拝啓、エアコン
君の瞼は飛行機の羽根のようには光らない
それでも夜のほくろを払いながら、春雨を報せてくれる、
黄色い太陽を点滅させる度量に、私の愛の腕時計を授けたい
そんな想いを、真に生ごみだと信じてる
憐れみに刺繍された私は歩きづらくなること、知っていますか?
ただ、光をアイマスクにすると優しさが充血するんです
心がトイレのドアを叩いて、あの審判の結果を喚いているんです
さすがに、今、悔恨の会議を開くのは強すぎる(笑)と思ったので、
私は孤独な老夫婦を花壇に詰めるのをやめました
日記をつけました
代わりに。
犬の遠吠えが相乗効果により、パーソナルコンピュータを超えて私たちを照らすLEDに志願できるようになりました
流れ星たちはリストラされて、時給980円で煎餅を割る工場に寝泊まりしたりしました
ニュースは神話を装うように、
鳥たちは火山灰に回収されて育てられるように、
なったのはいつぶりでしょうか?
繰り返しコンパスが完璧を砕いて理想郷へマラソンしますが誰も放映しません
私の耳は赤ん坊のように嵩み続けている
まさか、ね
家の庭で開かれた選挙を窓から見てみると、飲み放題二千円の文句に釣られた若者たちが次々と蛙に変身していく
今日は一日、私たちの低い頭をソプラノに弾いていく前哨戦があるのに、
妙だね
月が鍬のままガラス張りの繁華街に落ちている
なかなか、マイルドな煙草のような人生で、
自然体で、連帯責任だらけです
心だけは、薬物中毒者に憧れています
なぜかは知りません
でも彼の気持ちは分かる気がするな
いや、分かるなんて言葉じゃ足りない
わかる、わたる、わたらうんだ、スクランブル交差点を渡る影らと同じように
わたらって、わたらって、わかって、わらって、わりきって、わらわれたって、われたって、われ、って、わる、われ、わり、に、あわない、ほど、われて、ぼど、ぼど
迷わない夜だってないんです
叶わない朝があるんです
本当です、から、命が匍匐前進をやめないんです、そこの玄関から尾を引いて
やめさせませんか、いいえ、やめさせません、なんて、言える身体を人質に取ってのんびりと生きるのは、やめさせませんか、われら、われ、って
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 775.4
お気に入り数: 0
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ポイント数 : 0
作成日時 2024-02-10
コメント日時 2024-02-12
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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技巧 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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2024/11/21 23時19分28秒現在
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すべてのイメージが心地よいです。やはり撞着語法こそがポイエーシスの原点だなあと思うなどしました。 >黄色い太陽を点滅させる度量に、私の愛の腕時計を授けたい という部分が特に素敵でした!
1コメント、ありがとうございます。 イメージは音楽性とともに現れると信じています。得体の知れない水銀が、なぜか心地よく頭に流されるその現象を、引き続き詩にしていきたいです。 ありがとうございます!
2自己主張がコントロールされている。意識的か無意識的かはわからないが。 その結果、詩行が、押し付けがましくなく、また、感情の深い所だけに届くように、 読んだあと、尾を引いて残っている言葉がある。喫茶店で、置いてある漫画雑誌を、 読んだ後のように得をした気持ちになりました。こういう詩もたくさん読みたい詩です。
1コメント、ありがとうございます。 「尾を引いて残っている言葉」をまた、次の作品でどう見せるか。 マジシャンと同じで、類似したトリックでは同じ客は騙せない。 また新たな毛色で、この詩情を紡いでいこうと思います。ありがとうございます。
1意味が良くわからない( -_・)?例えで連なっていてただただ困った??
1湖湖さんの感情は狙いどおりではありますが、その先を引き出せない、私の言葉紡ぎの魅力がまだまだ足りないですね……。 もっとケミカルで、誘惑するほら穴のような詩作を努めていきます。コメント、ありがとうございます。
1これは意味ではなくてイメージなんでしょうね。ただねイメージとして丁寧に書いても、見える言葉が強烈に残ってくる。それでも10行目までは読めるんですよ、ただそのあとがモジズラが(見た目)がちゃがちゃしている。どうしても丁寧さから遺脱する。これはミダクナイものになってしまうのです。特に意味を重視する方々から見れば理解という壁にさらに阻まれるわけですね。正直ものとしてよく書けている、ミハイさんの才が羨ましい、私には出来ないものです。ただ見た目もまた詩としての大事な要素なのかなと、わたしはこれを見て感じましたね。まあ私が気にし過ぎなのかもしれませんけど。
1コメント、ありがとうございます。 見た目の問題、縦書きか横書きかとかも関係してきそうですね。 正直、先人たちの暴力的な詩(褒め言葉ですが)を好んで通ってきたせいで、自分のこの詩を読み返しても、まだ小綺麗で優等生ぶってるなと感じたりします。 だからといって躍起になって、無理に狂気を纏おうとすると、ごちゃごちゃとした違和感が生まれて、ピエロの茶番劇のようになる部分があるのかなと、A・O・Iさんの指摘にハッとしました(その違和感が生まれても、意識的にコントロールできればいいんですが…難しい)。 相手を綺麗に仕留める暗殺者かのような詩、それも心がけてみます。聴覚と視覚、両方のイメージでもって。 ありがとうございます。
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