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散歩の途中でおれたちは
法律がなければ人を殺してもよい そう結論するしかない現実の世界におれたちは生きていると息子に伝える 息子の背が伸び始めた頃だった 散歩の途中でおれたちは 殺人を禁止する法律があって良かったね、法律があってもなくならないけどね 守られない法律はなくてもいいんじゃないの? あるのが大事よ、こういうのはね 人間ってやばいんだね 無人戦を担当するとは言え、戦場ではおれの息子は誰かの息子を殺している 大学院で情報幾何を学んだ息子は軍隊で職を得た おれは老いを自覚する おれに息子の罪を問えと言う連中がいる 国内で殺人を禁止する法律がなければおれはあいつらぶっ殺してやる そう思ってしまうおれは人間ってやばいよねと呟く SNSには高校生だった息子がeスポーツの小さな大会で優勝したことが書き込まれる ゲームが得意だったこととドローン攻撃の作戦立案に何の関係があるのか、 しかし、ふたつの事実が並置されれば、どのようにも結び付け、どんなばかげた迷信をも人間は作り出してきた 息子は言われるようにゲーム感覚で戦争をしているのだろうか? だったら何だ? 良心を痛めながらだったら爆撃してもいいというのなら、おれから息子にそう言っておこうか? おれは息子の父親はおれだけだから、父親であるおれは息子を疑ってはならないと決めつけているに過ぎない 息子はおれが育てた だから、おれは息子の罪を認めない、なぜなら、 おれはおれに息子の罪が及ぶのを恐れているからだ、とでも? マジ殺す、おまえら 道徳感情は法律の有無とは関係がない、 連中の非難は連中の道徳感情に依拠しており、法律とは関係がない いまのところ、感情を禁止する法律はない だから、おれの怒りも統治されてはならない 前提として、道徳は戦争が存在する世界で形成されてきたのだ 戦争は道徳より大きい そして法律は道徳よりさらに小さい 法律で殺人を禁止し、道徳で不殺を説いても、 戦争で人の命を奪った息子は法律や道徳の外にいる、 誰も罰し得ない、父親でも 散歩の途中でおれたちは 戦争より大きな場所へ辿り着く必要がある いまが最新の永遠であり、ここが無限の始点であることを知る 宇宙へ 愛と魂から意味が消えるまで
散歩の途中でおれたちは ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 628.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-17
コメント日時 2024-04-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
幾つかの、技巧的な問題の眩惑化の為の修辞を解析。 此れは、 前作同様、 作中話者 父 と 子 つまり限りなく作中話者に近い他者 此の構図を易読化し 作中話者 父 を 子 へと等号化も出来得る、と。 つまり、何処まで行っても 作中話者「おれ」の問題なのでは、と。 「法律がなければ人を殺してもよい そう結論するしかない現実の世界」 此れは、ひろゆき氏的論法(嫌い)で言うならば、「おれ」の主観に過ぎない、と付け加えつつ。 御作を拝読するに当たり 恐らく、戦時‐平時間の律法(おもに殺人罪)の有耶無耶、 そして戦争時の国際法、つまり非‐戦闘員の殺害禁止(翻せば戦闘員の殺害は合法である、ということ) 等も考慮に入れねばなるまい、とも。 そして、此の詩の最も物議を醸すであろう箇所は下記。 「しかし、ふたつの事実が並置されれば、どのようにも結び付け、どんなばかげた迷信をも人間は作り出してきた」 「異なる」「複数」の「事実」或は「現象」を「結び付け」、「迷信」を「作り出す」営為こそが編集であり、これを創作と言う(勿論、「私」の主観)ならば。 正しく、自身の影を追い、自身の影に追われる人間の悲劇、或は喜劇を独白している「作中主体」の骨頂が此処に明記されている訳でございます。 私は、その様に読みました次第でございます。 作中主体に於かれましては、殺伐とした時世に、殺伐とした呪詛を吐露なされる心中をお察し致します。 下記、雑感。 世界や社会が傾れて行く時に、個人は傾れて然るべきなのか。 銃を持てと言う者へ、 銃を向ける意思こそが 社会のアウトサイダーとしての詩人の本懐なのではないでしょうか。 恐らくは、 社会のインサイダーとしての詩人を志していらっしゃられる、多くの皆様へも。 構造の箱の中にて、 構造の箱の外の視点を付帯致して頂きたくも。 駄文、メモをつらつらと、失礼を致しました。 追伸:「戦争より大きな場所」とは「絶滅」「死」では、と考えますならば。 とても諷刺の利いた辛辣且つ、壮大な皮肉であるとも考えました次第でございます。 それでは。
0あ、来た来た、鷹枕可さん、こっちでーす、ゼッケンです。こんにちは。 >つまり、何処まで行っても >作中話者「おれ」の問題なのでは、と。 そ。ほんとにそうだと思います。ドラマ上の役割はいろいろ分けてるけど、私の作品は独り言です。それを前提として。 以前、鷹枕可さんと戦争の話をちょっとしたじゃないですか。で、私なんかは戦争を必要としない環境を人類は作り出せるだろう、それまでは絶滅しないようにしよう、ぐらいのことしか考えていなかったわけです。けれど、それが実現するのはいったいいつになるんだということで、もうすこし、差し迫った現実として考えてみた。まずは戦争をしないに越したことはないのですが、仮定として日本が戦争をする場合には、戦争はどういう影響を私自身にもたらすだろうかというところから。 日本が台湾防衛のために中国と戦争してます、私みたいな年寄りが銃を担いで戦場に出るのは現実的ではありません、でも、子供たちはどうだろうか? という設問。で、まあ、出てきたのは自分でもびっくりするぐらいの薄っぺらい感情で、でもそれがものすごい速度と強度で噴き出してきた。あー、子供たちが戦争に行ったらこうなるかー、戦争自体の是非は二の次でひたすら子供たちの無事を願う、あと、子供たちは悪くない。ほんと、そういうね。私って愚かな親だなあ、って思ったことですよ。つくづく。そこから逆算して、私がどういう行動を取るかはまた別のお話で。 >「戦争より大きな場所」とは「絶滅」「死」では、と考えますならば。 >とても諷刺の利いた辛辣且つ、壮大な皮肉であるとも考えました次第でございます。 いや、この作品にはそんな気の利いたものはまったく含意していません。ただただ、愚かな平和ボケした中年男性のお花畑に突如吹き荒れたごく器量の狭い親心の暴風に我ながら呆気にとられるばかりです。
0いつだったか、まだプロテスタント系の教会に通っていた頃、日本に留学してきたノルウェー人の男性から「日本には素晴らしい宝があるんですね!」と言われたことがある。 その人の瞳は輝きに満ち満ちていたが、突然のことで、私にはさっぱりその意を解せなかった。 横から教会員の男性がそれは日本国憲法のことだと耳打ちして教えてくれた。 途端に私は日本人でありながら知らなかったことに恥ずかしさを覚え、このことが私に再度学者うする機会を与えてくれた。 過ちは繰り返され、その手段として何度も覆されようとされるが、日本からは遠い北欧の人から教えられたように私たちには何ものにも変え難い宝田があるのだと忘れてはならないだろう。
0夕陽さん、こんにちは。ゼッケンです。いやはや、取り乱した姿を見せてしまいました。恥ずかしい限りです。だけど恥を包み隠さず描くのもポエムの大切な要素かと愚考するわけです。まあ、考えただけでなく、実際に書いたものを投稿するという愚行も犯したわけですが。やさしくたしなめて下さってありがとうございました。
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