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シュル掌編, パリ盆地にて、
歯車は単純にも翌朝を唄い、 複数形の樹木、あるいはプリマドンナ達はその白質化した砂海岸の木靴を向う方へ万遍無く抛るのだ、 石灰婦人の履くコルセットには送電機からの電線が歪像画としての縞模様を落とし、 ロールシャッハ氏の苦悩は紫色の薔薇――或は双子の老婆――を見開く度に、 如何とも覚束無い、焦燥に包まれたかの海岸を思い、潮目の泡をその心象に浮かべるのであった、
シュル掌編, パリ盆地にて、 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 771.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-05
コメント日時 2024-06-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
そこに形とあり、こちゃこちゃせず、浮かべられるもの。強制されるわけでもなくそこに佇むようにある。いいですね。こういうの好きです。
1有り難うございます。除け者には、有り余る称賛でございます。 「私」が主体ではなく、「イマージュ(心象)」が主体になりますように心掛けました心算でございます。 「私」は想起され得る印象の観察者であり、記述者に過ぎませんものですから。
1うむ、同じシュールなイメージを浮かべるにしてもやはりその先鋭化された言葉の洗練度が一味違いますな。印象がAOIさんと重なって、それは老害だよ君たち、と言われてもこれは仕方ないのです(笑)モンマルトルの丘を闊歩したものたち/並ぶ蝋人形の館/それは奇妙な画像が目の前に想像できるのだから。
1有り難うございます。老害というよりも、老衰かもしれませんが。 新人類を全う致しますには、われわれは叢書を愛し過ぎました。ネット文学とは異なる地平に生きる外にはないでしょう。 若し、テクノロジーの海の、洪水のなかにあると致しましても。
0思わせ振りな、もっと説明してー、と言いたくなる。個性的。最期に入魂のあなたの感情が入るともっとよくなるきがしました。
1有り難うございます。 実は、心情吐露が苦手なのですよ。ダブルバインドの影響でしょうか。凡その心情が裏返しに見えてしまうものですから。 ですから、寄物陳思(風景に託つこと)の担保が必需なのかも知れません。 言う事に拠り謂わない事、 言わない事に拠り謂う事、 を意識しております次第でございます。
1複数形の樹木って、なんか稲妻みたいな神経質さだなと思ったら、ロールシャッハと言われたので、心を読まれているように感じました。。そう思うと海岸もそう読めてきて、フラクタルみたいなイメージです。
1難しい!が、読んでいて楽しいです。
1ありがとうございます。 神経質、との御言葉に合点が行きました次第でございます。 仰られます通りに、北方ルネサンス的な、つまり当世風に申しますならば中近世ドイツ美術的な細緻描写がとりもなおさず好みなものでございますから。 「パリ市」的でありながら「ケルン市」的なるものに、入れあげております次第でございます。 (余談。 ケルン派 美術 にて検索をして頂けますと、少々幸いな心持ちとなられるかも、と存じ上げます)
0ありがとうございます。 愉しんでいただけましたならば(と申しましても、作者自身が最も独善的な愉悦に浸っている、のかも知れませんが)本望でございます。 個我‐自己客体視の観察術は、画きながら、心愉しくなるものがございます。
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