別枠表示
continuous
わたし、夕焼け、とてもきれいだとおもうの……今の季 節だとそうね、梅の花、とかもきれいだよねえ。きっと 全員じゃないけど、だいたいの人は夕焼け、きれいだと おもうんじゃない? 知らんけどさ。……きみと会えな いとさみしいし、会いたいって思うけど……さみしさ、 感じない人より、感じる人の方がきっと、生き残りやす いよね。だからたぶん、ヒトが進化する過程でさみしさ、 獲得したんだとおもう。だからぜんぜんふしぎじゃない の、どんなにさみしくても。……でも、夕焼け、きれい だなあっておもうきもち、生存に有利かなあ?…あまり そうは思えないから、中学生のころからずっとふしぎで。 そうそう、当時、下校中に陸橋から見える夕焼けがいつ もきれいだったんだ。……家族が死んでもお金がなくて も、すべてに絶望してもきっと、夕焼けはきれいだとお もう、てか、きれいだったよ(笑)……みたいなこと、 考えてて、こんなポエム聞かされるのにも、もう馴れた でしょきみは…もう寝たかなあ?……明日は、退学とか で教授と面談があるから、ちょっと憂鬱。せめて、晴れ てるといいなあ。……深夜にわたし、何言ってるんだろ ……こっちも、そろそろ寝るね。おやすみ。すきだよ。
continuous ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 896.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-09
コメント日時 2018-03-28
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
筆舌とし難いそんな気持ちわるさがいいね。でも、まあ、烏賊、誰かさんのようになってはほしくないな。そんなことチラリと浮かぶ。
0この語り手は、相手に直接語りかけているようでいながら、「きみは…もう寝たかなあ?」と述べて、実は語る相手と直接対峙しているわけではないようです。しかし、それでいながら語り手は「こっちも、そろそろ寝るね」などと声をかけてしまう。まるでこの距離感は、既に亡くなってしまった誰かに延々と語りかけているようにも見え、それ故に一人語りにならざるを得なくなっているようにも見えます(もし電話なら相手が寝ているかは知ることが出来ますし、また想像上であれば「きれいだと おもうんじゃない? 知らんけどさ。」というような具体的な声かけはしないように考えました)。 しかしそうであるとすれば、むしろ死者への語りが「こんなポエム」になることは自然なのかもしれず、そしてそれこそが“continuous”な一人語りであるのかもしれないと思いました。何故ならここで重要なのは内容ではなく、死者へと想いを語ることそのものだからです。従ってこの文章において機能しているのは語りの内容ではなく、語る口調の方にあるのではないかと思いました。 とはいえ、このような「ポエム」に触れて個人的に疑問に感じたのは、「ポエム」は何故しばしば恋愛を取り上げるのだろうかという点です。「ポエム」は具体的な相手を常に持ち、それ故に恋愛を内容とするものなのでしょうか……。死や流浪を歌う、或いは語る相手のいない「ポエム」が可能なのか、やや気になるところではあります。
0>生存に有利かなあ? という疑問ののち、 >すべてに絶望してもきっと、夕焼けはきれいだとおもう、てか、きれいだったよ(笑) で、答え出ちゃってるじゃん(笑)と思った。そんなちぐはぐ感がアラメルモさんの言う気持ちわるさにつながってるんですかね?
0自問自答をしているならば気持ちわるくない。させています。そうです。答えわかってるのよ。だから気持ちわるい。
0つまりね、主体性の無いままに二重に人格者を作り出してんのね、こいつ語り手は。それを操る作者がみえてくる。そこが気持ちわるい。良し悪しはべつにして。
0答え出ちゃってるじゃん(笑) たしかに自殺を考えているホモサピエンスが美しい夕焼けを目にして思いとどまることはあるかもしれませんが、ホモサピエンス以外の生物が自殺するとは聞いたことがありません。自殺が生物の全歴史から言って極めて特殊なリスクであると仮定すれば、「自殺のリスクが減る」ということが進化の過程で生存に有利だったと考えるのは端的に誤謬でしょう。
0具体的な「物」に、名前を付けよう、と思いつく・・・のは、なんとなく理解できるのですが、初めに「さみしさ」とか「かなしさ」といった、感情のような把握しがたい「もの」に名前を付けよう、と思ったのは、なぜなんだろう、とずっと考えていて・・・未だに答えが出ません。 二人で隣あって、はしゃいだり、一緒に泣いたりしている時に・・・ああ、今のこの気持ちを、嬉しい/悲しい/・・・と名付けよう、なんていう共感?があったのか。あるいは、離れている時の気持ち、を、あのときの感覚は、さみしい、と呼ぼうね、なんていうすり合わせ、があったのか・・・ 人から人へ、ある種の共感が生じた時に初めて、この時の、この感覚を、さみしい、と呼ぶんだよ、と伝えることが出来るのだろうな、と思い・・・と考えると、不思議でたまらない。 始めて「雷に打たれたような」なんて、とてつもない比喩を考え出したのは、誰なんだろう、とか・・・(その比喩が、おお、今のこの感覚にぴったりだ!と思う人が沢山いたから、皆に利用されるようにもなった、わけだし)感覚の伝達、ということが、気になっています。 ・・・作品から離れたコメントになってしまいましたが。派生するつぶやきコメントとしてお読みください。
0