願わくは - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

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羽田恭

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あなたへ

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きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

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海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

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きょこち(久遠恭子)

紫の香り

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きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

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きょこち(久遠恭子)

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あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

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もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

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願わくは    

祖父母を葬送した日の空のように晴れた朝が来た時 私がいつも歩いてゆく歩道は 始点から終点まで坂の上り下りの連続である 乾いた坂を登ってゆけば 自ずと明るい空を仰ぎ 坂を下ってゆけば 特に低い地が水に濡れている その水が尽きているのを私は見たことがない 従兄弟の家の裏山で見かける涙のような沢を思い出す 片脇の藪からちょろちょろ流れ出ているその水を 一跨ぎして私はまた乾いた斜面を登る 広く見え始める空は 陽に映えた古いブルージーンズのような色をしている 視覚がこのように美しさを感じることができるのは 自分の心が前向きになっている証拠だ 本当にそんな朝は前向きになれていて 父母のように逞しく生きていけそうだ 昔の苦しみ悲しみはまさに 軽い雲の一片のように遠く去っている それからまた坂が下りになると 今度は溝が丁寧に整備された土地に着き そこで短い距離の横断歩道の信号をしばしば待つ 横断歩道を渡ると一つバス停があるけれど 私の行き先には行かないバスが来てやり過ごす そのバス停を過ぎると歩道は緩やかな上り坂になる でも登っている間にいつしか下り坂に変じている そんな不思議な道だ そうして進んでゆけば平坦な国道に出て すぐそこの写真館の前のバス停に並ぶ 振り返って自分が住んでいる遠い丘を見上げる やがて急行のバスがやって来て 私はそれに乗り込み 出発するのである どこへ それはいつもたいして違いはなく 同じような場所に向かうのである 願わくはこれからもこのような日常が続きますように 今までこのような日常を送ることができてきたことに 感謝の思いを抱きつつ



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願わくは ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 10
P V 数 : 479.5
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2024-10-15
コメント日時 2024-10-17
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/10/19現在)
叙情性0
前衛性0
可読性0
エンタメ0
技巧0
音韻0
構成0
総合ポイント0
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合00
閲覧指数:479.5
2024/10/19 07時24分48秒現在
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    作品に書かれた推薦文

願わくは コメントセクション

コメント数(10)
stereotype2085
作品へ
(2024-10-15)

祖父母を葬送した日の空のように、というフレーズが最高ですね。そのあと晴れた朝が、来た時、と二段、三段構えになるのが惜しいと思いました。僕だったら、あくまで僕だったら、この祖父母を葬送した空のように、というフレーズを単体でもっと活かしますね。詩の内容は、自分の系譜をたどりながら、また新しく生きていくという感じでしょうか。にしても、先に指摘したフレーズが最高でした。もっと活かせなかったかなー!と絶叫気味に。自分でも笑ってしまいますが。

1
yasu.na
stereotype2085さんへ
(2024-10-15)

 お読み下さりありがとうございます。最高と評されるフレーズが書けたことをうれしく思います。ただ正確に言うと、私はこの作に関しては「書いた」というより「言った」という感じです。「肉声」ですね。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-10-16)

日常の光景を読み取った詩で澱みなく綺麗に書かれています。 特に~陽に映えた古いブルージーンズのような色をしている。ここの表現はまさに遠近感を空に感じるいい表現だと思いますが、 後半部にさしかかる~私の行き先は行かないバスが来てやり過ごす。ここが緩くなってしまった。~行き先は行かない~行かないではなくて、~辿り着かないバスが来て~か、何かでしょうね。 その情景を描こうとしている作りの詩なのですが、全体的に変化に乏しくて、思う祖父母、父母へのイメージが薄く感じられます。 後半部、  ~  どこへ、  それはいつもたいした違いはなく~ その想いを頂点に据えるとするならばこの後くらいに一行でしょうか。 何か身近な光景で想い出す掌(たなごころ)を比喩にでもされ展開表現としてインパクトに置いてみる。というのも有りかな、とは感じます。

1
yasu.na
メルモsアラガイsさんへ
(2024-10-16)

 お読み下さりありがとうございます。詩を「書く」のと詩を「言う」のとではちょっと要領が違うかと思っていて、「書く」となるとテクニックに重く気をつかい全体の重量も増す、肉声で「言う」なら締まりが緩くなりがちで平たくなるかと感じます。今回、私は「言う」ということをやってみました。柔らかいものに仕上げたかったのです。でも怠けたわけではなくて、ところどころに気をつけた「表現」を差してみました。親族をあらわす名詞も入れました。今作の意味は実のところ日常の情景を描くことではなく、人間の人生が高みから起伏を持ちつつ下ってゆき、しかも完成へと向かうことを描くことでした。でも、日常を描いたものであると感じていただいても、それはそれで良いのです。柔らかく自由に読める、こういうことも詩にとって大切かと思います。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-10-16)

文中から引き出したタイトルといい、わりに淡々と書かれてあるな。と思えるのは試行にみるそれですか。ならば納得できます。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
yasu.naさんへ
(2024-10-16)

返信で「書いた」と「言った」の違いのような解答を書かれていましたね。読んでなかったのですが、「書く」と「言う」の違い。しかし同じ書くという行為に於いて、言う、とはどのような思考(試行)でお書きになったのでしょうか?例えばナレーションのような詠みをまたは日記を念頭に、とか…?   でもですね。同じ詩を書くという行為に於いては「書く」も「言う」にも表現としての違いはみられないはずで、それをもしも意識的に書かれたとするならば、それは単なる「雑記」或いは「日記」として読まれなければならなくなってしまう。この論評は間違っているでしょうか?

0
yasu.na
メルモsアラガイsさんへ
(2024-10-17)

 まず、今回私がここに言った『願わくは』と題する詩についてどんな論評が出てきても、それが正しいか間違っているかを明らかにする必要はないでしょう。自由なことだと思うからです。その上でなお関心をもって考えるのがいいのは、詩を書く、詩を言う、この二つの行為がどう違うかだと思います。  何にも起因せずに言葉を使う人はいません。叫びやおしゃべりもそうであるし、練りに練られた文もそうでしょう。そういうものの中で、詩はどの辺りに位置づけられるか考えたとき、おおかた、練られた文に近いと答える人が多いと思われます。  練って言葉を書く、これは大事なことですが、やりすぎて、読もうとしても大変であったり、全然分からないということになったりもするのは誰しも経験することでしょう。特に詩なんて、そうなりがちです。技巧のかたまり、深い比喩、押韻、珍しい題材、そういう言葉の普請の結果が詩として提出されることが多いと思います。  そういう詩から私は離れたいと思い、では、そういう詩を書くのではなく、そうではない詩を言ってみたらどうかと思ったのです。肉声で言う、こういうことです。図書館にある視聴覚資料で、吉本隆明や小林秀雄や正宗白鳥の講演・インタビューを聴いたことがあるのですが、当然ながら、彼らが肉声で話すのを聴くのは彼らの著書を読むのとは違う楽しさがありました。言うって良いな、と。  今回私が「言った」詩が、どれだけ言葉の普請である「書いた」詩から離れることができているかは読まれた人の感覚に頼むしかありません。技巧がまったく無いとは言い切れないし、比喩だってあります。が、ここまで述べてきたことが、『願わくは』に私が込めた思いです。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
yasu.naさんへ
(2024-10-17)

例えば音ですね。録音でもしない限り残らない。もちろん残響としては残るでしょう。しかし言葉たちは違う。一度書き込まれてしまえばそれは記録として残る。即興的に詠んだ詩を残してみようと思われたのでしょうか?言う、という行為には実在(リアル)としての時空が在り、そのような発語を書き残してしまえばそれはもう過去になりますよね。なので、書き言葉はあくまでも書き言葉なのです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-10-17)

勘違いされてよくわからないことをおっしゃってる。例えば独白なんて言う形式も語りかけるように言う詩ですよ。言う、も言葉として書かれれば詩にも成り得てそれは既に書き言葉なのです。

0
メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-10-17)

なんか、こっちまで可笑しくなりそうだ。笑。誰か、ソシュールでも持ち出して、理論立てて説明してやってくれ。と思ってしまう。

0
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