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花束をのせて
それが 愛なきセックスの一つであったとしても それはそれでどうでもいい 童貞の戯れ言の一つであったとしても それはそれでまたどうでもいい 僕がフォーカスしてるのは 犬の死体が転がっていても ただの「ミンチ」にしか思えない 君の感性だ 僕がフォーカスしているのは ビルから焼け落ちる人を見ても ただの「肉塊」にしか見えない 君の心だ 君は幸せかい? 言葉を手繰る人として 君は幸せかい? 詩を紡ぐ人として 君は幸せかい? 一人の作り手として 君は幸せかい? 君は新しい世界で 新しい場所で 成功するかもしれない または手痛い挫折を味わうかもしれない 残念だが そのどちらであっても 僕には 余り関係がない コインが表裏どちらに返ったとしても 液体が白と黒どちらに染まったとしても 君はネットで培った 冷笑と悪態を 世の中に 人に また世界に向けて発信するんだろうね いずれにせよ僕には関係がないことだ 僕は自転車の籠に花束をのせて あの娘のところへ会いに行く 僕は一度は捨てた「心」を取り戻すために あの娘のところへ会いに行く その時には 君とは大きな距離が出来ているはずだ 楽しみだ それじゃあまたいつか 君が元気であることを願って さようなら
花束をのせて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 954.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-18
コメント日時 2018-03-19
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
話者が信じるところの「正義」について書かれている作品でしょうか。「コイン」の「表裏」。仮に話者の正義を「表」とするなら、「君」のそれは「裏」とみなしているところから、この作品は始まり、どうやら「僕」も裏のそれを信奉していたことをほのめかし、「あの娘」に会いに行くことで「表」に還れることを示唆している。 最初の連で、セックスやそれにまつわる概念が無価値であることを強調している、ように思える。なので、「あの娘」が「僕」に提供するのは肉欲や、「冷笑」や「悪態」、死を物体の廃棄のように捉える不感症のようなものとも無縁の、なにか無謬の価値であるらしいと感じる。少なくとも「僕」はそう信じてはいる様子。しかし、かつて信じていたものを、今や己にとって「裏」側の正義とみなしている様子からすると、僕個人的には、「あの娘」の価値も、宙に放り上げられたコインのように、地上に落ちるまで裏表の定まらないものなのではないかな、という気がする。
0犬の死体、ミンチと言う事で言えば、うなぎ屋の近くの道路で、犬が車に轢かれて、そんなような状態になって居るのを見たことがありました。当時は自転車通学でしたが。ビルから焼け落ちる人。冷笑的な態度で居られるでしょうか。詩の最初に出て来る愛のないセックスなど、詩を構成する、内容が見えてきました。
0miyastorageさん、コメントありがとうございます! 「あの娘」が提供するのは「肉欲」や「冷笑」「悪態」とは無縁の価値観。 その通りです。こう書くととても平凡ですが、「あの娘」に求めるもの、もしくは「あの 娘」から与えられるものは、プラトニックで、精神的な、心理的な充足に近いものです。 冒頭の「愛のないセックス」や「童貞の戯れ言」などの文言は、この話し手である「僕」がそこそこ荒廃した価値観の持ち主であったことの名残です。 「あの娘」のもとへ帰ることで、「表」に還れる。少なくともそのような物語性を、この詩は持っています。 最後の「あの娘」の価値も不確定な要素を持つ、というご指摘。に対しては、話し手の「僕」もそして僕自身も、表に必ず還ると信じてやまないところがあります。未消化な印象がしたのならば、残念な限りです。 何れにしても閲覧と、とても有意義なコメントをありがとうございました!
0エイクピアさん、コメントありがとうございます! まず犬の死骸がミンチのようになっている様を、実際ご覧になったことがあるということで、その衝撃は深かったのではないかとお察しします。 次に詩の構成が冒頭の文言で見えてくる、という感想。 実はこれは、ある知り合いの詩書きへ送ったメッセージでもあるのです。 あるいは、その詩書きが信奉しているバックボーン、文化的背景へのメッセージと言うべきか。 そのバックボーンが非常に人間味、人間性からかい離した印象がする、という個人的な危惧からもこの詩は出来ています。僕は少なくともそういう価値観から逃れたい、離れたい。自由になりたいという気持ちはあります。その結果が最後の「あの娘へ会いに行く」から「さようなら」へと繋がる流れとなるのです。この詩は投稿しようかどうか迷いましたが、このような感想をいただけて結果的には良かったのではないかと思います。 閲覧ありがとうございました!
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