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ワルくなってみる
服装の乱れは心の乱れ そんな風に思って服装を変えてみた 少しワルくなった やったね ワルくなって作り出した鉄壁の友情を 誰も壊せない 空に雲が浮かぶ それは誰かが作り出したものではない しかし私たちが作り出せたものが いかに偉大なる価値を持つか みんななら知っているよね きっと大人になったらもう一度わかるよね みんなの頭の中や顔は誰一人として変じゃない 変じゃない私たちは自信をもって言おう 私たちはとても立派
ワルくなってみる ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 676.1
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投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-02
コメント日時 2024-09-05
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
バージョンを打ち間違えました、以下が最新のものです。 ワルくなってみる 服装の乱れは心の乱れ そんな風に思って服装を変えてみた 少しワルくなった やったね ワルくなって作り出した鉄壁の友情を 誰も壊せない 勉強のできない私たちには ほかに自己を表す方法がなかった 空に雲が浮かぶ それは誰かが作り出したものではない しかし私たちが作り出せたものが いかに偉大なる価値を持つか みんななら知っているよね きっと大人になったらもう一度わかるよね みんなの頭の中や顔は誰一人として変じゃない 変じゃない私たちは自信をもって言おう 私たちはとても立派
0普遍的で公共性のあるメッセージだけど、キッチンハイターで除菌されたように無味無臭。黒髪さんの作品は良くも悪くも骨格標本みたいで肉感がない。 あと「知っているよね」「わかるよね」、この押しの強すぎる共通認識がちょっといやらしいかなと思った。 ラストは「私たちはとても変」のほうが個人的には良かったですね
1無味無臭、肉感がない、僕は、他の人の詩を読んでも、そのような詩しか良いと受け取れないので、 詩とはそういったものが良いのだ、と思っています。あるいは、感覚器官が正常でないために、 肉感という言葉に、あまりはっきりとした考えをもって受け取ることができません。 石川啄木とか、中原中也とか、萩原朔太郎とか、あまりいいと思えないのです。 なるべく総合的に考え、良い詩が書けるようになりたいですが、 なまぐさいのが好きじゃないのです。私が生きて来て、普通の人が普通に評価する詩というのは、 僕のような詩じゃないか、と、自分なりに思うようになりました。はっきり言って、文極 とか極めて好きじゃないのです。子供の頃の気持ちを大切にしたいです。そういう価値観です。 もしもっと肉感のある詩を書くとすれば、フロイトなどの心理学に従った追及をした上で、 良い詩を書くような方向で考えたいです。以前、バイト先のコーヒー豆屋のマスターに、僕の 詩を見せたところ、「血」であるとか書いてあるので、気持ちが悪くて読めない、と言われ ました。普通の人と言うのは、詩に関してそうした思いを持っていると思うのですよね。 だから僕も、そのことがあってから、反省し、世間一般に通用するような詩を書きたい、 と思いました。 だから、普遍的で公共性のあるメッセージで、いいんじゃないかなと僕は思っているのです。 まだ眼が治りきっていないので、自分の考えが正しいのやら間違っているのやら、 広い視野がないために定めることができません。狭い世界しかおみせできていないのだと したら、忸怩たるものがあります。コメントくださって、ありがとうございます。
2これほどまでに面白くないマヂレス今までに見たことない。笑 黒髪さんは立派なWARU
1こんにちは。僕は、中学校くらいのとき、龍のバックルとかを、友達と買いに行きました。 高校になった時、勇気を出してワンタックの制服のズボンを買いました。そうするのが、 かっこよかったからです。ケンカは必要、おしゃれにキメて、反抗精神学びましたよ。 実際には、無傷害を守らないといけないので、ケンカはできないのですが、ワルということが、 親鸞聖人以来、無条件にいけないことと決めつけては、社会が成り立たないということかと 思っています。織田信長なんて、比叡山の焼き討ちとか、何十万人もの殺害に関っている ようですが、今の人々は、英雄として受け入れていますね。織田信長が救った命も、 数多くあるのです。こころさえ立派なら、WARUだって、いいものです。運命による 縁に対して、自ら正しいと思うところを、実行していくしかないのです。そして、 世の人たちは、公正なる判断をして、社会が壊れないように、大切なものを壊さないように、 きちんと守っているのだと思います。WARUって、人の心の一部分ですよ。 母親が教えた審級に対して、自らの力で生きて行く人々の全てを、僕は応援したいと思います。 誰一人として、間違っている人はいません。つるし上げられ、殺される人に対して、 無慈悲に野次馬になり、ヤジを飛ばすというのだとしたら、人間というものに、 落胆してしまいます。僕は、人というものの本性は、素晴らしいものであり、決して おろそかに扱ってはいけないものだと思っています。
0豆 挽いてみる ミルで 挽いてみる ワルくなってから ヨクなってみる エスプレッソはミルクで割る 龍のバックル買ってみる ワンタックなってみる 抹茶ラテミルク WARUWARUさせてよ ワルくなつてみつちまつた 悲しみに 豆挽きマスターも どん引きの流血ポエム やっぱり ヨクなってみる
1>まだ眼が治りきっていないので 以前黒髪さんのブログを見せて頂いた時、眼鏡について書かれていた記事が目に留まりました。とても興味深い記事だったのを今でも覚えていますが、それとはまた違う何かしらの事情があるのでしょうか。 隣町のコーヒー豆屋のマスターも、その詩を見せたら同じような反応をしますかね。誰しも公的な対応しかできない場面というのがある、私的な意見が出しにくい立場であるとか。親兄弟ですらネットポエマーだなんて言ったら鼻で笑うでしょうし、世間の理解なんて無いに等しいですもの。 読者は思う以上にわがままで、臭みやえぐみ、ある程度のドラマも私は欲しいわけです。さらりと大筋の輪郭しか描かれてないけど、 >少しわるくなった どこからの少しなのか、何に比べてわるくなったのか、お肉がついてなくて貧相なので迫力に欠けるし、つるぺたで入ってこないじゃないですか。 >変じゃない私たち どこがどのようにどうだから変じゃないんだといった、変じゃない根拠が欲しいかなと思いました。変か変じゃないのかの判断は各々がするもんで、そこは委ねて欲しいところで、それをする楽しみまで与えないのはワルですが、やっぱりコメントへの返事のような具体性が私はほしいですかね
1返詩をありがとうございます。そうですね、ワルくなって、悲しくなったから、 流血ポエムを書くことになり、豆挽きのマスターが、それを的確に指摘した。 やはりこの世は、より正常になる、という働きを備えているようです。 人間ってそういうものかなあと思います。中原中也の詩を、見直しました。 私の人生で、得ていないものだったから、それらを受け入れることができなかったのですかね。
0こんにちは。そうなんですよね。黒髪さんは肉感?を持った詩を受けとめることができない。 私は先のマジレス、結構、慎重に考えています。 その、昔は筆力って言ったんですけれど、筆力を鍛錬したいときに、その先の肉感を誇張して 表現するって一般的なパターンだとして、黒髪さんはそのゲームに明確にノーと言っているのかな、と。 でもそれだと、筆力を前提としたボクシングといえばボクシングが、殴り合いに参加できないんすよね。 あっお茶飲んでます。 ぱーっと思いつくのが谷川俊太郎とかですかね。個人的に彼はもう別設定に置かれて 詩人の肉感に対するアンチテーゼなんじゃないかとか思いますね。 この作品を読む限り、欲求があってそれに敵ってる、って書いているだけだと思うんで それはいいんですけれど、まあアンテナを広げてゆくしかないですよね。そういう戦法だと。
1そうですね、眼鏡なんですよ。マスターは、以前は横浜辺りでサラリーマンをしていて、 退社しなければなくなり、そのとき会社に世話してもらった中で選んだのが、コーヒー豆 の焙煎、挽売りの仕事です。まっとうと言えるような長年を社会で過ごした方だったため、 良識と言うものを備えていらっしゃり、私の詩へも、そういう観点からコメントをくださったのです。 当然私は反発しましたが、心の奥では、マスターが正しいと、思っていたのでしょう。 人から変って言われると、傷つくでしょう。それを受け入れ、まともになること、 こうしなければ、社会での発言力、そしてその説得力がなくなります。ドアーズの 楽曲、「people are strange」をご紹介します。 https://www.youtube.com/watch?v=AgHaGrZkkv4 変であると、人から避けられるんですよ。孤独の中で探すものは何?
0谷川俊太郎、ですか。確かに彼は、方向としては悪くない。でも、実力が足りない気がする。 私の場合では、論理に従って、私とみんな、ということに関する哲学的というような感じの、 命題を提示しています。そこは、読者に考えてもらい、読者に同じになってもらって、 共有したいところです。あらゆる友達たち、ワルたちの、無念を晴らそうとして、 こういう詩を書きました。過去のことを書いたのですが、それを現在とらえ直したところ、 大きな意味があることに気づいたのです。良いだけではなく、悪いということに、 立場を与えたい。この、中学高校のワルというのは、本当には悪くない、ということです。 心さえ正しければ、やくざだって悪くない。入院中に、やくざの人と、おしゃべりしたんですよ。 立派にご家族養っておられ、尊敬をしました。その人は、良い漢になりたかっただけなんです。 コメントくださり、ありがとうございます。
1「嘘つき」ってのが悪だとするでしょう。でも「俺は嘘つきだ」とその人が認めたとき それ「正直者」だものね。
1そうですね、反省して断捨離するならば、全ての生き物が光の恩恵を受けることを見て、 自らの自然性に従わなければなりません。恐れによって不平等からの差別が生じ、 憎み合って生きるのは、厳しいことだと誰だって分かります。自らの状態を、 きちんと見定める勇気を持たなくてはならないと思います。歴史的に、小さな 個人の決断が、哲学史といったものに、大きな影響を与えるものですから、それを見れば エポックメイキングな現代において、各人の持つ筆の力で、世界はどれだけでも 良い方へ変わって行くだろうと思います。
1詩も小説も「好き」という感情を「好き」と書いてしまっては意味がなくなるのではないかと時々思います。「ワルい」やつらがなぜ本当は「ワル」くないのかをその言葉たちを使わずに言わなければ、余白がなくなって窮屈になるような気がします。 これを肉感的とおっしゃるならば、そうならない様な言葉を見つけるしかないでしょう。
1“おれに頭を下げさせたやつらは全員死ね” (石川啄木)。啄木本人は生前かなりひでえやつだったそうです。 朝鮮人あまた殺され その血百里の間に連なれり われ怒りて視る、なんの惨虐ぞ(萩原朔太郎)。 百年前に関東大震災が発生した際、朝鮮人や日本人への日本人による蛮行があったと記録されています。詩人の萩原本人は上記に挙げた詩、ことばをいつどこでどのような気持ちや気概があって記したのか。『雲雀料理』などのイメージからは隔たりを感じさせるものですが、おかまいなしに刻みつけた時詩、記録詩などからその倫理観を興味深く思います。 やるなと言われたならやりたくなる、そうした性向なり志向なりが一方ではたしかにあるのかもしれません。正義や善悪。素顔とマスクの関係は興味深いです。
1――史上最悪のワルは、 ――善人ぶった独善家だと思います 家では優しいお父さんも、 あえて金を稼ぐためには非道も問わない 夢見る妻には説明のしようがない 判ってくれるのは愛人だけだ 家族を守るために、 植民地を作り、 奴隷貿易を行い、 武器を売るために戦争を行い、 敵にも味方にも等しく武器弾薬をばらまき、 街を壊し、 多くの船を沈め、 大勢の死傷者を作り、 病院を建て、 船を造り、 街を復興し、 元気が出るクスリを飲ませ、 反戦ソングの歌とベビーカーを売ってきたのだ ご覧よ、 星が燃えている あれは修羅の星だ もうボクたちは二度と苦しむことはない 愛する妻よ、眼を閉じてお眠り 子どもたち、おやすみ あともう少しで天国に行けるよ 何も心配しなくて良い パパと ママと おまえたち、 みんなで天国へ行くんだ この星が燃え尽きたとき、もうそこは天国なんだ
1うーん、好き、とストレートに書かず、外の言葉で、ということですが、僕は、好きならば 好きと書けばいいと思ってしまいます。僕は、詩はストレートに書くべきだと思います。 五木さんがおっしゃっていることも分かるのですが、僕は今はそうした考えです。 好きな人に対して好き、と言うのが普通である以上、詩においても、好き、というのが 正しいんじゃないかと。
0素顔とマスク、という言葉を興味深く見ました。それにしても、萩原朔太郎はやっぱり好きになれない。 相性が悪いんでしょうか。僕は、大学や寮時代、自分が悪いんだ、自分が悪いんだと思って、 徹底的に自己を批判したのですが、行動として、愚かなことしかできなかった。それで、 朔太郎はきちんと自分を批判していたかな、と思って、見るところです。
1atsuchan69さん、こんにちは。なんというのか、そういう歴史に残るような 典型的な悪人(ポル・ポトとか)は、自己批判ができないのですね。 幼児期の、母からの養育に問題があってそうなるのかなあと思うのですが、 悪人の精神を分析して、反省できるように言葉をかけてあげたいです。 そうしないと、その人が救われないままですからね。 あらゆる悪も偽善も独善も耳にし、目にしてきました。眼が悪いので、 それらを総合することがまだできないですが、各個別の事例をしっかりと 把握して、その上で人間精神の処方箋を作らなくてはいけないな、と思っている所です。 実際の、危険極まりない世界情勢では、足の引っ張り合いなどしている場合ではない というのに。立派であるべき政治家に、早く立ち直って欲しいと思うのです。 未来は、まだ決まっていない。善業善果、悪業悪果、集団的にもそうなる。 国のかじ取りを、うまくしなければ、星が滅んでしまいますね。 悪夢が世を覆い、苦を身に受けることによって、なにくそと精神が磨かれる。 各人の経験と言うものから、善が生まれるのだろうな、と僕は考えています。 反省をしなければいけないのですね。反省をしない政治家が、一番信用ならない。
1なんとなく返詩を。 服装の乱れは心の乱れ だとしたらこの服装はどうなのか 真夏の中汗だくになりながら 下痢便がかかり 好奇心任せの口が しゃぶり付いてくる 汚れ切った ツナギ ワルくなったのか ワルくさせられたのか 無邪気かつ 警戒している顔が 無数に見つめてくる 牛たちの中にいて 自己を表現する意味もなく ただ汚れ切った服で 右往左往し続ける 空に雲に浮かんだような模様の ホルスタイン柄の和牛とのF1雑種がこっちに来る お前らが食肉として ブランド肉になるのを 掌合わせて 感謝する 過去もなく未来もない 牛たちの 絶対的な今の為に ワルくなるべきなのならそうなろう 牛が尻をどついてくる 体重200キロ越えしてきたらシャレにならない
1牛と干し草という環境で、懸命にお世話する羽田さんは、素敵な人だと思います。 「今」という感覚にある以上、心はかなり健やかでしょう。疲れたり暑かったりしても、 とにかく責任を持ってやっていらっしゃる。牛乳も牛肉も必要だと思います。 牛に狂牛病が起こったとき、人間の行き過ぎた反自然(肉骨粉)の、報いが来ました。 暑い中、お疲れ様です。羽田さんは、幸せなんですかね。羽田さんの人生は、 誰のものなんでしょう。そんなことを考えて、牛を育てる。牛に献身しすぎて、 外にやりたいことができないとしたら、それは大変なお仕事です。でも、羽田さんは、 詩や小説を書いていらっしゃって、文芸の道も持っていらっしゃる。瞑想して、 至る境地に、八正道が見えるはずです。私は病との闘いが続き、もうすぐ治りそうな 気配もありますが、共に、仏弟子として、死ぬ前に修行を完成させましょう。 私は認知がうまく行っていないので、世の中を良くするためにどうするべきかという 考え、何を不平等と見るか、宇宙にたった一人の私は、縁によってつながった 外界、社会と言うものに、縛られることについては、どのように考えるべきか、 私は、真理というものを、見据えて、私なりに生きて行くということが、できるように 思っています。人の運命に対して、気持ちの上では、尊敬の心を持ち、悪に対しては 慈悲の心で接する、日月の見守りの中で、すべきことを発見し、自分らしく生きて行きたいです。 全ての底辺にいる者たちのために、何ができるか、ずっと考えています。 しかし、まずは現実、牛のお世話、ご苦労様です。羽田さんは、牛から、感謝をされていますよね。 菩薩行、と私は思っています。とてもこころのきれいな、羽田さんへ。 変な人、と思われたところで、各人の少しずつの心がけが、大きなうねりになって、 社会を変革していく。私たちはそれを目撃する。昨日と今日の境目を夢がつないで、 過去と今の境目を夢がつなぐ。羽田さんがこれからも夢を見て生きて行かれることを、 望んでいます。理想を忘れず、自分が一番したいことを、たった一回の人生で、 行ってください。必ず、自分の過去は、存在したのであり、その中で諦めてきたことを、 もう一度やるチャンスや方法は、必ず存在しているはずです。魂を重ねるに足る相手を 見付けたら、こころ合わせて、同道しましょう。
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