うねりがあった。そのうねりが、空のものなのか、炎のものなのか、存在のものなのか、臓器のものなのか、言葉のものなのか、人間のものなのか、裏返った背中のことなのか、ヒキガエルの母性のことなのか、もしくは「はるかなもの」なのか、僕は知らない。うねりは導かれて、しかし凍るような痛みを伴いながら、世界に道を作った。うねりの通った過去は空間となり、空間はうねりとなり、うねりは四方八方に散らばりながら、うねっていた。原初のうねり、つまり白痴のうねりは空転と散逸を繰り返しながら、片足だけの鹿のように呻いていた。
(うねりだ)
(うねりが来るぞ!)
(蜂蜜と牝牛は川へ投げろ!)
粘膜の震えがうねりなのではなく、キメラがうねりなのではなかった。太陽に看取られながら、次々と僧侶がうねり始めると、読経や念仏もうねりはじめ、とうの昔にカリ・ユガの時代は到来していた。
人々が、何も起きていないような顔をして歩いている。腐臭がなめらかに都会へ忍び込み、曲線となった人々は機械の汁と成り果て、廃墟にみのる果実となった。不安の果実は大地へ滴り、精液をばら撒き、受精することなく大地が湿った。大地は神々への不安、人間への絶望から己へ回帰する。一つの危機と化した大地は轟きながら自己の中心を目指し、不安を暖め、安心を唾棄した。
秋が過ぎ、冬が過ぎ、春がすぎ、また神話の時間が始まる。一掃された「はるかなもの」の不在の場所に、忘れられた模様がうねっていた。思考の去った平面に、かつて永遠を目指した瞬きが光る。僕は寂しくなって、また大地を湿らせる。
メッチャかっこよいなー読んでて久々にワックワクした。こういうのかきたい!そういうセンスないけど!とても好き良きです!
0うねりの由来。問われますが分かりません。「うねり」と言う結果、その結果の効果、うねりの現在だけは分かる。うねりに狼狽(うろた)える。カリユガは調べました。世の平穏に対する疑問。季節の推移の中で大地を湿らせる行為。これが何を意味するのか、詩の核心部分だと思いました。
0なにか気になるところがある作品ではあるが なぜか2度読みはしたくない不思議な詩。
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