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ひめごと
生まれて初めて感じる痛みが下っ腹の内側を貫いて、 歪んだぼくの赤ら顔をあなたは不安げに見つめていた。 東海道線の帰宅ラッシュに揉まれて、疲れきったあなたの汗を洗い落としたシャワーの温水の拭き残しが、 長い間、他人の目に触れることを憚っていたぼくの生っ白い柔肌に染み込んだ。 真白いシーツに仰向けになったぼくの口の中に、 あなたは右手の親指と人差し指をねじ込んで、 引っ張りあげた舌の根の奥から言葉が漏れてくるのを待っていた。 意味を知っていただけの卑猥なスラングを、 弱々しい息漏れをともなう声であなたの鼻先に吹きかけると、 猿の欲望がみなぎった赤黒い海綿体がまたひと回り膨んだのを感じた。 ぼくの体の隅々にまで掘り刻まれた、今日までの孤独の跡を舌が這う。 出したことのない声と、見せたことのない表情と、 生まれたことのない感情と、委ねたことのない体が、 ぼくを二人だけの国へ連れていく。 アスファルトを押し退けて二月の空へ突き出たタワーマンションの一室で、 生々しく夜が炊き上がっていくーーー。 ーーーそれとわかる快楽では昇れなかったカタルシスへの心残りは、 シーツに小さく滲むよく冷えた腸粘液だけを残して、太陽に飲まれていく。 巣の中で抱きしめられすぎた雄臭い野獣の爪は、 朝の星が滴らせる血の色を知らないぼくの肉体に一生ものの傷をつけた。 機微の駆け引きで化かしあうませた遊び方を知るために、 体まで大人である必要などなかったのだ。 残すべき記憶から順に抜け落ちる理由も、 役に立ったためしのない沈黙の持て余し方が脳核に焦げ付いている理由も、 別々に選んだ運命の上で初めて出会ったあなたとなら納得がいく。 エントランスの向こうに広がる白日に休符を羽織らせる空は、 天国にいちばん近い場所、 人が命を運んでいける最後の地上。 世相の体温は氷点を下回り、街の底の住人は冷凍中の心臓を抱えて、 自然解凍を待つ階段二段飛ばしの日差しを浴びて仕事に向かう。 死の淵から引き返してきたぼくに黙って今日も新しい一日が始まろうとしていた。 時代の主流から対極にある静かすぎた幸福の記憶を抱きしめて、 これからの人生に潜む怒鳴り声と悲嘆の叫びをどれだけ許すことができるだろう。 何も変わらない昨日と同じ朝日が、数キロ先のビルの谷間からぼくに届く。 そういえば、いつかもこんな冬の日だった。 弱虫ばかりが溢れる世界を静かに笑いながら、青春が終わったことを知る。 ぼくは今日、十八歳になった。
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ひめごと ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 239.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-01
コメント日時 2025-01-04
項目 | 全期間(2025/01/07現在) |
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叙情性 | 0 |
前衛性 | 0 |
可読性 | 0 |
エンタメ | 0 |
技巧 | 0 |
音韻 | 0 |
構成 | 0 |
総合ポイント | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
此の度は、歌誌「帆」自由詩掲載欄へとご投稿を賜りまして、允に有り難うございます。 此処で、重要なお報せなのでございますが、 第四号始動期間に大幅な変更がございます。然るに、皆様に於かれましてもご傾聴を賜りますと嬉しく存じ上げます。 第四号用草稿に附きましては、本年夏季-初秋季より始動、着手とのご意向へ遵いまして、募集をさせて頂きたく存じ上げます (つまり、当初予定より一箇年弱程猶予を置きましての募集と為ります)。 多くの皆様のご応募を賜りまして、允喜ばしく、感謝も頻りなのでございますが、投稿を為される地点にて、 上記の事情の斟酌の程を、何卒宜しくお願い申し上げます。 御作を、拝読させて頂きました。 修辞力、描写力、題材いずれを執りましても頭ひとつ、抜きんでていらっしゃる。 或る意味に於きまして、私小説的――純文学的手法を駆使なされた現代現実の一空間がくきやかに顕ち上がって来られます、秀作であると感受を致しました。 現実社会の時空に風穴を開けられますのは睦事――性愛か祭祀のみである、という事を良く解っていらっしゃれると。 作者様自身の、社会に対して為せます範囲範疇に対しまして非常に自覚的であり、 それでも「等身大」の抵抗を選択なされる意思は、非常に素晴らしいものであると感受を致します。 唯、気に掛かりますのは、此処迄熟成、熟達為された起草者としての精神を維持をしながら、不穏且つ、崩れ去らんとする(と、評者は感じております) 現代社会機構へと之から如何様に爪痕を残すのか、とう一点でございます。 折しも「十八歳になった」とう結句、末文ののちの、余白を如何にこれから生き、 文章の生業と為されて行かれるのか、非常に注目を致して居ります次第でございます。 将来が愉しみな、有望な御作であると感受を致しました事を伝えたくも存じ上げます。 それでは、復のご挑戦をお待ち申し上げております。 此の度は、ご応募ご投稿を賜り、允に有り難うございました。
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