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苦痛への処世術:方向性 呼吸 イメージ
1.方向性 「一切皆苦」 生きるとは苦しみである 釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた時に心に浮かんだのが、この身も蓋もない事実である。(諸説あり) 釈迦はここから涅槃寂静の悟りへと至ったのだが、そう簡単にはいかない。 では、どうするべきだろう。 特に釈迦の時代の古代インドにいる訳でもない我らは。 それでも釈迦の言葉は取捨選択すればこの現代においても有益だ。 いい方向性がある。 自らを他人と引き比べて「優れている」とも「劣っている」とも「等しい」とも思うな。 諸々の言葉により自らの価値を判断しないようにせよ。 スッタニパータより まずはここから始めていこう。 冷徹なまでに客観視して、一切の感情を持たずに判断した様な状況でもないのなら、他人と自分の言葉に反応を止めてしまってもよい。 劣等感は時に、無駄で、暇つぶしで、妄想で、有害である。 優越感も様々な感情も、害悪である。 少なくとも、そういう一面がある。 大体今まで存在したいかなる人間は釈迦より優れていない。 何せ元一国の王子で、世界三大宗教の開祖になった人間である。 その点ではほぼ全ての人間は等しく釈迦より劣っている。 悟りを開いてない人間の価値は、釈迦の前では等しい。 賢者は称賛にも非難にも風の前の岩の様に動じる事はない。 ダンマパダより 多くの人がこのような釈迦が指し示した方向は、まず誰も見ない。 だから今、やって見ようと思う。 苦悩を表現した多くの作品の中で。 生きる限り莫大に存在する苦痛を脱出できるだろう方法を。 未だに苦痛に顔を歪めるこの自分自身が書き留めたとしても。 では、どうする。 数多くの人がやっている行為には毒性があるとしたら。 下手したら今の苦しみが、増幅されるような最悪の方法が皆がやる事柄であるなら。 釈迦が菩提樹の下で悟った事に先に出したが、また別な事も思い浮かんだ様だ。 四聖諦(四正諦とも)だ。 苦諦、集諦、滅諦、道諦からなる思考法である。 苦しみがあるとする(苦諦)、それには原因がある(集諦)、解決する方法がある(滅諦)、 それを実行する(道諦)このステップを踏むことで苦しみから逃れる事ができるという。 これはつまり苦しみとその解決法の言語化及び具体化である。 この世の大半の人は気合と根性による精神論以外の方法を現代にいたっても明示できない人ばかりだが、(自分はいままでそんな人にしか会った事がない)釈迦は明瞭に説いているのだ。 また三毒というものも釈迦は言い残した。 これは苦痛というのは三つにしか分類できないという事だ。 まず怒り。 感情だ。哀しみ、怨み、憎しみ、劣等感などもこれに入る。 次いで執着。 財産、地位、称賛、子供、思考、生命、成功などなどに対するものが相当する。 最悪かつ厄介極まりない物が、妄想。 怒りは強いが持続しないし、執着は弱く持続すると言われているが、妄想は強固かつ粘りつく様に存続する。 しかも思考自体が妄想という側面があり、じっとしているだけで妄想が暴走していく。 だが、これらを苦痛に遭遇した際に分けて整理してしまえば対応がしやすい。 怒りには慈悲をもって対応すればいい。中部経典にはその様な記載がある。 怒りを向けている存在へ、よくあるよう祈り、仕方ない事であると考える事で解決しやすくなる。 ただ釈迦が言っている箇所があるのだが、毒の根であり最上の甘味である、と怒りについて阿含経相応部経典の中で表現している。 怒りを始めとする感情には依存性・中毒性がある。 それが自覚できたのなら、呼吸をたくさんしてほしい。後で解説する。 (そう言われても出来ないと言うならマルクス・アウレリウスの言葉はどうだろう。 「物事に対して腹を立てるのは無益な事だ。なぜなら物事の方はそんな事お構いなしなのだから」 「よし、もし君が怒りによって破裂しそうになっても、彼はそれをし続けるだろう」 「彼は何を見誤ったのかを問うべきだ」 自省録より) 執着へは無常を思えばいい。 如何に権勢を誇る化物であってもいずれ朽ちていなくなるのだ。 (釈迦も誰も彼も死んだのだ。太陽かてその内爆発して跡形もなくなる) すべては良くも悪くも儚い。 故に、執着した物は全て儚く脆い。 儚く脆い物に苦しめられると知ったのなら、離れるやすくなる。 ゴキブリ以上に根絶が困難なのが、妄想である。 苦しみの根源である上に、対処法が困難極まりない。 大体、妄想のせいで怒りと執着が増大し負のスパイラルを形成する地獄を作り出していく。 ただそれでも対処法はある。呼吸による方法が有益だと思う。やはり後で解説したい。 具体的にしよう。 何か苦痛にまみれたとする。悪口を吐かれた、失敗したなど。 (ここで怒りを中心とした感情がその人自身に渦巻き、周囲からはさらに冷笑され罵倒されるのだが) ただ、それを自覚する。そのような悪い状態に陥っていると、そこは判断する。過度には判断しない。過度な判断は妄想になる。(苦諦) この今現在の苦痛には原因があるはずだと察し、原因の究明に乗り出す。 多くの人々の中傷は表面的で不適切で無意味な場合も多く、それでいて原因を示している事もあり、人々の余計な言葉を無視して必要な情報だけを抽出して根源的な困難を見据える。 見つけられなくても、考え続け、探し続け、注意を続ける。 あらゆる怒りに惑わされる事なく。(集諦) 見出した適切な手段方法を用いて、脱出を試みる。 苦痛に悶えている状態に執着して安心している事もあるが、できる限りの客観視を自分に向けてより苦痛のない方向に向かう。(滅諦) 怒り狂っている事が楽しくて仕方ない事もあるが、それは自らと他を無駄に苦しめると察知して、感情をあまり持たずに、見出した適切な方法に集中する。 妄想を妄想と断じて、惑わされる事なく。(道諦) 一部自己解釈が入っているので仏教から離れている箇所はあるだろうが、有益だろう。 もちろん全ての苦痛がこれで簡易に脱出できるわけではない。 それでも苦痛の言語化、具体化というほぼ誰も言わない事を行い、三毒という厄介な代物を明確化してそれを避けていくという何者も指摘しない行為をしていくのは、無限の苦痛苦難を乗り越える方法になり得ると思う。 2・呼吸 比丘達よ出入息観を養成し、強化すれば、大きな効果があり、大きな利益がある。 阿含経中部経典 出入息観より 「呼吸」「リラックス」「姿勢」「動き続ける」 システマ 四原則 「呼吸」「姿勢」「脱力」「調和」 影武流合気体術 四大原理 ここで仏教の中でも特に古い経典とウクライナのコサックにルーツがあるロシア軍軍隊格闘術・システマと武田信玄の時代から続いてきた一子相伝を元にした武術・影武流に予想外の一致がある。 呼吸を重要視しているのだ。 手元にある情報が多い原始仏教とシステマの呼吸について有益な情報を書いていこうと思う。 入出息念について書いてみよう。 ただそのままだと原始仏典独特の冗長な言い回しになるので端折っていく。 一言で言えば、 「意識して息を吐き、意識して息を吸う」になるようだ。 ここから「息を長く吐き、吸う」「息を短く吐き、吸う」「身体を感知して息を吐き、吸う」などと進んでいく。 最終的には煩悩を捨て去るのを凝視して息をするまでに至る。 これはどうも原始仏教の系統の話でよく出てくるサティに通じてくると思う。 サティとは「気づき」の意味で体や感情を感じ続ける修行法になる。 原始仏教系の無所属の僧侶である草薙龍瞬氏によると、このサティはかなり強力な方法であるらしく、いかなる災難においてもこれを厳密に実践しているだけで一切動じる事がないそうだ。 草薙氏は足の裏の感覚を注視する方法を良くとっているらしいが、これ書いてる自分では足の裏の感覚が鈍く、上手くいかない。 ただ、呼吸による方法はまだやり易い。 ふと時間が余った際、「息を吐き、吸う」と言うのをやるだけでも精神は落ち着いてくる。 少なくとも習慣的にやれば、効果はある。 システマはロシア軍の特殊部隊で採用されている武術的技術だ。 このシステマについては本や動画でしか知らないが、今のロシア軍の前時代的で粗暴な印象と相当違う世界が広がっている。 おそらく過酷な状況下で実践している内に仏教的な物に収斂していったのだと思う。 呼吸に関しては修行的な側面のある仏教より、実践的でやり易くなっている。 このシステマの特徴が相手に打ち勝つ事を目的にしておらず、生き残る事を最重要視している点だ。 どんな状況でも生き残るために、呼吸を始めとする四原則をするのだ。 システマ創始者であるミカエル・リャブコ氏はシステマを極めたらどうなるかという問いに対し、こう答えている。 「特別な人になるわけではない。普通の人になるのだ」 システマ東京のインストラクターである北川貴英氏の著作から抜粋していこう。 極論すると、たくさん呼吸すればいいようだ。 まず基礎。 鼻から息を吸い。(口からではなく。鼻が詰まってるなら別) 口を軽くすぼめて快適な深さで呼吸する。 これだけである。 これができなくなってしまうのがストレス下である。 でも呼吸ができなくなったからストレスにやられている可能性がある。 と言うのも生命の維持の為に意思と関係なく行われている生体反応の中で、唯一呼吸だけは自分の意思である程度制御できるのだと言う。 意思と本来制御不能である生体反応を繋ぎ、影響を与える事ができる方法が呼吸だという。 不安や緊張に陥った時、呼吸はどうだろう。 正常とは違っているはずだ。なら。呼吸をいつもの状態にすれば回復できるかもしれない。 システマトロント本部のシステマ・マスターであるヴラディミア・ヴァシリエフ氏はこう言ったそうだ。 「相手のナイフではなく、あなたの呼吸に集中しなさい」 相手がナイフを持った状態での訓練の際、北川氏にこうアドバイスしたらしく、実際このようにすると恐怖心が軽減され、動きやすくなったエピソードがある。 原因明白なストレスに対しても同じく呼吸に集中する事でそこから脱出できるだろう。 また緊急的な呼吸法があり、かなり有益だと思う。 バースト・ブリージングという方法だ。 これは痛みを堪える方法として認知されているが、実際は痛みを始めとするあらゆる通所の呼吸では対処できないストレスに対して、それを軽減するためのものである。 鼻から息を吸い、口から吐き、胸や腹など体の一部を使わない。 口から吐いた反動で自然に鼻から息を吸う。 あまり呼吸のスピードを上げない。I一秒に一回程度の速度。体で呼吸を感じられる程度にする。正しくやれば自然と呼吸は速くなる。 無理にやらない。(無理にやってもストレスの軽減にはあまり繋がらない。失敗経験あります) いつも何気なくやって、ないがしろになっているのが呼吸だろう。 その呼吸によって、厄介なこの浮世を克服し、生存しうる方法を仏と武術家は説いている。 3.イメージ 二重作拓也氏と言う医学の知見を格闘技やスポーツに生かし方を表している方がいる。 これが具体的で有益性がある。 例えば、手を全力で握るとする。 次に「手が石のように固くなる」とイメージしながら手を握ると違いがあるだろうか? やってみるとイメージを持った方が明らかに強く手を握れるのだ。 これを自分なりに応用している。 ストレスを強く喰らうと頭の中に塊の様な物ができる事が最近わかってきた。もしかしたら頭に血が昇っている感覚なのかもしれない。(あくまでこれ書いている奴の主観です) これはおそらく緊張だ。ほぐす必要がある。ほぐせば、問題なくなるはずだ。 だから、その頭の塊が「バターのように溶けていく」とイメージする。 これだけで、ストレスがかなり軽減できると感じている。 (思い起せば中国拳法を題材にした漫画、拳児の中にもそんな修行法があった。 氷を手にしているなどのイメージを持ちながら拳法の動作をするのが秘密の修行法とか描かれていた) また体の一部に違和感、塊、筋肉のこわばりなどの異常を自覚できたのなら、システマ式のリラックス法であるディープ・リラクゼーションをさらに組み合わせれば有益かもしれない。 やり方としては 楽な姿勢を取る。 鼻から息を吸いながら全身に力を込める。それをキープしながら全身をチェックし緩みがあればそこに力を込める。 口から息を吐き全身を緩め、リラックスをする。 (詳しくは「最強のリラックス」北川貴英 マガジンハウスにて) これを体の一部に力を込めるやり方があり、個人的にはこれを頭の塊に向けてやっている。 取り合えず以上です。もしかしたらまた書くかもしれません。 この世の素粒子の数ほどに苦痛や苦悩は存在しますが、先人たちの善い言葉と明確な技術により克服は不可能ではないと思います。 ただひたすら呼吸をしている事を感じ続けるだけでよいのです。 最後にいくつか言葉を。様々な命が良くありますように。 「自分の悪い所を数え上げてはいけません。自信を失ってしまうだけでしょう」 システマ・マスター ヴァレンティン・タラノフ 「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は絶えず掘り下げさえすれば絶えず湧き出るだろう」 マルクス・アウレリウス 自省録より 「勤め励むのを楽しめ。心を守れ、自己を難所から救い出せ。沼に落ち込んだ象のように」 釈迦 ダンマパダより 参考文献 ブッダの真理の言葉 感嘆の言葉 中村元訳 岩波文庫 ブッダのことば 中村元訳 岩波文庫 こころを洗う技術 草薙龍瞬 SBクリエイティブ 自省録 マルクス・アウレリウス 神谷美恵子訳 岩波文庫 原始仏典 中部経典Ⅱ 中村元監修 森祖道 浪花宣明編集 浪花宣明訳 春秋社 最強の呼吸法 システマ・ブリージング 北川貴英 マガジンハウス 究極のリラックス システマ・リラクゼーション 北川貴英 マガジンハウス 逆境に強い心のつくり方 北川貴英 PHP文庫 可能性にアクセスする パフォーマンス医学 二重作拓也 星海社新書
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苦痛への処世術:方向性 呼吸 イメージ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 227.2
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作成日時 2024-11-04
コメント日時 2024-11-05
項目 | 全期間(2024/11/15現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ヨガ的な処世術は勉強していた時期がありましたが、貧乏人のお供という感じでしょうか。 健康やメンタルヘルスといったテーマは、どんな人にも興味をそそるもの。 怒りも苦しみも根拠がなくその説明も出来なければ妄念で終わってしまうでしょう。怒りが人を動かすとすれば闘争もまた人生の本質です。ブッダの説く悟りの境地は知恵者として念頭に置いておきたいものですが、誰もがその生き方を出来るものではない。要は距離感。ブッダジーザスアーメンマハラータ般若ハラミッダ。
0最近のビーレビューに投稿された作品が苦痛を訴えかける物が多いという印象があり、それならば自分なりに苦痛から脱するのに資する技術と方法を感情をできるだけ交えず、原始仏教やシステマなどの文献を根拠に綴ってみようと思い立ちました。 それでも合わない方には合わないのは事実ですし、仕方のない事です。 そのような方には、何か良くあるのに有益な何を見つけられる事を祈るのみです。 ただそれでも呼吸をしているという意識を持ち続ける、これだけでもとても苦痛を除けると今月に入りようやくわかった自分がここにいるのも事実です。 仏陀にはなることはできなくとも、普通の人間になる事は不可能ではないでしょう。 相手が差し出してきたナイフではなく自らの呼吸に集中して、生き延びつつ、善と言える自らの泉を掘りながら。
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