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Chimeraが残す羽音を聞いて
ーある女友達から Chimeraについて電話で その秘密を聞いてから 潮騒のような耳鳴りがすると 妻が云っていました Chimeraとは仮想空間で 音速を超え光速で飛んで逝く 美しい女性の名称でもあるのです 妊娠をする願望の果てを逝く 鳥獣の化身なのです 昔だけれど僕もChimeraを見たことがあるよと 妻に伝えたのですー 凍りつく真夜中に ちょうど臨月のまえでは 早春を伝える月夜を迎えたはずなのです 生命として悦びをえる姿を届けるとき 幻のような痛みがあることに 少し似ています 嘴が告白のように呟きながら 産声で目覚める朝みたいな 遠雷の直ぐ後には 言葉の奥深い疼きのように 小さな愛に宛てた沈黙が続きました 冬空を越えて逝く早春の海辺には ようやく暗夜でも 月影が届いていました たとえ妻の面影からChimeraの化身が 離れるときがあったとしても まるでさよならをする挨拶のように 透ける真っ白い肌が 冬の終わりへと 切ない雪融けを待つみたいにして すでに遠い海辺の夢では Chimeraがとても妖しく絶望をぬぐうのです 誰しもの不幸ですらも探しながら 夜空の果てに広がる翼を 揺らぐ海平線の向こうに伸ばして 羽ばたくのです きっと誰しもにとって海鳥とも呼びはしない Chimeraの確かな名前とは 鮮やかな記憶ですらないのでしょう もはや虚ろな裸身像にすら 消えて逝った過去の去就があるだけなのです おぼろげに未来へ宛てた海辺の夢に 幻影を映し出すChimeraにすら 今しがた捧げていた 真実の言葉があるのですから それらはChimeraだけにより 誰しもを不幸から遮るため 告げられる言葉なのです 何とか立ち去って下さい…と云う願いですら きっと小さな愛でもあるのかもしれません どうしても生命の行方を忘れられないのです 無数にある別れの理由のまえに いくつもの悲しい恋ですら Chimeraが現れる幻には 果てがあるかもしれなくて 遠い海の波間に連れて逝った 大津波に手向けた 花言葉があったとしても それらは誰しもの祈りにとってですら 哀しい夢の冷たい輪郭が 深海に沈んでいるだけなのかもしれない すでに数多くの夢を食みながら 過ぎて逝く早春の跡で 再び想いを交えた季節に 忘れていた草花の名前を 見つけてしまうたび それらを微かな愛として 乏しさですら想い出すのです 遠い潮騒のような産声もあるのですから 颯爽とした幼い声を運びながら Chimeraは厳冬を往く 夢を継ぐ子供たちに 哀しい羽音ですら海辺に残すはずなのです 20180312 竜野欠伸
Chimeraが残す羽音を聞いて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 913.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-15
コメント日時 2018-03-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
お久しぶりです。 ビーレビの推奨スマホとかないのかなと口走ってみます。文のガタつきがまだありますネ(*^_^*)
0竜野さんひさびさの投稿ありがとうございます。今回、掲示板の仕様変更にあたって、竜野のさんがご指摘されます「文のガタつき」について、運営スタッフ全員がかなりこだわって議論しました。レスポンシブ自体をやめて、固定にしようかとの意見も出ましたが、最終的には、この仕様でいくことにしました。モバイルによって様々に一行当たりの文字数が変化するレスポンシブ仕様なわけですが、参考までに申しますと、iPhone7の標準サイズで一行当たり20文字を目安にすると、改行する時の参考になるかもしれません。文学極道も同じくレスポンシブですが、あちらですと同じ環境で一行当たり30文字と、ビーレビより長く一行を書くことが可能です。あちらの方がスペースが広々としていて書きやすいという意見もききますし、また他にもフォントを投稿者が選べるようにするなど、いろんな意味で私自身も満足はしておらず、今後も変化が続く掲示板になればと考えております。長々と失礼しました。
0三浦果実さんへ お返事ありがとうございました。そうですよね。それぞれモバイルごとに1行当たりの文字数がレスポンシブデザインだと変わりますよね。iPhone7の場合は一例だと思います。モバイルごとに該当詩によるレスポンシブデザインでの推敲状況/校了状況を点検確認できるサイト機能があればよいと思うのですが、どうでしょうか。展示の状況確認がができるし、なお、訂正の手間が不要になるし、事実上の一発校了が可能ですね。その方が、出稿時の安心感と納得感がありますし、PCからのシミュレーションに頼らず、モバイルだけでも連のガタつきチェックが事前にできるかもしれません。モバイルごとの展示状況の見え方で作品評が左右されることもなくなりますし、モバイルでの作品出稿も安心と納得ができます。この辺の調整が大変かもしれませんが、皆さんの作品のためにも、いずれよろしくお願いします。
0こんにちは。 想像する力がためされる作品ですね。 キメラかキマエラとは?一般的には、なになのかすら私には検索しないと 分かりませんでした。以下は その結果です。 1 ライオンの頭、蛇の尾、ヤギの胴をもち、口から火を吐くというギリシャ神話の怪獣。キマイラ。 2 生物学で、異なる遺伝子型の細胞が共存している状態の一個体。植物では接ぎ木したものにみられ、動物では異系統の発生初期の胚を融合させて作った人工キメラマウスなどがある。 検索の結果、幻想動物の意味であると同時に、現実的な意味でも 使われる言葉だとわかりましたが、この詩では 鳥獣であるようですね。 それにしても、文体の癖が強いなと 思いました。 ……ですら。……にすら。という表現が、めっちゃありますね。っていう簡単な感想を 持ちました。 この詩は、妊娠願望が絶たれたかもしれないという悲しみを表現しておられるような気がしております。とてもナイーブな心情を表現しておられるように思いました。ですのに、私の「…すら」が多いね。という短絡すぎる簡単なレスは、どうなのかと、はばかっていましたが、書かせて頂きました。 るるとかいう おっぱい星人の雌のいうことですので、要領を得ませんが ゆるしてやってくださいませ。
0るるりら さん コメント頂くことができまして嬉しいです。 感想を少しでもながめると客観的に捉えることができました。参照を行い焦点を絞って詩文の密度を高めるだけ高めた方がよかったのかなと少し反省をしております。キメラの解釈も少し世間とは異にしていましたですね。ですから、そこも明確にした方がよいですね。ご指摘からは、そのようなニュアンスがあると感じています。ここでは、キメラの解釈は、幻の鳥獣でもありますが合成動物もあることからも、キメラは三体以上の合成動物でもあるという描写に焦点を当てたかったのです。男女の性の交わりによりヒトはその群生を以上に3体以上に増やすことをしています。ニンゲンという言い方をすると対象が3体以上に及ぶ合成動物なのですネ。僕としては、ヒトではなくニンゲンを詩作したかった訳ですが、迂遠な表現があると思えるのならはばかりながら、残念です。ご指摘は今後に活かしていきますネ。兎にも角にも、感想をありがとうございました。
0おはようございます。 Chimera。キメラ、キマイラ。フランス語ではシメール。初読からしばらくして、そう読むのかな、と不意に気づきました。 ギリシャ神話に登場するのもたしかですが、個人的にはボードレールやマラルメなどを思い出しました。 しかし、当時のChimeraはもっと凶暴で危険な印象だった。こんなふうにやさしい存在として甦るのもなかなか素敵かなと思いました。
0たゆたうような、ためらうような・・・あるいは、直接「そのもの」を歌わずに、その周りをまわる、留まる、ことを楽しみながら歌っている作品のように思いました。 「幻のような痛み」「言葉の奥深い疼き」「切ない雪融けを待つ」など、痛みや辛さに言及しているようでいて、くるおしい甘美な痛みについて触れようとしている。 「きっと誰しもにとって海鳥とも呼びはしない Chimeraの確かな名前とは 鮮やかな記憶ですらないのでしょう」 誰にしも、海鳥とも、と限定したり強調したりしながら、呼ばない、と否定する。 確かな名前、と言い差し、鮮やかな記憶、と言い差して、~ですらない、と強調しながら否定する。この進行を好むかどうか、そんな質感の受け止め方によって、作品評価が分かれるような気がします。 模様の織り込まれた布を柔らかに広げかけてはまた閉じる、物語や映像の見えそうな部分を広げかけては、また折り畳む(ピシャっとシャットダウンするようなやりかたではなく、なめらかな素振りで、空気を織り込みながら)そんな、フレーズそのものが生み出す情感の中から、先に進みそうになりながら留まっている、そんな「たゆたい」の感覚を感じたわけです。 その「心地よさ」の中で、生まれなかった小さな命への思いを手放そう、追悼しよう、とする作品、あるいは、失ってしまった命を哀悼する作品のように鑑賞しましたが・・・先にも書いたように、言い差してはまた、言葉の揺らめきの中に戻る、どこか甘い悲しみの中に身を沈める、といった・・・ある種の停滞感のようなものを、私は強く感じました。 一連目の進行のような、映像やイメージを先に運んでいく部分を、中盤や終盤にも用意すると、もっと全体にメリハリが生まれたのではないか、という印象を持ちました。
0藤一紀さん こんばんは。 始めて、僕がキメラを見たのは、小学2年生でドラゴンクエストのモンスターでした。それがどうこの詩になったのかと申しますと、世紀末に登場したネット界隈の無数にあるエロ画像です(*^_^*)。フランス国籍やアメリカ国籍のエロ画像もあったかもしれませんネ。そんな叙情が哀しく感じたのは、言うまでもなく、東日本大震災でした。ちょうど妻と出会うことになった頃と場所、とも少しだけ重なります。ヨーロッパ風のキメラではなく、ここ日本にも哀しくも生命としてキメラは、いとおしくも存在したのかもしれないと思うに至りました。これらの弔いとしては、このような詩にも至りました。ニンゲンって、不思議な生き物で、変なところもありますが、このような真実もまた、ありきかなとも感じております。決して高尚なものではないと想っています。
0日本のキメラを お尋ねならば、河鍋暁斎の絵を お探しになってみると、イマジネーションの参考になるやも しれませんよ。
0まりもさん ご無沙汰しております。 たゆたい、ためらい、との形容もあるかもしれません。当時には誰しもが、大津波に飲み込まれる可能性が否定もできない状況だったと思います。天変地異でも巨大な脅威としては、大自然があるものと感じてしまうことも真実でしょう。大地震被害の人災説が流れてもいましたが、大自然の驚異と共存ができるのかは、そのニンゲンの運命と宿命のあいだにあるものと思いますネ。 ニンゲン社会の停滞感も大自然の前では、尚更のこととも思うに至ります。 後半のアドバイスは、とても参考になりました。何らの史料や文献の引用もあっても良かったのかもしれません。叙情詩的な表現に、ワンクッション置いた表現を目指しても良い詩なのかもしれませんネ。貴重なコメントありがとうございます(*^_^*)
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