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踊り子
踊り子 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 600.4
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-07
コメント日時 2025-01-21
項目 | 全期間(2025/04/13現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この詩は果実と踊り子をどう受取りなにを示すのか、なのですが。果実は喪失や後悔、痛みの象徴。踊り子は自己投影であると考えました。最終連だけでだいぶ見えてしまう形を、感情的なあたし/理性的なわたし、とかきわけつつ、感情の複雑さ、のりこえ方を内と外から描いているように思えました。全面で散らしかき消すようにノセられる,この言葉選びのセンスがとても良く、コトバから発芽したイメージをどう重ね躍らせるか。連ごとに投下したイメージがだいぶ踊っているように思え、とても面白く読みました。いいですね、こういった詩はとても好物です。ポイント五倍つけたい。拍手。一票
1この作品を読んで初めに思い浮かんだのは、しんたにさんの『冬の日曜日』でした。一応アドレスを貼っておきます。http://bungoku.jp/ebbs/20120214_394_5873p 不条理さみたいなものが薄皮一枚で繋がっていく様子が粛々と描かれていて、とりわけ終わりの三行、「どこかの踊り子が スカートを揺らせて ふっくらと夜を越える」が、詩の風を運んできてくれるような上手い表現だと思いました。ただ、全体的に文章や構成は面白いのですが、例えば『冬の日曜日』に感じる、まとまりや共感には行き着いていないのかなと感じます(そもそも別の作品同士を比較するということにあまり意味はないかもしれませんが)。 しかし、表題の『踊り子』というのが、根を張らず各地を転々とする職業というイメージを僕は勝手にもっていて、この作品からも、どこへ行っても自分のいるべき場所が見つからないさまを漠然と感じました。それを最後の三行がやわらかく包み込んでいるように思います。 “あたし”と“わたし”という人称が交互に使われていて、同一なのか別人なのか、ちょっと迷いました。
1自分でもまとまりのないものになってしまったな…と思いながら、個人的に終わりが好きな感じで書けたので投稿しました。あたしとわたし、たしかに交互に使われていますね、あまり考えずにバーっと書いたので明確な違いはちょっと分からないのですが、A・O・Iさんの仰るように感情的なあたしと理性的なわたしで違いを持たせているのかもしれません。連ごとにだいぶ雰囲気を変えてしまったので、迷いを持たせてしまったという部分ではよくなかっですね…、次回へつなげる反省ポイントです。ご指摘ありがとうございます!しかし、とりあえずこれはこれで完成ということで後悔はありません!コメントありがとうございました!!
2面白い。AOIさんや1.5Aさんの言うように踊り子や果実ももちろん重要なんだけれど、なら前半は何が描かれているのか。動物園、農園、不動産屋…… 農園と動物園の違いはなんだろう。パッと浮かんだのは、搾取といいますか、収穫されるかされないか。「しまうま」も毛を刈り取られますが、果実は丸ごと身をもぎ取られる。「わたし」も果実でできた肉体で、不動産屋は資本家で……? (社会的な知識があれば、もっと構造を上手くまとめられそうなんですが……) 上のように考えると、「わたし」の歯が抜けていくのも分かるというか。要は、搾取して食べる側に回れなくさせられているような。 あとはその他は、1.5Aさんのおっしゃるような、自由な踊り子、放浪への憧憬、楽園を望むような最終連。前半の現実感が強かったので、この幻想とのコントラストが非常に出ている。好みが分かれそうですが、そういう強引さや継ぎ接ぎ感は、リアルを表していると思います。私の好物です。良い詩でした。
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