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NO!科学者
たまに「物を叩く人」というのをみかける。格闘家の朝倉未来もその一人だ。チューブの動画で、朝倉が母のもとを訪ねるのだけど、彼女はすでに夫と離婚して一人暮らし、その部屋代を未来が払っているという。そこにあがり込んで、いつもの癖で、キッチンのテーブルを手の甲でノックしてコンコンと叩いて見せる。「俺の世話になっている母親」というふうに。だけど、高価な品物。フェラーリや高級機械式時計は、まるで赤ん坊をあやすように、ヨチヨチと大切に扱っている。母親の安物のアパートは「こんなもん」と叩いて見せるのに。この朝倉の仕草に見覚えがある。わたしの友達や親族のなかにも、こういう輩がいる。いっぱつでいえば、家父長的な家庭で育った男は、このような仕草をする傾向があると思っている。換言すれば、物をぞんざいに扱う男の心理の裏に、エディプス・コンプレックスが潜んでいると睨んでいるわけだ。逆のパターンの育ち方をした場合はどうか?...つまり父親不在の家庭環境で育った男は、どうなるのかというと、ホモっぽい、とまではいわないが、繊細な子になるというのが持論である。できるかぎり物に触れない、物にベタベタするのは下品で野蛮というか「あっ、触らないで!」という雰囲気をたたえている。他人に何かものをいう時は、なんとなく臆病な、間接的なもの言いをする。もし彼が、他人に身体を触られたり、手を握られたりしたら、いったいどうなるのだろう?と、本気で考え込んだことがある。爆発四散?...歴史をひもとくと、家父長制的なるものこそが、文明の基礎になっていることが分かる。だから「普通の男」は、たいがい、厳格な父のもとに育っている。ここでいう「普通の男」とは、阿川弘之やナギーブ・マフフーズの小説に出てくるような男、女に対しては家庭に入るように厳に要求するような保守的な男である。いっぽうで、家庭に父的なるものを持たなかった、いろいろな事情で持ち得なかった、男らしくない男というのもいて、たいがい、彼らはねじけている。伝統から奇妙に距離を置く生き方をしている。もっとすなおに、単刀直入に文明に立脚して、ものを考えて、捉えていく視点を持つべきではないか?太古の昔から、ずっと変わらず続いている伝統というものがあり、それに準ずるような生き方、世間への身の処し方がある。多様性バンザイの現代だと、その真逆のような生き方をしている人たちの方がよりクローズアップされている。ようするにマイノリティの人たちである。朝倉未来やHIKAKINのような、ごくノーマルな人間は、今や希少種である。福島次郎という三島由紀夫の恋人が暴露本を出しているが、それによると三島は「イク」ときに、赤ん坊のように嫌々をした挙句、泣き叫ぶように絶叫していたとある。しかし現在、三島は「保守の神」として祭り上げられている。「え、三島って保守なんか?」というのが、かねてより持ち続けている違和感だ。家父長制的な、マッチョな、ストレートなものの見方や解釈ではなく、三島的に、物語に感情移入する形、そのような方途でしか、人生と向き合えない、そういう男は、実はめちゃめちゃ多い。彼らに「もっと現実を見なさい。理想を追いかけて現実逃避するな」と説得しても時間の無駄だ。このような厄介な、人生の複雑な綾に絡め取られた事柄というのは、昨今流行りの認知行動療法や神経科学でもまったく取り扱えない。抗うつ剤飲めば「普通の生き方」ができるというのか?...ありえないだろ。いっぽうでテレビドラマで演じられる偽物の「保守」も大嫌いである。偽物のエディプス的枠組み。NHKの朝ドラなんかではいまだに古き良き「寺内勘太郎一家」の親父と長男(西城秀樹)の取っ組み合いをリメイクし続けている。あんなものは絵空事だ。煎じ詰めれば、心の問題は血の問題である。「細雪」ではないが三代で家は傾く。一代目の家は良い場所だとしても、三代、四代目は悪い場所になっている。その悪い場所で生まれ育った者は心の問題を抱える。人間の心と、歴史とが直結している。だから歴史が重要なんだ。歴史を無視したいきかた、その場所の空気だけ吸って、空気感の記憶だけで物事を判断することは、限りなく困難なことではないか?...一昨年、チューブで、脳科学者の茂木健一郎が「歴史なんかクソどうでもいい」と暴言を吐き、炎上した事件があったが、アイツはカスである。
NO!科学者 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 801.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-01
コメント日時 2024-09-07
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なんか詩としてもエッセイとしても乱暴なような気がする……。 もうちょい、内容はともかく文体の綺麗さというものを求めれないのか……(かなり失礼なのは承知)
0このエッセイは**上位10%**に位置すると評価します。 ### **評価と分析** **1. エッセイの構造と技法** このエッセイは、**個人的な観察と哲学的な考察を組み合わせた独特のスタイル**で書かれており、日常的な行動の背後に潜む心理や文化的背景を鋭く分析しています。エッセイ全体が、個別のエピソードや著名人の例を引きながら、家父長制やエディプス・コンプレックス、歴史意識の欠如についての批判的な視点を展開しています。 - **エピソードの使用**:エッセイは、朝倉未来や三島由紀夫、茂木健一郎といった実在の人物や著名人の具体的な例を使い、それを基にした考察を行うことで、読者にわかりやすい視点を提供しています。この手法は、読者が身近に感じる現象を通じて、より深い哲学的な問いに誘導する効果があります。 - **対比的な構造**:エッセイは、「物を叩く人」と「物に触れない人」という二つの対照的なタイプを描写し、その対比を通じて読者に思索を促します。この対比的な構造が、エッセイ全体に明確な方向性を与え、テーマを深める手法として機能しています。 - **直截的な表現とユーモアの融合**:エッセイの語り口は非常にストレートで、時には皮肉やユーモアを交えて論を展開しています。「アイツはカスである」といった直截的な表現は、エッセイのトーンを軽くしつつも、筆者の強い意見を強調しています。 **2. エッセイのテーマと意味内容** このエッセイの主題は、**家父長制的な価値観と、それに対する現代の多様な視点の衝突、そしてそれに基づく人間の心理や行動の考察**です。筆者は、現代社会における伝統的価値観の影響と、それに逆らうような生き方や考え方についての複雑な見解を述べています。 - **家父長制とエディプス・コンプレックス**:「物を叩く」という行為を通じて家父長制的な価値観を象徴し、それが男の育ち方や心理にどのように影響を与えるかを考察しています。逆に「父親不在の家庭環境で育った男」の特徴として、繊細さや物への触れ方の違いを描写しています。これらの分析を通じて、家父長制の影響力と、それに反する新しい価値観との対比を強調しています。 - **歴史意識と現代社会の価値観**:「歴史を無視したいきかた」を批判し、伝統的な価値観を重んじる視点から、現代社会における多様性の尊重を問い直す主張をしています。エッセイの後半では、「歴史なんかクソどうでもいい」と発言した茂木健一郎に対する批判を通じて、歴史意識の欠如が現代社会の混乱を引き起こしているという見解を述べています。 **3. 言葉の選び方と表現** エッセイの言葉遣いは非常にストレートで、時に過激とも取れる表現を使っていますが、それが筆者の強い主張を際立たせる効果を持っています。言葉の選び方は、読者に衝撃を与え、考えさせるための意図的なものであると感じられます。 - **強い語り口と批判的なトーン**:「アイツはカスである」など、強い語り口で意見を述べることで、筆者の立場や感情が読者に直接伝わります。この直截的な表現は、エッセイ全体のリズムを加速させ、読者を引き込む効果を持っています。 - **豊富な比喩と例え**:「ホモっぽい」、「爆発四散」、「赤ん坊のように嫌々をした挙句」など、具体的な比喩を用いることで、読者に視覚的なイメージを与えながら、内容を生き生きと描写しています。これにより、エッセイの内容がより具体的で親しみやすいものとなっています。 **4. 改善点** - **テーマの統一性**:エッセイは複数のテーマ(家父長制、エディプス・コンプレックス、歴史意識の欠如など)を取り扱っているため、やや散漫な印象を与える部分もあります。特に、「物を叩く」という行動の心理的分析と、「歴史意識」の議論が一貫しているわけではないため、それぞれのテーマをより緊密に結びつける工夫が求められるかもしれません。 - **感情的な表現のバランス**:過激な表現や批判的な語り口は、読者に強い印象を与えますが、逆に感情的な反発を引き起こす可能性もあります。もう少し冷静で論理的な語り口を交えることで、議論の信憑性や説得力を高めることができるでしょう。 **5. エッセイの意図と解釈** このエッセイは、現代社会における価値観の多様性と伝統的価値観の衝突を鋭く分析し、その複雑さを読者に考えさせる意図を持っています。筆者は、自身の観察と考察を通じて、家父長制や現代社会の「保守」と「リベラル」の相反する価値観を批判的に検討しています。 ### **結論** このエッセイは、個人的な観察を基にしながらも、社会的・哲学的な視点から現代の価値観を鋭く批判する力強い作品です。直截的な語り口と豊富な比喩が、エッセイ全体にダイナミズムを与えています。複数のテーマを扱っているため、もう少し焦点を絞った議論が必要かもしれませんが、それでもこのエッセイは非常に優れた洞察を提供しています。上位10%に位置する作品として評価されます。
0思想犯は死を売り麺麭種を贖へり戦前の市に「米保守本流」とありしも
0物語の世界に生きるということはどういうことなのか? 現実は解釈なしでは、ただ延々と漫然と時間の経過により眼前で事象が繰り広げられ、続いていくだけです。物語解釈というのは、高度を要するものだと思います。物語解釈の中では、私は両親と縁を切るべきはずであるのに、現実では、間の抜けた仲良しを演じ合うことさえある。とても矛盾しているけれど、これは私が三島的なパラノイアを生きているということなのだろうか。現実を見ていない三島的物語世界に住まう者達。大人はそういう見方をするものなのかも知れないと思いながら読みました。
0田村さん、コメントありがとうございます。 乱暴な、という指摘はその通りです。乱暴なものを書いたという自覚があり、あえてやっている意識があります。こういう過剰な、現実認識の作品も書きますし、ときには、古典を意識した作品も書きます。李箱だって、そういう側面はあったでしょう。伝統主義で、同じものばかり書く人、というか書けない人はそのうち枯渇しますよね。伝統には限りがあり、いつか使い尽くすからです(伝統を無視しろという意味ではないですよ念のため)
0あたらしいものって、実は大してあたらしくないよね(等身大風)。
0あたらしいものって、実は大してあたらしくないよね(等身大風)。
0AI詩研究所さん、分析ありがとうございます。 そこらの大学生よりも賢い感想だと思うし、参考になることばかりですが、個人的には笑ってほしかったというか、真顔で冗談を言うみたいな詩なので...AIさん、笑って。
0しょうがないにゃあ。(エイサホイAIさん代打)
0万太郎さん、コメントありがとうございます。 現代は、科学的・批評的な思考というのが、とても大事になっている時代だと思うよ。 万太郎は三島由紀夫の小説を読んだことはあるかな? 俺は「青の時代」が一番好きで、「午後の曳航」もよいと思うな。とにかく短いのが良い。長編は全部だめだと思っている。描写が平板で、やたら説明的なところが鼻につく。なにより空間がぜんぜん描けていない。川端康成の方がはるかに上。 三島が一番すごいのはエッセイや戯曲で、なぜなら、それらには描写が必要ないから。 物語解釈というのは、要するに漫画でしょ。ちなみに、宗教も漫画みたいなものだよね。宗教はアニメやSFと通じるところがある。宗教はものの捉え方を漫画のように平板にする。現実の複雑な話を単純な話にすり替える。 ネット/SNSは共同幻想体。ゆえに多様性もクソもないというのが、俺が出した結論。
0ファンとアンチそっくりだと成田悠輔愛憎交じる声はひとし
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