一
人間も考えることを辞めたらものになる
ものになる悦びを知ることになる
人間は考える葦である
はずがない
足の生えた葦である
ものごとの善し悪しを
外側に持つものである
だったらどうなる
どうとでもなる そして
どうにもならない
考えることを辞められた試しがない
死ぬことを除いては
二
誰だったか知らない?
私は知らない
ハキリアリが葉を運ぶ様子が
延々画面に映されている
切った葉っぱをどうするの?
農業をするらしいよ
立派なもんだねえ
ほんとにね
彼は何を考えてるのかな
さあ
三
現代アートを扱う美術館で、掃除機で股間を吸う男を見た。黒い箱に顔を突っ込むと、箱の中に設置されたテレビに男が掃除機で股間を吸う様子が映されていた。男はそのほかにカレーライスで顔を洗ったりしていた。作品の意図をひとつも汲めなかったし、理解できないことになんら罪悪感を抱かなかった。そういうもんだと納得すらした。
四
たたき売りされている
見ることと見せられるとことの
違いについて
散々考えた挙句
アベリアの花が咲いていた
花は罠 偽りの性の象徴
ベニシジミが花の周りをとぶ
出口のない入口
部屋のない窓
コンビニでアイスを買った
誰にも内緒と
誰もいないのに思った
とりとめのない思考
思考の向こうの
感情の絶対不可侵領域
ないものをないと知る方法
這う這うの体で逃げ延びた獣性
一度も聞いたことがないのに
それが銃声であるとわかる
疲れに取り憑かれ
枯葉集める彼は
誰か 彼は誰時に問いかける
五
空を見上げる
その事に意味はない
朝餉の匂い
思い出してみる
誰の隣で寝ていたかを
その事に意味はない
六
真夏日に
滲む汗
自販機で炭酸飲料を買う
けれどなぜ
私には明日が見えないのだろう
昼には昼の
夜には夜の
終わりと始まりの
合図があって
私はその鐘がなるまで
垂直であることを拒む
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 1119.2
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-22
コメント日時 2024-07-08
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1119.2
2024/11/21 23時03分29秒現在
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こんばんは! 一つひとつ考えるとキリがないですが 考えると止まらないなって、日頃感じます。その考えを文字にして文章にしてまとめるという行動に、またふと考えちゃます。作っては消してを繰り返すこともあるんです。。と読んでて思いました。この考えるの内容がとてもキレイな言葉になってていいなと思いました!
1コメントありがとうございます。結局思考は止められないですし、ぼーっとしてる時もぼーっとしてるなりにかんがえてますしね。キレイな言葉と言ってもらえて嬉しいです。
1人間は考える葦である、はずがない。~ものごとの善し悪しを~。一応パスカルの名言を否定してみよう。ということは人間の理性を取っ払って獣性で考えてみよう。という一連の出だしから始まっての六連編成ですね。労働を意味するような社会性を帯びた二連などを含めれば、これは明らかに理性に対する反抗的な思惑が考えられる。 これが三連目からは現代美術館に場所は移り、何やらシュールリアリズム的な絵画への批評感が男を介して語り手から持ち出される。四連目、叩き売りされている見ることと見せられることの違いについて。それは能動的か受動的か、意識的して考える。または意識しないで思考すること(無意識性)このことが絵画的な平面的な視線で、その思考の危うさが感情を天秤にかけて語られる。それは果たして意味のあることだろうか、と問うこともない否定された五連。~その鐘がなるまで垂直であることを拒む。終わりの六連で再びわたしの総括的な感想で括られる。垂直であることを拒むとは、つまりわたしはずっと眠ったままだが、その答えが出るまで起きないで寝ていよう。解せないものは解せないままに、という一連~五連にかけて書いてきた事への答えで括られるわけですね。 こうして一連から六連にかけて読んでいけば、この詩の目的が詩(芸術)に対しての曖昧な批評性の真偽を問いかけていることがわかります。 思考というこの哲学的な意味ひとつを取ってみても答えは見つからないじゃないか。それなのに我々は抽象化された表現。シュールリアリズムといった感覚的かつ観念的な作品に対しても、思考という理性を意味する哲学的な言葉で解釈に導こうとしている。では思考をいったん取り払えば野性という感情だけで判断することになるのだろうか。芸術を推し量る人間とは一体考える葦なのか。それとも脚足のある葦でもあるのだろうか。どちらにせよわたしは未だ答えを知らない。という風によく組み立てられていると思われるので、「考える」このロダンの彫刻のような簡略化されたタイトルで相応しいのか、もう少し喩化されたタイトルはないのか、読み手のわたしはいま少し考える術を持たないのであります。
1ぼんやりしている感じがいいですね。 それが詩だよな。PCで書くと、はっきりし過ぎちゃう。だけど、ここには、毛筆で書くと浮き現れる歌の精神がある。 五 >空を見上げる その事に意味はない 朝餉の匂い 思い出してみる 誰の隣で寝ていたかを その事に意味はない じんとくる。五感で感じ、沁みてくるものがあります。 強い個性を持った詩で、惹かれます。
1コメントありがとうございます。深い読み解きをしてもらえて嬉しいです。タイトルはもう少し捻って良かったなと反省しています
0コメントありがとうございます。 万太郎さんがすごくこの詩を気に入ってくれたんだと感じられてめっちゃ嬉しいです。
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