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私の心臓としての怒りよ
私の心臓としての怒りよ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 716.1
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 186
作成日時 2024-08-25
コメント日時 2024-08-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 50 | 50 |
前衛性 | 10 | 10 |
可読性 | 20 | 20 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 36 | 35 |
音韻 | 35 | 35 |
構成 | 35 | 35 |
総合ポイント | 186 | 185 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 25 | 25 |
前衛性 | 5 | 5 |
可読性 | 10 | 10 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 18 | 18 |
音韻 | 17.5 | 17.5 |
構成 | 17.5 | 17.5 |
総合 | 93 | 93 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
どうしても怒りが収まらなかったので詩を書いてみる事にしました。怒りよ。
0作者のコメントも参考にして、 詩でもその他創作でも、ある感情や考えを表そうと決断した時、大抵その地点にはいない場合が多いかと思います。もう、今は怒りなど収まっているのではないでしょうか。それか、悲しみの感情も邪魔していますが、その原点の感情を怒りだと思いたいのかもしれません。 今収まっているとしても、思い出せば屈辱的な出来事で、その怒りを忘れるなと自己暗示するかのように、「今(その感情が沸き起こっているだろ)」と言っているようです。(私は 怒らなくて 良いのか、とも言っていますし) 私の好きなアーティストで、TOOBOEさんという方がいますが(「心臓」というワードから連想しました)、「怒り」の共有は、他人に自身を守る力を与えることにもつながります。比べてしまうと申し訳ないですが……その共有力がさらに欲しいと思った詩でした。
1何でしょう。 「怒れる」こととは、現代詩の才能の、或る種の条件に等しいのでは、と感受を致して仕舞いました。 リズムも、韻律も佳いですし「怒りよ」、とう呼びかけ、感情への訴求の形式になっていらっしゃる事も好印象でございました。 感情、と申しますものは結構、抽象的な概念でございますから、 そこ迄、佳い意味での抽象化を経ました某かの不条理への心情とは、良作への初期衝動と致しまして十全な力を備えていらっしゃる、 つまり、強靭なる発条となり得る、と存じ上げます次第でございます。 一字空けも、工夫を為されていらっしゃる。 自分は、かなり佳い、と思いました事をつたえたく。
1深い。しかし私は怒りそのものが主題になるのはやはりむずかしいと思います。たとえば、ゲームのデス・ストランディングが「配達人」さんが主題であると言っておきながらなにか違うものを描いたように。つまり私はどう思ったか、ようするに、私たちの心臓は、取り外されているのだと。ただそれはあまりにも比喩がグロテスクになってしまうので、そうならなかった。
1人に怒りという感情があるのは行きていくうえで必要なものなのだと気付かされる作品でした。子供の頃は人との距離感がよくわからなくて、怒りに任せて喧嘩したりしていたけど、大人になると衝突を避けてできるだけ怒らないようにどうやって抑えればよいかなどを考える。しかし、そのせいで、やりたいことも制限されてしまうのを感じています。 でも、時々、これだけは譲れないと思うことがあって、そこには真正面からぶつかるから、怒りが込み上げてくることがあります。表面では鎮めたとしても、家に帰り、この怒りは何なのかについて問い詰めると、新たな可能性が生まれることもあるのかもしれません。 >踏みつけられた 私の影が >痛い >痛い! この表現もとても巧いと思います。 >確かに 痛んでいるから その意味を >跳ね上がる心拍を 滲む涙をどうか >手放さずに 燃えていて 怒りよ 心臓をいちばん動かすのはきっと怒りですね。ただ、そこで怒りをぶちまけるのではなく、受け入れることの大切さを感じます。それは自分に足りないことや気づけてないこと、劣っていることへの悲しみかもしれません。 人生において大切なことを私に教えてくださった作品でした。ありがとうございます。