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太陽の
白い雪が染み渡り 薔薇の花で道は埋まり 空っぽのトランク 路傍へ投げ捨て 僕は体もない伽藍堂の海へ(情報の) バイブルは 燃えては赤く空を焦がし 太陽の陽射しさえ届かぬ 太陽の明かりさえ 太陽の眩しささえ意味なく 太陽の光さえも 巡る血もない偶像の 仮想空間での世迷言 トランクに詰めた 価値あるものは 体を得たその瞬間に 消え失せる レリジョン あまたの神も 目を閉じ 太陽のフレアさえ無きものに 太陽の黒点さえ 太陽の消失さえ意味なく 太陽の限界さえ 太陽の届く場所さえ奪われ 太陽の脈動も 太陽の行く先さえ遮られて 太陽の永遠性でさえ 太陽の 誰も望まない宇宙観 太陽の そこへ行くのか 太陽の マッチ一本の灯だけが頼り 太陽の慟哭でさえ聞こえない 夜の街灯は騒めいて 仮想通過一枚で世界は変わる 昨日のアルコールは溶かしきれず 僕は体なき 刺激だけの空間へ 君に触れた手触りさえ失う 太陽の昇る場所は人知れず 太陽の跡形も 太陽の指し示す道さえなく 太陽の光も 太陽の 誰かが望んだのかもしれない 太陽の この領域 太陽の 蝋燭の火だけが頼りに 太陽の咆哮さえ届かない
太陽の ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 876.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-11
コメント日時 2018-03-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
題名が既に「太陽の」なのですが、それにしても、「太陽の」と連呼する行頭のインパクトが強靭ですね。 情報の、と補足があるので、「伽藍堂の海」はパソコンの向こうに広がるサイバー空間なのかな、と思うのですが、そこは作者にとって、闇夜でもあるようです。 どうしても投稿日を意識してしまうのですが(バイブルが燃え、あまたの神も目を閉じてしまう、というような文言から、「神も仏もない」ような悲惨に見舞われた世界、を、想起してしまう)この作品は、震災とは、直接の関係はないのでしょうか。 そうであったとしても、太陽の「慟哭」も「咆哮」も届かない、という悲壮さは、ただ事ではない。 トランクに詰めたものとは、一般には人生の重荷やしがらみの比喩であるようにも思いますが、 「トランクに詰めた/価値あるものは」 「体を得たその瞬間に 消え失せる」 この表現が面白い。気になります。 サイバー空間に飛び込み、体を離れて闇を彷徨う意識が、その旅の間に得る経験が「価値あるもの」であるのか・・・。だとすると、最初に空っぽのトランクを路傍に投げ捨てる、というのは、どのような状況を描いている、のだろう・・・。 太陽の照らし出す世界が現実世界で、その光が届かないサイバー空間が仮想空間、と読んでいるだけでは、どうもつかみにくい。 あるいは、太陽の光の届く世界が生者の世界で、届かない領域は死者の空間(生者には、想像力を働かせないと思い描けない空間)と読むと、隔てられていることによって際立ってくる悲壮感が、なんとなく腑に落ちる、ような気もするのですが・・・。
0まりもさん、コメントありがとうございます! 「太陽の」と連呼する行頭のインパクトが強靭。ありがとうございます。これはそれを当然ある程度意識しつつ連呼させた上、出来上がった時、自分でも「インパクトあるなぁ」と思っていたので、そう賛辞をいただけてとても嬉しいです。 次に「トランク」の持つ意味合いについてですが、まず最初に「投げ捨てた」トランクには、身体性があった時代、ネット空間に身を浸していない時代に貯めた、思い出や情報、身体的記憶が入っていたと解釈して間違いないです。続いて二度目に出てくるトランクにはネット上、サイバー空間で培った価値や、積みあげた情報、経験、記憶等が入っています。ですがこれらは時に身体性を持つのが難しいがゆえに、身体性のある現実世界では、仮初めのものとして消え失せる可能性があります。その点の危惧も含めて描きました。 そして太陽の光が届く世界が生者の世界で、届かない領域は死者の空間。とても面白く、興味深い解釈をしてくれてとても嬉しいです。僕は死者と生者とまで強力な差別化を「身体性のある世界」と「それがないサイバー空間」という二つの場所にしなかったのですが、「身体性のない世界」はやはりいつか脆く崩れ落ちる、という感覚を抱いて描いたのはたしかです。 まりもさんのお陰でこの詩の輪郭がより明確になりましたね。 最後に、投稿日が3.11だったことについて。これは僕も熊本大震災を経験しているのですが、3.11の未曾有の災害の前では、人間は余りに非力だった。それこそ小さなサイバー空間で手に入れた力や、また身体性も同様小さきものとして扱われた。「身体性のある世界」と「それが失われた世界」双方とも、無力だった、まさに「神も仏もない」悲惨に見舞われたあの日と投稿が重なったのは偶然ではないかもしれません。過度に震災を意識したものではなかったものの、投稿する日が3.11であるということは無意識化に大きくあり、顕在意識下にも「今日は3.11」かという想いがありました。 長文失礼しました。くわえて日の目をなかなか見なかったこの作品に、光をあてるだけでなく、新たな命でさえ注入したとさえ思えるまりもさんに感謝です。
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