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健気で美しい女優の誕生
一読してもらえば分かるように、この作品はまさしく魂の叫びとしての詩だ。さらに言えば女性的でしんなりとしていて、切々と訴えかけてくるようなトーンに満ちている。にもかかわらず僕は、この作品を半ば「しらけて」読んでしまっている自分に気づいたのだ。 "わたしはわたしじゃなくなった"、"こんな地獄から見たらそれすらも美しかった"、"溢れて零れ落ちちゃう前に"…大げさなと思った。たかだか失恋で、何を言ってるんだと思った。 しかし、そうであるにもかかわらず、いやだからこそ、僕はこの作品をたとえようもなく美しいと思った。この作品は言わば、この上なく純度の高い演技なのではないか。 作者のしゃけさんが演技するように書かれたのかどうかは分からない。最初に書いたように、文面だけ見れば切なる叫びにほかならない文章だ。演技に見えたのはあるいは、僕がたとえば暗に(そんなつもりはないのだけど)、「恋なんてものにうじうじ悩むのはくだらない」みたいな社会通念にまみれてしまっていて、そんな文脈を通してこの詩を読んでしまっていたということもあるのかもしれない。しかしたとえば、意識のうえでは魂からの叫びだとしても、無意識のうえでは艷やかきわまりない媚態を演じているのではないかーたとえばそんな風に考えると、この作品の奥行きがグッと深くなる気がするのは僕だけだろうか。いずれにせよ、この作品には「たくらみ」を見て取ることができる。 「わたしはわたしじゃなくなった気がした」とドーンと最初のうちに言ってしまうのは、読み手を演技にグッと引き込むためではないか。ほどなくして「どうしようもなく可哀想で、溢れて零れ落ちちゃう前に、なかったことにしたかった」と語られるけれど、その前に作者は自分で、「失恋だなんて。こんな地獄から見ればそれすらも"美しかった"」と語るのだ。 流れるような筆致の一筆書きに見えてそのじつ、あたかもすべてが計算され尽くされているようにも見える。皮肉でもなんでもなく、胸の底から、健気で美しい女優の誕生を祝ぎたい。
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健気で美しい女優の誕生 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 222.3
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作成日時 2024-12-12
コメント日時 2024-12-12