即興的に続けたり、という詩行の流れに骨格を与えているように思いました。 重力を食べる、というフレーズに、レーサー(のような生き方)のGがかかるイメージを感じ、その様子を見つめるサーキットの娘を、目撃者に設定している(どちらも、作者の目線ではある)そんなイメージで読みました。 ガリと言えば「おすし」のガリ、を想うのですが・・・ガリと食べた、と記されると、ガリっと齧ったという擬音語のようでもあり、ガリさんという人と一緒に食べた、とも読める。そのあたりの遊び心のようなものも、面白かったです。
0まりもさんコメントを有難う御座います。そうですね、「誰が」と言う問いは慎重に回避しつつ、なるべく存在に対する問いは回避する、あるいは存在に対して配慮する、その事が詩作にも資するような、そんな事を狙って居たのかもしれません。主体は明示しないと言う事ですね。詩内容に専念する、そんな観点です。 サーキットの娘は確かにレーサー的なF1的な、レースクイーン的なそんなニュアンスでした。G(重力)がかかるイメージは表出できたと思います。目撃者的な視点、作者的な視点もサーキットの娘一人に背負わせるのは荷が重すぎるのかもしれませんが、そう言った視点はあったと思います。 ガリでお寿司と言えば、生姜のガリ。「食べた」と言う記述からだと思いますが、ガリさんと言う発想は多少はあったのかもしれませんが、日本人ではなくて、外国の方が念頭にあったと思います。
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