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birth
爛れたような僕の内部に いくつになったのって問いかけた 生まれて こんなに生きてもまだ 自分のことばかり 思って 悩んで ろうそくの火がまた一本増えても それを一息で吹き消そうとしても 僕の内部は乾かない 宇宙という果てないホールには 生きてきた証が いっぱい立っている 覗き込めるものは こんなに膨張しているのに 万華鏡には 自分ばかりが 華やいでいる おめでとうってことばが 原子の僕を 震わして 鳴りやまない
birth ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 952.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-02-18
コメント日時 2018-02-22
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
お誕生日をお祝いするのは、いくつくらいまででしょう・・・ 十代後半くらいから遠ざかって、また古戸もが生まれた頃から復活する・・・そんなパターンが多いかもしれません。 内部をのぞきこむ。このイメージが、まるで子宮のなかをのぞいているような質感があり、しかもその「内部」がミクロコスモスとしての自己の内面へと無理なくスライドしていく。 自らについて問いかける、それが存在「の観念」への自覚だとするなら・・・自分の中心で、自分のことなどまったく意に介さなかった子供時代から、自分を外から、客体として見る思春期を経て、人は「大人」になっていく。 「大人」とは、存在の意味とか、意義といった答えの出ない問を問うことを、時間のムダ、と諦めてしまう人のことだと、勝手に思っているのです。 その問を諦めない人が、大人になりきれないまま、詩にとらわれたり、美にとらわれたりするような気がします。 いくら客体視しても、自らの「ほんとう」を捉えることは出来ない、そのもどかしさを知りながら、自らを問うことをやめられない。 万華鏡のイメージに展開し、ミクロコスモスにおいて原子レベルまで自己を細分化するという思考実験を試みつつ、その原子が内部空間を満たし、誕生の驚きをさざ波のように伝え、響きあっている。遍在する自己という難しいテーマを、比較的易しい言葉や、イメージしやすい比喩で捉えているところが素敵な作品でした。
0古戸もが→子供が でした。
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