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春風との散歩
春の風と歩いています 私はラッパを吹いてはいませんが 風は吹きます なので脚だけは行進気分です そのせいか落ち葉たちが 軽やかに足元を通り抜けます ぶつかってくるコもいます まだ少し残った桜の花びらが 案内してくれるみたいです 風が ぴゅー ぴゅるー びゅおー 私が ぴー ぴしゅー ふゅー 風さんには敵わないなあ 風で何にも聞こえないので まだ少し残った恋心を ぽとり、ぽとりと零し 交差点 髪がライオンみたいだよ 春に押されてきた子が横に立ち そう言いました 確信犯の赤信号
春風との散歩 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 840.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 3
作成日時 2018-04-14
コメント日時 2018-04-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 3 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
投稿ありがとうございます。運営の三浦です。間違えて2つ投稿されたみたいですので、もう一つは削除しておきます。
0季節を感じさせますね。 確信犯の赤信号 最近、直喩・隠喩についての話題が私の周囲にありまして、本作を読んでるうちにも、その観点から読んでしまったんですが、引用したフレーズから私が感じたのは、春の終わり、初夏の気配です。それを言葉として自説すれば、季節は曖昧に過ぎ、変化するようでいて、必ず変わってしまうもの。それを『確信犯の赤信号』と表現されているのは妙味です。読んで良かったです。
0風呂から来ました。あの詩は本当にすごいと思いました! 今回は手短に確信犯の赤信号の解釈を私的に。 たぶん行進気分で強気にはなっていますが、その内心で恋心を零しております。この零している恋心は蛍みたいなかんじなのでしょうか。風との対話(あるいは格闘)に夢中で見失った道をもう一度探そうとして見つけた交差点、長い間対話してきたのでライオンのような髪になった。ライオンという孤高な感じを目の前にした交差点、踏ん切りつけたくてもつけられない確信犯の赤信号。待てばいいだけの話なんですが、たぶんそういう問題じゃないのでしょう。その時が赤信号であるということに、大きな意味があるんだと思います。 変な解釈がよぎったのですが、失恋後の強気な態度で風に立ち向かい、諦めて未だに涙している恋心の雫が交差点を見つけ(もしくは雫が交差点になり)、闘い抜いた自身の様は自分自身で気づかず、そのまま自身を捨ててしまいたい状態にうずもれて、そこに子供が指摘して、赤信号ゆえに、救われたって感じなのかなと思いました。 また、ぶつかってくる落ち葉がおそらく主人公の比喩だったのではないかと思いまして、それが「風さんには敵わないなあ」になってるのかなと。無力な自分、風で何も聞こえないのは、鬱病のように、周りが見えなくなってしまったから。だからわずか残ってる恋心という名の生きる希望に沿って進む「しか」なかった。でも赤信号。 たぶん、ライオンになった髪型を整えている間に青信号になって希望の道へと進めるんじゃないかとは思うんですが、たぶんそういう問題じゃないんだと思います。交差点に立ったその瞬間に青信号という「客観的な許可」が欲しかったんじゃないでしょうか。 風という強力な流れに対して、自分もそういった流れを作ることができてはいるものの、やはり力には敵わない。そして自然の力とは異質の信号機の規則さえも、赤信号というネガティブなサインを敢えて出していた。そんな印象を受けました。 以上が、僕なりの解釈です。
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