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小網戸
通りを隔てた一軒家の 向かい側には洋服店がある。 昼過ぎには家族連れで買い物客の 声が聞こえてくる。 その台所の窓を開き じっと眺めていて 椅子に腰掛けたままの その後ろ姿を見たと誰かが言った。 気が触れたのではないだろうかと 、言った。 わたしは知っていた その人のを後ろ姿を けっして気が触れたのではない ただ淋しすぎたのだと。
小網戸 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 942.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-02-01
コメント日時 2018-03-06
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
毎度投稿有難う御座います。 今作はとてもシンプルな感があります。 『小網戸』というタイトルが情景としての効果を発揮していますね。
0三浦dd果実様 物語の書き出しのようでしょう。何も得られるものはないです。おわかりのように名詞を修飾させているだけの文体ですが、余韻として主語を浮き上がらせてみたかった。というだけです。 お読み頂きいつもコメントをありがとうございます。
0あ、それからタイトルは「背網戸」ともしたかったのですが、、どうでしょう。ちょっと判断に迷ってしまいました。
0訂正、このことは主語の対象としての人物像ということですね。つまり母親なのですが。
0読まれるということを考えれば花緒さんの指摘は常道でしょう。単語(比喩)か文体か。違和感で伝えるを意識させたとき、表現はどのように伝わるのだろうか。ちょっと外してみたいという試みなのですが、このような操作もポエジーを考えるとなかなか上手くは表現されないようですね。つまり意図的なものだけではどうしても内容的に渇いてしまうということかな。花緒さんコメントありがとう。形式に拘ればこのような迷路からは抜け出せないいうこと。よくわかりました。
0~の/~る で作り出すリズムで始まり、~の/~た で止める後半。その中で、~ない の言い切りが、強い印象を残しますね。~開き/~いて/~ままの 連用形で引き伸ばしながら畳みかけていく三行の強さも。 〈誰かが言った。〉ここと対になるような〈、言った。〉この読点の前に、何が、誰が、置かれていたのか。そんなことも考えさせられました。 〈その台所の窓を開き〉語り手が開いた、ようにも読めるけれど・・・この三行が、読みの呼吸で途切れてはいても、ひとつに繋がっていると読みたい(読ませられてしまう)ので、家族連れの姿をじっと眺めている人の後ろ姿、が、台所の窓の向こうに見えて来るような気がしました。(その人のを後ろ姿を、ここは、をの重複でしょうか?) イメージでいうなら、ワイエスの絵。その、という言葉の使い方も含めて、じっと背を見せて坐っている人への思いの深さが伝わってくるのですが・・・それを、淋しさ、と一言で、あっさり定義してしまってよいのだろうか。 もう使われなくなった大鍋、といった小道具を持ち込むのは、あまりにも芝居がかっている、でしょうし・・・私はなんとなく(勝手な想像ですが)この後ろ姿の人が、空中に何度も何度も指先で輪を描いていて・・・実はそれは、息子の家の電話番号だった(昔の黒電話の時代の)というような、かすかな「動き」を妄想しました。
0おはようございます。 この詩の椅子の腰かけたままの人は しあわせだと思いました。 さびしすぎると 察知してくれる人や、気がふれたのではないかと おもってくれる人の気配があるからです。 わたしも 人さまに きがふれそうになっているのではないかと言われたことがありますが、それがありがたいことだと 思えるまでには時間が必要だったです。あのときは なんでもないわ!と憤慨してしまったものです。 みまもる人がいると感じさせる しずかな詩を、はじめて読みました。ありがとうございます。
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