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写生
あの日も桜は咲いていた 鉢植えの暖地桜桃 ほんの数輪 毎年のように 三月の初めには花をつける あの日 ブラウン管から黒い水があふれだして 一切の音が消えた 水はとめどなく部屋に押し寄せ 私は息の吸い方を忘れた 押し出されて 掃き出し窓から外に出る 単色に薄れた庭の中で 白くぽつぽつと点が灯り 向こう側に突き抜けている 呼ばれた気がして近寄ると 桜が数輪 いつもどおりに咲いていた 翌朝も日は昇り 白く灯る桜は昨日と同じ場所にあり いつのまにか手に 写生帖と鉛筆と簡易水彩セットを持って 私は桜を描いている 鍋の底のように平らで空っぽの胸の奥に 桜のかたちが落ちていく 昨日の桜 今日の桜 あした という言葉が崩れて 押し寄せるものを片寄せながら ただただ描く 描き続ける あの日も桜は咲いていた いつも通りに桜は咲いて 蜜蜂だけが居なかった
写生 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 833.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-11
コメント日時 2018-04-03
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
すみません、設定されていたようです。題名は「写生」です。
0「いつもどおり」という言葉が「あの日」と結びつくと、途端に重い意味を持ちますね。 色の失われた世界に明かりのように白く咲く桜のイメージ、その生命力を描き写す。「写生」というタイトルが、とても活きているように感じました。 私事ですが北国に住んでいると3月は桜や蜜蜂の季節には程遠く、ブラウン管(そういえば7年前は、まだアナログ放送も終わっていませんでしたね)の中の出来事もろともに、自分の生きる「いつも」とは違う位相にある世界であるかのような錯覚に襲われます。 それがなおさら、もう手の届かなくなってしまったものを想起させて、印象に残りました。
0私は4~6連目を「今」のことだと読みました。 戻ってきた日々やのどかさを、安心しながら、落ち着きながら実感している様子に確かさがあって、美しい作品だと想いました。 そしてタイトルも相まって「忘れない」という意思がはっきりしていて、なんというべきか、頼もしく感じます。 あの時、私は九州にいました。私の立場としては、諸々の事情に対しては部外者に過ぎませんので何も言わないようにしています。ですが今、当事者の方々が楽しい時を過ごしているならば、私も共感したいと思うのです。
0まりもさんの作品をいくつか朗読した経験がある身から本作を読んだ時に、読みのリズムを最低限度とし、物語性を優先された作品に仕上がっていますね。作品へ挿入される非現実的なる状態、 「ブラウン管から黒い水があふれて」 上手い展開をされるなと思いました。ただ、意地悪な言い方をすれば、こなれた感じがまりもさん作品には定着してしまっているかなあと。その意味では先日投稿されていた童話の話、あっちの方がわくわくして読み進めましたよ。で、もう一つ言いますと、私にはあの童話の方がまりもさんの本質が出ていたと思います。へんてこコメントすみません。
0あの日からしばらくして動植物たちの現状、変化について国の内外を問わず様々に見聞きしましたが、いつしか記憶の隅へ、そんなことが思い起こされるようです。レイチェル・カーソンやロシアの森林等。どうしたって記憶というものが薄れていってしまう、風化に近い感慨を持ってしまう、そうしたことがありますが、いなくなった蜂たちは今どこでどうなっているのかと。悲惨な現実について語り繋いでいく一つの方法なり気概を折に触れてこのように作品を通して提示されている、そんな感想を持ちました。
0あまり喪失感を感じることができないのは、たとえば「蜜蜂だけが居なかった」というのを読んだ時に、では以前は「蜜蜂」がいたのか、というのをあまりリアルに想像できないからではないかな、と感じました。もしかしたら現地の蜜蜂農家さんから蜜蜂は大量に消えたのかもしれない。ただ、以前はあって今はないものの一つの喩えとして「蜜蜂」は私にとってはあまりに遠すぎるように感じます。それだけ自然と触れ合う機会が減ってしまったということでもあるのですが、「蜜蜂がいない」ということがどれほど異常なことなのかほとんどピンとこないんです。その部分の作り物感が邪魔をしてなかなか入っていけないという印象がありました。あるいは技術的にうますぎて整いすぎているという側面があるのかもしれません。
0二条千河さん 「あの日」のことを、いつか書いておかねば、という気持ちだけがあって、体験しないことを書くことができず・・・結局、なぜかわからないけれど、桜の絵を描くしかなかった、という、あの日のことを書きました。「詩」っぽくしよう、普通の表現ではつまらない、と、変な職人意識のようなものが働いていたかもしれません。まだ、あの日のことを上手く書けずにいます。 社町迅さん なんで、あんなことが起きているのに、ここは普段通り、いつも通りなのだろう・・・余震が来るたびに心臓が冷えて、その都度、ここが被災地でなくて良かった、と安堵し、すぐにそんな自分が嫌になる、という、なんとも言えない堂々巡りの中で・・・絵を描いていました。写生しているときは、無心になれるというか、空っぽになります。そんな、無の状態になりたかったのかもしれません。 三浦さん 童話を書きたくて(今でも書いていて)50くらい、書きかけのものも含めると、100くらいあります。でも、いわゆる「評価」を得られないまま時間が過ぎてしまい・・・これからも、たぶん、誰が認めてくれるわけではなくとも、童話を牡蠣続けると思います。 湯煙さん 私が住んでいるところは大田区なので、震災の実際の被害はなかったのですが、石油コンビナートの火災などがあり、空がどす黒く濁っていたのを覚えています。 放射能の影響だという人もいるし、化学物質のせいだとも、地磁気の異常のせいだとも聞いたりしますが、震災後、実際に蝶や蜂が減ったと感じました。いつもバラゾウムシの被害に遭うのに、あのときは虫に食われず、美しくバラが咲いて、なんとも言えない気持ちになりました。あの日のことを書いておかねばいけないような気がするのに、その時の自分の無力さや、呆けたような空白の時間しか思い出せないのですね。 花緒さん あの日のことを書いておかねば、という気持ちと、それに何の意味があるのか?という無力感とが、同時に存在しています。なぜ、ひたすら無心になりたいと思ったのか。なぜ、悠長に写生などしていたのか。なぜ、こんなことが起きているのに、桜はいつも通りに咲いているのか・・・美しくその時のことを書きたい、詩として上手く表現したい、という、職人的な欲求のようなものは、確かにあったと思います。そこを越えていかなくてはいけないのですが。 survof さん 喪失感を書きたかったというよりは、あんなことが起きているのに、なぜ、私は平常でいられるのだろう、なぜ、花はいつも通りに咲いているのだろう、ということに、愕然としたのですね。無論、震源地から離れているから、なのですが、理屈ではなく、そう感じたということと、その時の自分の無力感と、何かをしていなくてはいられなかった滑稽さを、同時に思い出します。 桜を写生しながら、いかに美しく、そのものを描き取るか、ということに神経を注いでいました。あとで見直すと、実際の枝を組み合わせて、過去、現在、未来とも取れる、三本の枝を重ね合わせた構図で描いていました。その時の、自分でも説明のつかない行動を書き記しておくべきであるような気がして書いたのですが、詩として面白く工夫されているか、詩として美しい景を描き出しているか、といったことに、意識を注いでいたような気もします。 実際に被災地にボランティアにいかれた方が、腐臭の中で拾い上げ、洗い清めた、誰かの家族写真のことを書いた詩や、波打ち際に、ひとつだけ赤い、かるい、全然壊れたり痛んだりしていない赤い靴があった、というところから想念を働かせていった詩を読んだり、被災地の養鶏を生業にされていた方が、ひよこを袋にいれて殺さねばならなかったことを、眈々と綴った詩を読んで・・・被災者でもない、関係者でもない人間に、何かを語る資格があるのか?とも、思ったりしました。それでも、被災地から離れた大田区にいた人が、そのとき、なにを感じ、何を欲していたのか、ということを、書いておきたかった。他の方のレスにも書いていますが、美しく、叙情的に書きたかったのかもしれません。 祈ることしかできないとき、せめて、作り出すものだけでも美しくあってほしい、というような気持ちが・・・比喩を工夫して、その時の情景をより、その時の心情に近い形で、なおかつ美しく表現できないか、という欲求の方に向いたのかな、という気がしています。
0スマホから打っているので、推敲不足になっています。三浦さんへのレス、牡蠣→書き、です。survof さんへのレスでは、眈々と→淡々と。失礼しました。
0311を意識してお書きになった本作品ですが、 今頃になって感想を 書くのは ちょっと ためらいがあるのですが、書かせていただきます。 東北の災害は あのとき たとえ被災地に居ない人々も、心を痛めました。私もショックでした。 テレビで いままさに 命を落とさんとしておられる方々を多数目撃してしまったという衝撃は、脳裏に刻印された感じがしています。それまでにもっていた死生観が 大きく揺るがされたという印象をもっています。 この詩では、蜜蜂だけがいないことを示すことで、いつもとと違わないようで なにかが違うことを暗示しておられるのだと思いました。 植物の状況がいつもとは変わらないのに、ある種の生き物がいないという表現は、魅力的な表現方法だと思うのです。この書き方に 世界が終わることを危惧した【沈黙の春】 レイチェル・カーソン著の冒頭を 思い起こしました。 ただ、気になったのは 災害のあった2011年よりも 二、三年前に 蜜蜂が大量に いなくなったことが メディア報道で盛んに取りざたされた年が実際にあったような気がしているのです。そのときの報道の一つに、蜜蜂がこの世から 全く居なくなってしまうと 多くの植物は受精できないので、あらゆる生物に影響が出て大変な危機が訪れる可能性があるという報道だったように思います。 それで、気になったのは 蜂が大量に居なくなっていたという事件の話を 御存じでお書きになったのかな。それとも まったく蜂の事件を知らずに、蜂のことをお書きになったのでは だいぶ意味合いが違ってくるような気がします。 個人的には後者のほうが 好みです。平穏に過ごしていたが すこしだけ動物的なアンテナが立っていたって感じなら 表現として悪くないと思うのです。 でも、どちらだったのでしょうか? 前者だと 個人的には あまり好みではないのです。これでは地震が原因で蜂が居なくなったみたいに読めてしまいます。
0るるりらさん う~ん・・・いつも、桜(というより、さくらんぼの花)が咲くと、煩いくらいに蜂がブンブンいうくらいによってくるのだけれど、あの日は、なぜかまったく来なかったのです。 携帯メールに、○○石油の火災で汚染物質が充満しているので、子供を外に出さないように&拡散してください、というメールが次々入り、すぐにガセネタのチェーンメールなので拡散しないように、というメールが回ってきたりして、かなり混乱していました。学校の連絡網も、回線のパンクでまったく機能せず、交通麻痺で夫も帰宅できず・・・ その中で、情報を得ようとしてテレビを見ると、押し流されていく家や車が映されていて・・・ その後、テレビ放映の際に、そこに映っていた人物を消した(視聴者に刺激を与えないように)という話(あくまでも伝聞です、噂かもしれない)を聞いたりして・・・結局、その時のことを、今でもよく把握できていない。なぜ、書かねばならないような気持ちに駆られるのかも(そして、それが妥当なことであるのかどうか、作品として発表すべきものであるのかどうか、それすらも)よくわからない。 ・・・というようなことを伝えるには、この詩は表層的過ぎるなぁ、と、改めて思いました。考え続けること、忘れないこと。今は、それだけです。
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