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あなのあいたサイフ
その日はゆみちゃんの介助が入っていた。家を訪ねて、つきそって外に出た。 最初は銀行。列にならんで待つうちに、ゆみちゃんはだんだん青ざめてゆくので、落ち着くよう声かけしながら、ポカリスウェットを飲ませた。 すると表情が血の色を取り戻した。ぼくが教えなくてもお金をすっかりおろし、サイフにおさめた。 次はスーパー。お惣菜にお魚、野菜…つきそっているぼくがお米を持つと、ゆみちゃんが、まるで可愛い夫婦みたいや、と笑った。 旦那ちゃいます、ぼくはゆみちゃんのすんごい器用な手と足。くるくるくるっ。ぱっ! 買い物が終わるころ、顔色が悪くなり、ぼくにしんどさを訴える目をしたかと思うと、もうお漏らししていた。 おしっこの始末をすませたあとで、片手のサイフともう片手の買い物カゴをみんごとはなして、それはもう、あっけらかんとした顔で、階段の上を散らばっていく荷物とお金を眺めた。 スーパーの店員さんはぼくらが落とした荷物とぼくらを見比べながら、奥でお話を伺っていいですか、と来た。ぼくは当然言ってやった、手荷物は全部あとで買い取るから、あなたに詰問する権利はありませんよ。 店員さんとぼくがやりあっているそばで、ゆみちゃんの表情から笑いが消え、嗚咽したかと思うと、眼から涙がつぎつぎと伝って出た。 『うち、普通に生まれて普通にそだって、普通に大きくなって、普通に生きたかった!』 ゆみちゃんは眼を腫らせながら泣いた。震えている肩をなだめすかししながら、野菜やお金、御惣菜をあらいざらい集め、サイフを確かめた。 サイフは、金具のところで大きくほどけているのだった。言い咎める店員さんを振り切ってレジを通り、お金を払ってスーパーをあとにした。 ゆみちゃんの家でサイフのつくろいをした。世の中が要求するすべての『普通』は彼女には過分な要求で、もしかすると『普通』の方が過っている。 その証拠に、傷つけ、壊し、立ち上がるのさえ許さず、そして二度と元に戻れないゆみちゃんにしてしまった。 かてて加えて、常識だ義務だ自己責任だと迫り、犯罪だ暴力だ詐欺だ、と次々罠を張って来る。要請がないかぎり、そのままの彼女でじゅうぶんな、よくできたお嬢さんだいうのに。 ぼくは彼女のすんごい器用な手足。危険な目にあわせるややこしい手合いは追っ払う。くるくるくるっ。ぱっ! ゆみちゃんにいつも笑っていてほしい。 『これから買い物は、ぼくらヘルパーの仕事にしますね。では、また!ごきげんよう!くるくるくるっ。ぱっ!』 ゆみちゃんの家をあとに、ぼくは桜並木の風に吹かれバイクで走って、次のお宅へと急いだ。
あなのあいたサイフ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 778.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-02-01
コメント日時 2018-02-09
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
地球さん、嬉しいコメントありがとうございます! またどうぞよろしくお願いします。
0大事な友人に、重篤な身体障碍と知的障碍を持つお子さんのいる方がいるので・・・ヘルパーさんのお話、としてではなく、その友人の話、のような気持ちで読んでいました。 散文エッセイのように淡々と描かれているけれども、~た、と小気味よく刻まれていく終止のリズムや、繰り返される〈くるくるくるっ。ぱっ!〉という、ユーモラスな・・・ちちんぷいぷい、のような、どこか「おまじない」「祈り」のイメージも含んだ言葉の明るさなどが、詩的なリズムを作り出していると思いました。 余計な装飾、表現を盛り上げるためのデフォルメなどはない、そこがいいですね。 説明なく挿入される『うち、普通に生まれて普通にそだって、普通に大きくなって、普通に生きたかった!』 この一行が、叫びとして迫ってきます。 欲を言えば、〈かてて加えて~〉以降の部分が、様々な過去のエピソードを俯瞰してまとめて説明する、という印象で、駆け足、かつ、説明過多、であるような気がします。 店員とのやり取りというエピソードを丁寧に切り取った、映像的かつリズミカルな前半を、〈常識だ義務だ自己責任だと迫り、犯罪だ暴力だ詐欺だ、と次々罠を~〉の部分のうちのひとつを象徴するエピソードとして描き、また別の作品で、また別のエピソードを描く、という形にしても良いかもしれない、と思いました。多くの作品、断片的なエピソードを連ねていくことによって立ち現れて来る、〈常識だ義務だ~〉としかけられる、罠の数々。静かだけれども、リアリティーに飛んだ告発。 あなのあいた財布。欠損。それを、欠けているもの、社会的には無用のもの、と見るのか。つくろえば大丈夫、ちょっとした手助けがあれば、大丈夫、と見るのか。ユニバーサル、という言葉が安易に使われるけれども・・・欠損、ではなく、単なる手助け、でもなく・・・〈ぼくはゆみちゃんのすんごい器用な手と足。くるくるくるっ。ぱっ!〉と、その瞬間、なり切れるか、どうか、という視点なのではないか・・・というようなことを、考えさせられました。 自分自身で、買い物を、なぜさせてもらえないのか・・・それを許してくれない社会。わざと財布を落とした、などと疑わせてしまう、社会。ヘルパーが、本人の手足になって買い物を本人が行う、のではなく、ヘルパーが、本人の代理として買い物をすることしか、許されない社会・・・。最後に、ぱっと気持ちを切り替えていく展開が爽やかで、明るい余韻が漂っていると思いました。
0まりもさん すごく身近な友人“マサル”、ゆみちゃんに仮託した友人をヘルプして七年間、これからもずっとヘルプしていくつもりでいる友人の、身をつまされるような日常をモデルに書いています。 ヘルパーは、友人が体調を崩した当初通って下さっていたヘルパーとぼくをモデルにしています。 友人を支えつづけて、友人が生きつづけてくれるかどうか、まったく自信がないのですが。 この友人はぼくが書くものにモデルとして使っていいよと積極的に言ってくれるので書かせていただいていますが、いつまでも元気でいて欲しいです。 ゆみちゃんが背負った、現在の世の中ではかなり一般的ではあるものの、ある種過酷な人生を描きながら、ご指摘くださったように、明るさを保った文章になっているのがなぜなのか、ぼく自身、まだ十分に自覚がありません。ある意味、ここに出てくるゆみちゃんとヘルパーは、人生のなかの大切な保証(?うまく言えないのですが)をまったく捨て置いて、その替わり保証とはまったく別方向のさばさばした希望を懸命に見つけようとするある種のたくましさ、割りきりがあるのかも知れません。 まりもさん、コメントいただきありがとうございました。 ぼくとしてはマサルの病状の回復を祈っていますが、まりもさんのお友達のお子さんの回復を心から祈ります。
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