からだはいずれ大陸になるのだろうか
知らない場所に 呪われた火山が影を纏っているのだろうか
鏡に会いに行くのだろうか 鏡色の恋人に
どこまでもをめざした
金塊の降る夜に我慢できる保証もないのに
形而上の引力の渦に引き伸ばされた魂が 疲れ切った皮膚を棄てている
憔悴はよく燃えるのだろう 輝く水飴色に
いつまでもをめざした
花くちゃなぼくの顔が地動説に乗って消えていった
そうか。そりゃそうだ。
しかしぼくは何千年の朝焼けに食べられていた?
死がバーカウンターで苦笑いするなら上等だ
ぼくらはフーガする
血しぶく転倒のコメディを腿肉に被せる
何も問題ではない残響するからだ
未来はフーガする
抽象崇拝があまりにも安寧を吸うのだ
滑稽ではない滑稽がすべてだからだ
ぼくらは時々フーガする
隅を見る瞬間の静寂をちょっとつまんだ為
涙が馳走になり霞空になることを厭わない馬鹿者の群れ
ひとときを注いで盃を囲み、笑う数だけ揺れる話を落とす
ぼくはフーガする時々ゆらう
ゆらっておちて、さけんでささる、
うごいてとんで、とがってくちる、
ゆらゆらそれになる
作品データ
コメント数 : 9
P V 数 : 722.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-08-03
コメント日時 2024-09-02
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:722.1
2024/11/21 23時18分40秒現在
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抒情詩ですね。遁走曲。様々な比喩が繰り返され、真なる意味を言い表そうとして、花火のように 競演している。一つか二つの強い感情を、詩句に込めることが出来れば、もっと全体がまとまって くると思います。たくさん勉強されているのが分かるので、将来を期待します。文法内での詩句 表現は、かなりの豊かさを持っていると思います。あとは、論じ方とかでしょうか。 独創性に達するように目標して書いて行かれるといいと思います。
1>どこまでもをめざした//いつまでもをめざした >ぼくらはフーガする//未来はフーガする//ぼくらは時々フーガする//ぼくはフーガする時々ゆらう フーガとしての言葉を凝った、その気持ちだけはよく見えるのだけど、肝心の内容は理解できないし、どっか目を引くかと云うとそんなこともない。バッと読んでテンポが悪いなとすごくおもった。この繰り返し部分、うまく活かせてないんだよね。見ため的に、まずパッと見てわかるようにする。いっそ一行で置いて前後開けするぐらいの勢いで、一枚で形作るかんじ。そこから形を整えていく方式のほうが、印象としてまず惹かせ活かせたのではないかなとおもう。
1音楽畑の人かしら、前作もシェーンベルク入ってるかな、とか思って読んでたし。 この作品自体がフーガという形式を取っていると考えるならば、ほぼ同じテーマがしつこく繰り返されている、という読み方が成立します。 つまり一連めから最終連まで『ゆらっておちて、うごいてとんで』る、そんなテーマですね。 そういやクラゲって、どれが幼生でどれが成体か分からないような生涯を循環してるそうで、それもフーガの形態に相応しいかな。 ヒトという生物とフーガを関連づけると、どうしても歴史は繰り返す的なイメージが飛び出してきて、 そしてこの作品を読み進めますと、イメージを拡散していくことに集中しているような印象を受けます。 で、ここが重要なんですが、そのイメージの拡散は、必ずしも成功してはいません。 テーマが重厚なだけに、うわっ滑りしちまってます。 先ほどクラゲの話をしましたが、水族館の水槽にいるクラゲを連想しちゃうんですね。 >涙が馳走になり霞空になることを厭わない馬鹿者の群れ この一行、好きだったな。 なんつーか、もっと乱暴に、ガツンと踏み込む感じが、このフーガには合ってたんじゃないか、そんな気がします。
2印象に残りますね 特に『何千年の朝焼けに食べられていた?』など取り合わせが勉強になります!
1コメントありがとうございます。 「一つか二つの強い感情」、自分の中では第四連と第五連に詰め込んだつもりでした。この作品は、まだ駆け出しの情熱のみで構築されたものだったので、確かに、どう論じるか、を追究できていないかもしれないです。(推敲は重ねたのですが、まだまだですね…) この詩に足りなかったもの、自分が今持ってるもの、みつめていきます。
1コメント、ありがとうございます。 確かに、フーガという詩のテーマだからこそ、「繰り返す」手法をより凝った方が良かったかもしれません。テンポは、すみません、手癖ですね、テンポが悪くないと気が済まない時があるのかもしれません…。 伝えたかったのは、フーガの奏法のように、旋律を曲げないと思っている自分を、追いかける旋律を認識してゆらいでいくこと。これは、和音のように整列された音符には抱かない感情で、フーガって良いなと思って書いた詩でした。 まだスタミナもない頃に書いたので、今なら繰り返しを段々ゆらがせて、変化させて紡いでいく長篇詩にしても面白いかもしれません。 ナンセンスに浸かろうとした時の、対岸に見える景色を羨みながら、軸も訳も分からず揺れながら進む生き方を肯定した詩だと、私は解釈して書いた詩でした。
0コメントありがとうございます。 正直に言いますと、音楽畑にちょっとちょっかい出しに来たカラスです。フーガは、自分のボカロ作曲の仕方がフーガと似ていて、いいなぁ、フーガ、「逃走」という言葉も好きだしなあと、思い入れのある言葉の一つです。前作の「浄夜」も確かにシェーンベルクから取っていて(推敲前は、「シェーンベルクの「浄夜」が始まる」と確かに書いていました)、良い響きのタイトルのクラシックを漁って、見つけたら聴き込んで、「決別の夜」に合う曲を探してました。あまりクラシックは分かりませんが、似合いそうだ!と思って「浄夜」にしました。 あまり音楽の素養は持ち合わせておりません。だからこそ慎重に、音楽世界の事象と自分の性格を照らし合わせて、これからも詩に映したいですね。 「そのイメージの拡散は、必ずしも成功してはいません」 歴史から一例を挙げようとすると、私はやはりシュルレアリスムが真っ先に浮かびます。確かに、うわっ滑りしているのは、まだ自分が向き合うべきその谷がどれほどのものか、掴めていないからだなと思いました。ガツンとくる言葉の密度をさらに高めて、そのテーマに釣り合う詩作に励みます。ありがとうございます。
0僕は、フレーズ単位で感情を表すことが多いため、連全体で感情を込めるやり方は よくわかりませんでした。熊倉さんの、山なりになった感情、感じてみます。
1私も時々ゆらう、そしてフーガするのかも知れない。
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