テレビをつけると
私を名指しで責める番組がやっていそうで
怖い
良くないことをやってきた人生です
うそばかりついてきました
人をだましてきました
人に言えない秘密がいっぱいです
テレビをつけると
私の悪い人生をあばき非難する声と映像が
即座に画面から飛び出してきそうで怖い
テレビはあまりに正しくて怖い
テレビが言うことは
いつも私の悪を抉り出します
テレビを平然と見ることのできる人はすごい
正しい人たちだ
私だけが目をそらし耳を塞いで遠ざかります
テレビはおもしろいどころではない
私に罰を与えるに十分な論拠を
まざまざと放送するものです
タイムリーに報道するものです
お願いだやめてくれ
テテテテレビが怖い
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 679.0
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ポイント数 : 0
作成日時 2024-08-04
コメント日時 2024-08-07
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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閲覧指数:679.0
2024/11/21 23時24分44秒現在
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嘘ですが、CIAの指令に従ってテレビは内容を作り、放送しています。悪をあぶりだされるような ことは、全てCIAによるプロパガンダの結果です。まず、自分がやりたいことをよく考えて、 贖罪に生きるもよし、幸福に生きるもよし。
0コメントありがとうございます。私たちを現在あるようにさせるものは何でしょう。そして現在ある状態は正しさにおいてどうであると言えるのか。匿名投稿ですみません。本当にあまり自分の人生に信がおけないもので。テレビへの私の反応は実際のものです。テレビはだいたいにおいて正しいとなぜか思います。うーん、世論とは、社会の感情の傾向とは、トレンドとは、規律とは、人民の教養の程度とは、こういうことを形成することにテレビは大なる役割をしていると思います。
0正直に言うと、テレビは夢を与える魔法の装置です。ドラえもんの秘密用具のようなものですね。 夢を持つのが怖いと、テレビも怖くなります。その場合、本を読む方に切り替えるとかした 方がいいです。
0>テレビはあまりに正しくて怖い テレビって情報と娯楽なんだけど、ただ自分を責め立てるように感じたり、情報操作だと認識してしまったら、見るも見ないも自由だしどう受け取るかも自由なんだが。私もテレビまったく見ないし。ネットのほうがトレンドもニュースも人の見解も早く、溢れては流れていってしまうと感じますね。 まあ作者さんの思いが、その詩から溢れているようには見えないのだけど。なのでこの段階まで書いての、やっと詩のタネ、でしょうかね。 >名無しで責める番組/良くないことをやってきた人生/うそばかり/人をだまして/人に言えない秘密がいっぱい/私の悪い人生をあばき非難する声と映像/私の悪/正しい人 この曖昧な部分、もっと赤裸々に具体的に「詩の私」として覗いてしっかりと立たせて書いたほうがいい。思いを述べただけの書き方では、視界がひらけず、「詩の中の私」もわからないので、こころに響かないし残らないです。詩を読むというより、読み手それぞれのテレビ良し悪し問題提起にしかならないと思いました
0本は読みます。 私はテレビを夢幻に属するものとして扱うことはできません。テレビはディズニーランドに類するものではなく、博物館に類するものです。 念のために言うと、テレビが怖いなら見なければいい、というような主張は却下です。私が問題にするのは、日常生活において見てきたテレビ、見てしまったテレビ、見てしまうテレビ、です。
1私は以下に列挙する者と、行動や心理について同類同等かもしれません。すなわち、殺人犯、傷害犯、強盗犯、窃盗犯、詐欺師、性犯罪者、反社会的団体の構成員、夜の世界の人間、生活困窮者。 こういう人間たちを扱うテレビ番組が目に入ると、私は同士意識があるためか、心臓をつかまれるような苦痛を感じます。 これより具体的に書くことは私にはできません。戦争に行って人間を殺傷し祖国に生還した元兵士は口をつぐむものです。私の祖父は戦争体験をほとんど語りませんでした。つらいことがあったのでしょう。 私はなるべく現実を書きたいです。措辞も控え目に、現実を現実的に、です。しかし限度があります。あまりにもつらい現実は書かれないところに留まるのです。たとえ比喩が可能であってもです。
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