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認知的不協和
嘘をつくのが嫌いだ 嘘をつく人が苦手だ 言葉で人をコントロールしようとする人がいる そんな人を見ると胸がムカムカしてくる 嘘をつくべきではないと信じているからだ 人は人に嘘をつくべきじゃない だから、嘘をつく人を見て、怒りを感じていた 人は人にコントロールされるべきじゃない 皆が得意なことをして自分らしくあればいいと信じている だからわたしは人に嘘をつかない わたしは人をコントロールしない だから他人も人に嘘をつくべきじゃない? だから他人が自分の思い通りにならないで、嘘をついて人を支配しようとしているのを見てイライラするの? それって、他人が嘘をついてることに苛立ってるんじゃないわ あなたの思い通りにならない他人を見て癇癪を起こしているのよ それって人を支配しようとするのと同じことだわ 嘘で支配するか、道徳で支配するか、見た目が違ってるから、気づきにくいけれど あなたは本当は嘘をつく人に苛立ってるんじゃなくて そんな人と同じことをしてる自分に苛立っている そんな人と同じことをしてるのに それに気づかないでいる自分に憤慨しているんだ わたしは嘘をつかない 人は人に支配されるべきじゃないから 皆が自分の力を発揮して健やかに暮らせればそれでいいと信じている 人をコントロールしようとする人がいる そんな人を見て初めて嬉しくなった わたしがわたしだったから
認知的不協和 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 869.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-31
コメント日時 2018-04-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
蜂川パンプキンさん こんばんは。 認知的不協和というよりも これは詩と思いますので 詩的不協和音といいますでしょうか。 最期の「わたしがわたしだったから」という言辞が とても印象的です。 僕も嘘には戸惑いを覚える人間ですが、 しかし、大嫌いとも考える人間でもありません。 ただし、それは嘘も方便という考えではなくて、 嘘だって人間が生きる必要に紛れ込む現実があると考えます。 現実と、出来事が、前後することもあるわけですし、 例えば、AさんBさんCさん・・・が居れば それぞれ主張が違うわけですし、たとえ嘘に戸惑いがあったとしても 真実をもとめて主張するとなれば、いずれか主張が嘘にもなるわけですよね。 そんなことがあっても、嘘偽りのない生活や職場が 日常茶飯事だといいナと考えています。
0投稿有難う御座います。私は嘘つきだと普段から公言している人間なので、本作をとても興味深く読まさせていただきました。一読して、コメントしようかどうか迷ったのですが、先の竜野さんのコメントに救われた気持ちもあってコメントさせていただいております。 (以下引用) ■嘘について 現実逃避は、当面にこそ利益があれども、長期的には不合理である。 虚言は、社会の部分においてこそ利益があれども、全体最適性を抑制する。 愚かな人ほど、自らの日常における処世術に、普遍的な価値を見る。 賢い人ほど、妥協を強いられるにしろ、全体最適と部分最適の矛盾を知っている。 ゆえに、愚かな人は、嘘が蔑まれるべきことを知らない。 一方で、賢い人は、嘘が蔑まれるべきことを知っている。 愚かな人にとって、嘘をついてでも利益を求めることは、自然なことであって恥じるに値しない。 賢い人にとって、嘘をついてでも利益を求めることは、紳士協定に違反する恥辱である。 愚かな人々にとっては、賢い人々が嘘を憎むことがわかりにくい。 賢い人々にとっては、愚かな人が嘘を許されると思っていることがわかりにくい。 (以上『IQが20違うと話が通じない?』鈴木美脳https://ncode.syosetu.com/n4257eh/ の引用) 嘘をつかない、嘘は蔑まれるべきものだと覚悟して生きる時、人が崇高な生き様をすることに繋がると。そのことを再認識させられた本作でした。しかし、私は弱く、なかなかこれを実践することが出来ないのです。 時々、その、崇高な生き様をされていらっしゃる方に出くわしますが、私は黙ってしまうことしか出来ない。残念ながら。いつも。
0竜野欠伸さん 読んでいただいて、コメントを下さり、ありがとうございます。 初投稿で初コメントなのでひときわ嬉しいです。 タイトルは詩ぽくないですね。 響きの美しいタイトルを付けられるようになりたいものです。 竜野さんとわたしは、考え方が似ていますね。 客観的事実は一つですが、客観的事実の叙述は人の数だけあって然るべきです。 人それぞれ見ているものは同じでも、見え方は脳の個性によって違いますもの。 まして、主義主張は違って当然。 その人にはそう見えてるんですし、その人の気持ちも価値観もその人のものですからね。 互いに大切にできたらいいですよね。
0三浦⌘∂admin∂⌘果実さん コメントをいただいてありがとうございます。 こちらこそとても興味深く読ませて頂きました。 自分と逆のタイプの人の考え方を聞けるというのは、とても気持ちのいい体験ですね。 長期的で全体的な利益を重んじるか短期的で部分的な利益を重んじるかが、嘘をつくかどうかの違いを決めており、前者は頭が良くて、後者は馬鹿だというのは、なるほどと思いましたが、笑ってしまいました。 だって私は、嘘はつかないでいたいと思っていますが、小腹が空いたらすぐ軽食を買ってしまい、明日のお金が貯められない愚者でございます。 権謀術数を極めた賢者、それに正直者の馬鹿なんてのも、とっても素敵だと思います。 嘘つきだと公言しているのは、とても興味深い処世術ですね。 嘘をついても、自分が嘘つきであることに関しては正直者でいられます。 そうしてバランスをとっていらっしゃるのでしょうか。 大変だろうと思うのは、頑張ってずーっと嘘をつかずに過ごせても、自分が嘘つきであるということに関して不正直者になってしまわれるということです。 私自身は、それがその人なら、気張らず悩まずそのままでいいと信じているんですが。 それなのに、苛立ってしまう自分に苛立っていたんです。 今は本当にそれがその人なら、それでいいと信じられます。 だから嬉しいです。そういう詩でした。 なんにせよ、本日限りは嘘つきにも正直者にも嘘つき権が公に認められた唯一の祭日です。 よきエイプリルフールズ デイをお過ごしください。
0嘘をつくのが嫌いだ、と立ち上がった勢いを、そのまま繋げていって、 言葉で支配するのが嫌いだ、嘘でコントロールするのが苦手だ・・・ と、叫びで押していくという進行も面白いかもしれません。 ~すべきじゃない、とか、~だからではないか、と宣言的な言葉や解説的な言葉が入ってくると、何となく理屈っぽくなる、ことが多い・・・少なくとも、読み手としては、そんな印象を受けてしまう。 だったらいっそ、論文や社説スタイルの散文の方が伝わりやすいかもしれないのに、そうではなく、なぜ、詩のスタイルを選ぶのか?というところ、そこを考えていく面白さを、もっと楽しんでみて下さい。
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