別枠表示
私ほんとうに、旅立てない(泣)
休日の朝に雨が降っているとホッとする しとしとの音、それはゆっくり休んでねの声 濡れそぼったシダ植物がユーモラスに優しい ハンガーに掛かっているブレザーの紺に "コンッ"と私は狐になって 私はまだ身体を丸めて巣の中にいます 今日は森を縦横に駆けることはできません しんなりとした雨音を聴いていると カラッとした日々はまるで遠い夢のよう たなびく雲のようなそれを私は 静かに目を瞑って胸の奥へと誘います 木々の合間に射し込む幾筋もの光 枝から枝へ移る小鳥たちの悦びの歌 愛らしい音色が止んだと思ったら サラサラ、ザラザラ― 幾千の緑が風と戯れ始めている 光に影に、ざわめきに静寂にと 様々に織りなされるたおやかさのなか 悦びに溢れながら私は森に踊っている でも、あともう少ししたら 私はこの住み慣れた森を出て 遥かなる平原へと旅立たなくちゃならないんだ そのとき視界は一挙に開け 北風が冷たく吹きつけるでしょう お陽さまはどこまでも優しいけれど でもその陽射しにこの頬が、瞳が 眩く照らされるほどに、たとえば睫毛の上なんかで 物哀しさが切ないダンスを始めてしまうかもしれません 特別に哀しみを生きてるわけじゃない だけど森のなかに大切なものを置き忘れているようで あたかも後ろ髪を引かれるようにして 私は過去へと連れ戻されてしまうんじゃないかなってね 君のことを思い出すとなると やっぱりあの日のことを思い出す 秋も深まってきたあの日の夕暮れ 私は屋上の階段の手摺りを握ってた 君を見つめて風に吹かれて、たそがれて 相も変わらず君は野球をしていたね マッチ棒のように小さい君が駆けていて でもそのわりに声は轟いてきて なんだかちょっと可笑しかったな 懐かしいような、古さびたグラウンド 遠い夏へと託された、甲子園という一条の夢 君は明日へと翔けていて 私は昨日を彷徨っていて ねぇ 私たちがオトナになったとき あの日の私たちは本当にその胸にいるのかな 頬を首すじを流れ続ける汗 いつものメガホンのガチャガチャって音 それがどうしてだか騒々しくって 顔を上げて空を仰いだとき、ふと もういいやって思ったの 私はもう、1人になろうと あのうら寂しい球場の曇り空を あの日君はどんな想いで眺めたのかな その後― 胸の火照りを鎮めるように、私は黙々と勉強する日々を過ごした そうしているうちに、世界に1人祈る修道女のような心地がしてきた けれどあの静かなる夏の日々とて、すでに遠い 日々はまるで砂粒のように とどまる間もなく過去へ過去へと吹かれいってしまう ちょっと待って― わたしはまだ、昨日の自分が分かってない… 世界に1人佇んでいるように感じることに 果たしてどんな意味があるのかとか… なんて言うと、高尚な女みたいかな たとえばよ― 一人ぼっちの孤独を自分で慰める心地よさを追求したら 何か新たな生き方に目覚めるかもしれないとか つまり私が言いたいのは、そういうことなの それから… 君が私にとって何だったのか、とか、それだって それだって私にとって、すごく大切なことなんだよ? そんな大切なことたちを、私はまだ分かってない… 胸の奥には、日々の朧な記憶が積もっている けれど拡大鏡を当てるように見つめてみても それはまるで魂の抜けた抜け殻の映像のようで 感じていたはずの切実なものたちの消息に、触れることができなくて 遠い遠い、いつの日かの たとえば雨上がりの朝なんかに 胸の奥に光が―それこそ森の木漏れ日のような― 仄かで懐かしい光が射し込んできたりして そうして今日の日々を救い出すことができるというのだろうか 煌めく砂粒を、この両手で掬うことができるというのだろうか 土埃を上げ君がホームに滑り込む 空がどこまでも近くなる それが、君だったよね それだけじゃ、ダメかな ごめんね上手く、思い出すのが下手みたい でもね私、その情景に リニアの磁石並みの強さで君を集約してたりするんだよ? 艶かしい女豹は偶然に、私の前を通り過ぎていった 君の左肩に軟体動物のように絡みつきながら その夜私は、蛍が夜空に淫らなネオンサインを描く夢を見た そうさ 君がずっともう1つの手に掴んでいたもの それはじつに、妖しい妖しいものなんだぞ 人間だか動物だか分からない、そんな禍々しい存在なんだ だからもし君が もし君が、彼女のことを蓮の華だなんて言ったりしたら 私はもう、地球の果てまで笑い転がってやるんだからっ! 君と別れてしばらくした、夏の終わりの頃だった 縁台にポツンと1人座っていたらね いつの間にかおばあちゃんが来ていて そうして打ち水をしてくれたの 特に何も話さなかった おばあちゃんは淡々と水を撒いていった だけど私たちは話してたのね、やっぱり そうして地面に色々な水の模様が描かれていくのを見ながら そのとき私、たしかに思ったのよ 世界で1人きりだなんて、私ホント馬鹿だったって このいまなら、再び思えるかな 世界に1人祈る気高さなんかよりも ほんのりと温もりを分かち合う気だるさに、生きたいって いいえ、思うんだ 無理やりにでも強く想いたいと、このいま胸が叫んでる 1人でいること、人といること それから君と、逢えたこと そんなみんなにとりあえずのケリつけとかないと 私ほんとうに、旅立てない(泣) 1羽の可愛いらしいツクツクボウシが映って 青空には涼しげなトーンがたなびいてるこのいまをもう ずっとずっと離さないでいたいと願った、あの昼下がり そのとき私、思ったんだ― "あっ。いま自分、ちょっと大人になっちゃってる"ってさ あの昼下がりの空― それは―すでに遠くなりかけていた―君との淡い想い出たちも 一人ぼっちの聖なる夜も みんなみんな、その青に溶かし込みながら慰撫してくれるような そんな澄んだ湖面のような青空で でも気分はちょっぴり気だるくって でも私はその下で憩ったんだ だからこそ私は憩えたんだ 愛らしい水に彩られ、小さな蝉は息をしていて そしておばあちゃんは、みーんなお見通しで… 「あ~した天気にな〜れっ!」 雨音の世界に、自分の声がよく響いたってだけ だけどいまの私はそれだけで 明日はきっと晴れやかな自分でいられるって、そう思えるの
私ほんとうに、旅立てない(泣) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1401.0
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-02-01
コメント日時 2024-03-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
最初の方は本当に動物に擬態して、リスとかモモンガとか、これから冬眠する動物をこの詩から感じました。しかし狐でしたね、実際に言及されている動物は。その後人間的な回顧に戻ったような、恋人に対する回想、別れた後の回想。おばあちゃんの存在感もあり、上手く二人の間が中和されているような、そんな感じもしました。
1ねぇ 私たちがオトナになったとき あの日の私たちは本当にその胸にいるのかな 切ないですね。
1こんばんは。面白かったです。 初期の作風、ガシガシ書いてゆく形はやめたんですね。 それでもセンテンスの端々に、何かスピリットのようなもの、が宿っていますね。 物書く人ならばわかるでしょう。なんか、作家論になってしまってすいません。
1>ちょっと待って― >わたしはまだ、昨日の自分が分かってない… この2行が効いていると想います。 なかなか自分をわかることは難しいけれど。 たとえばそんな気持ちは置いておいたとしても、心に沁みるやはり懐かしい詩だと想うのです。なぜか、アップルタイザーみたいな。
1もしも君が もしも君が、彼女のことを蓮の花だなんて言ったりしたら 私はもう、地球の果てまで笑い転がってやるんだからっ!― 彼女がそう、ずっと二股をされていた元彼に送った散文詩のなかで書き記してから数日後の夜、彼女は哀しい哀しい夢を見た。彼女はダンゴムシのように丸まって、身体の後ろにはハリネズミのそれのようなトゲトゲの皮をつけ、クルルルルと、ただひたすらに夜の砂漠を転がり続けていた。涙さえ出なかったけれど胸はマグマのように熱かった。月光に輝く大地のその砂粒の、妖しいまでの気配は彼女の、その内なる炎に比類なき力を焚べ続けた。 私、光ってるわ。身体の内から発して丸い身体をすっぽりと覆うそんな、まばゆい光球に、なっている…「可愛いそうや。ホンマに、可愛いそうや」とおばあちゃんの声。丸まるしかなかったんやな、丸まるしか。ええよ、まあるいのはええことぞ。お花さんも味方してくれはる。その傍らにちょこんと眠っとったらええばい。あなたは蛍よりも光る飛べない、蛍。発光しとるなあ実に、のおみかんよ、夜の砂漠の眠り心地は、どうじゃ?サボテンはんの花だけやない。お月さんもいはる。星のみんなも見守っとる、みーんなお前さんに愛(し)たいんよ? ねぇ―と私はおばあちゃんの話を遮って―、「みかん」って誰よ?わたしはあずさだよ?ほっほっほっ、昔こうとったポメラニアンでのぅ…と、草原が目の前に広がっていた。おばあちゃんは母さんくらいの歳になっていた。1匹のポメラニアンが真昼の草原を駆けていき、そしてふと立ち止まる。首を左に傾け私を見ると、シロツメグサの小さな白に彩られた彼女は凛としていた。 おばあちゃん、彼女?は元気玉(元気の塊)みたいだけど?なあに―おばあちゃんはあっという間におばあちゃんに戻って―、75年生きてきたわしからすれば、しょぼくれたお前さんも元気印やったみかんもそない変わらへん、どっちも可愛いらしい命の塊じゃて―相変わらず「ほっほっほっ」と笑うおばあちゃんを見ていると、なんだか誤魔化されたような感じはあっという間に和らいでいて、気がつくと自分がみかんになっているようでなんだか、このいま自分に降りかかっている悔しい哀しみとて、というよりその悔しさ哀しさこそが、ほかでもなくこの真昼の天から降り注いでいる祝福であるかのように感じられてきた。 気づくと身体の後ろを覆っていたハリの皮は消え、私は人間に戻っていた。みかんはその務めを果たしたかのように大気のさなかへと、その小さな身体に目一杯の儚さを湛えながら消えていった。なんだか寂しい心地になった。おばあちゃんは哀しげだった。私は、みかんなんだ。私が懸命に生きて、今度は私がおばあちゃんを勇気づけなくちゃならないんだと、今度はそう胸の炎を燃やしたのだけど、おばあちゃんと二人向かい合うと、真昼の陽光の下おばあちゃんの顔の皺がくっきりと浮かび上がっていることにいまさらながら気づく。おばあちゃんの明日は私のそれとは真逆の影なのだという認識が、私を打った。仄暗い道を1人寂しく歩いていくのが見えるようで、まるで景色は夕刻になったかのようだった。幾万もの稲穂が物哀しく風にしなだれていた。駆けたくないと、私は思った。 どないしたんや!?とのおばあちゃんの声は耳を抜けゆき顔は右向き、そうして私は、未来でも過去でもないような丘へと―しいて言うなら永遠の今とでもいうような陽だまりの丘へと―、まるでさきの語らいを永遠のものにするかのように、おばあちゃんの温もりを、消えていったみかんの儚さを、そして哀しく砂漠を1人転がり続けていた私自身を、そんなみなを抱きしめながら、歩いていったのだ。 ―あそこには"切実ないま"がずーっと揺蕩っている―ええそれだけは分かるのと私は、丘へゆるりと登ってゆく。見とれるほどに、丘は懐かしくありながら新鮮だった。だから私は、スーッと私へと歩いてきていた(美)少年に気づかなかった―ハッとするとその、儚げな睫毛が動いたところで― こんなところに、どうして?私、生きることに怖じ気づいちゃったの。僕には、あなたは不安よりも優しさに呑まれているように見えます―"優しさに呑まれる"という表現は稲妻となってこの胸を直撃したけれど私は、平静を装って「あなたこそ、こんなところをどうして?」と問いかけるや、物哀しく翳る少年の面、いきなり左手を(右手で)とられた私は心が少女になった少年はリアルに青年になっていて、きゅ〜っと胸が切なくなってもう、なにされてもいいって思って。 僕は―と少年に戻って手も離されていて―あなたみたいな人に逢いたくって「陽だまりの丘」からちょうど今、未来に向けて歩き出したところだったんです、どこまでも優しくって損ばかりして、それでときには自分の人生に立ち向かうことさえ忘れてしまうような、そんなセクシーな女性にね。あなたこそ、とても優しくって、それでその―と私は半ば無意識に半ば自覚的にもじもじとしてから―、なんというか、カッコいい男の子に見えちゃってたり、するんだよ?案外サラリとかわされた。でもその、サラリとかわす彼の視線に現れていた、丘から吹き下ってくる心地よいそよ風のようなトーンは少し遅れて、この胸をそこはかとない郷愁で満たしていた。私もかつて少女だった頃、オトナの視線をやはりませたようにかわしていたのだろうか。 さあ、戻りましょう。あなたが息をするべき大地へと―今度は私から彼の右手を掴んでいた。ぎゅっとぎゅっと掴んでいた。彼の胸なかに燃えさかっているだろう憧憬の焔に、明日の日々に幾万ものささやきを焚べてゆくことを、夢見ながら。
0美しい女性について描写するとなるとまずは、ごく自然に背は高くもなく低くもなくと平均を強調したくなるものだけど、こと鈴原あずさに関して言えばむしろ逆に、僕は彼女のその背丈の、物哀しい至らなさについてこそ語ることになるだろう。 背の低いことを「物哀しい」と形容するのは失礼だろうけれど、でもたとえば彼女のあの、小さな背丈で遠く空を見やる折の健気な感じだとか、あの背丈にもかかわらず大きく見える折の凛とした気高さだとか、喩えるなら水の鏡越しにでも見つめているかのような、そんな澄明なトーンの最中に仄かに湛えられているだろう、いわばやるせなさのような情感から、僕は決して目を逸らすことはできないのだ。 鈴原あずさは美しい。可愛いというよりは、やはり美しいと思う。僕は中学の頃一家で引越しをしてこの町にやってきたのだけど、その引越しの折の業者さんの女性のことを、いまでも昨日のことのように思い出す。彼女の作業は速くて正確で、それこそ1ミリの隙だってないくらいだった。 けれど、部屋にそのダンボールを開いたりガムテープを貼ったりする作業音が絶え間なく響き続けるのを聴いているうちに、僕はなんだか哀しくなってきてしまった。それも、とてつもなく。仕事ってやつがどういうものなのか分かってなかったこともあるのだろうけれど、僕は彼女が、あたかもなにか巨大な哀しみを振り払いたい一心で、怒濤の作業に邁進しているように思えたのだ。 そんな彼女を、僕はなんて可愛い女(ひと)なんだろうと思った。けれどあずさは美しい。もしもあずさが引越し業者に就職したとしても、彼女は絶対に、あんな風に憑かれたように作業することはないだろう。彼女は急ぐことはあっても決して急がされることはなく、そしてその自立心こそは、ほかでもなくあの仄かなやるせなさに支えられているのだと思うのであり、つまり彼女は、いわば高貴に自分というものを飼い慣らしていることになる。鈴原あずさが美しいというのは、つまるところそういうことだ。 彼女は背丈こそ150cmとだいぶと低いところに位置しているけれど、にもかかわらず、その事実を生きることにおいてあるやるせなさにおいて彼女は、それがまさしく「秘められた」と形容するにふさわしい按配を、いわばつねに実現しているかのようなのだ。 それはいわば張りつめた一本の弦である。か細くも力感に満ちた、ひとえに―やはり―高貴な男の手により弾かれることだけを夢見る、いわば高慢でもあるような弦である。 分かっている、僕などには、決して届かないと。あの切ない瞳で見上げられるとき、僕はもちろん暗に見下されているのだろう。しかし、それを彼女はどこまで意識しているのだろう?見下していることをうんと意識してほしい、つまるところうんと見下してほしいと感じる僕はおかしいのだろうか? いや、さきの表現は正確でないかもしれない。というのは、彼女が僕を見下していることを僅かに自覚している状態から、ハッキリと僕を見下す、つまりそれこそもう、見下している自分をもう1人の自分が眺めるなんていう余裕もないくらいにあけすけに見下すという、そんな極へと彼女が移行しうるのだという事実に、僕はこのいま打たれているのだ。 そんな最中にあの、彼女のあの澄んだ瞳から、一抹の憐憫の雫が滴る瞬間に立ち会えるというのなら、僕はもう、己のすべてを投げ売ってもいいとさえ思う。
0夢から覚めた彼女は朝日のなかにいた。その懐かしくも新鮮なトーンがあたかも、朝と夕刻の垣根を超えてあの「陽だまりの丘」への切実さを思わせたので、彼女は"いま"を引き延ばそうと、上体だけ起こしたままに「愛」―と呼ぶほかないもの―を抱いていた。 ただ、じんとした温かみがあった。いまでは乾いていることすらもが奇跡のように感ぜられた。というより乾いていることこそが奇跡なのだと彼女は、かつてウミウシの研究をしていた父の、それでいて実にさばけたトーンをありありと思い出していた。その人に、しなやかに寄りかかるようなところのほぼない父の、その瞳に映じていた軟体動物のセクシャルな消息を想った。しなやかでいながら儚かっただろうことのその色香の、その父へと伝えられたろう残り香の精の、その奔流の末に私という陸上生物が胎胚したのだという直観は、彼女を幼き日のケアンズの浜辺へと運んでいった。 ただ「輝ける青」という茫漠たるビジョンさえあればよかった。そして広々とした砂浜があり、暖かな風がすべてを吹き払っているようだった。何かが吹き払われていたわけではないけれど、それはとにかく「吹き払う」と表現しないことには収まらない、いわば大空の司る力の現れであり、その下で彼女は、家族といたにもかかわらず世界というものにただ1人対して、そうしてオーストラリアンサイズの大きなオレンジジュースをぐいと飲み干したのだった。 カエルなどいる気配もなかったなと彼女はその、生命史の中間項がごっそり吹き払われたかのような怒濤に目眩しただ、乾いていることにおいて抱かえているその実存が、髪が、皮膚が、サラサラしていることのただなかへの沈潜が、かつてのしめやかな生たちへの黙祷を通して自分を、いまや新たなる愛への渇望へと導いていることを、その胸の奥深くでしかと感じた。 「この渇きをこそ、私はずっとずっと待ってたんだわ」―皮膚が新しくなるように、私の心はちょうどいま生まれ変わったのだと、彼女は思った。
0これだけの作品を作り出せる動機というものに、不思議なものを感じました。 雪月統さんは恐らく女性の方だと思うのですが、これだけの青春を、特に大きなエピソード もなくこれだけの想いの純度を保ちつつ理想的にさえしない即現実的な詩を書かれている ことに、一つの文学作品としてゆるぎない存在感を感じます。コメント欄に書かれた 作品はまだ読んでいないのですが、後で読んでみます。
1「あっ、あのさ…」と震える声で、彼は僕に声をかけてきた―「鈴原さんって、か、可愛いよね?」「ああ、可愛いとも。この校舎の女の子みんなを足し合わせたって、彼女の足元にも及ばないくらいにね」―と、ほとんど反射的に言ったのだけどきっとそれは、普段文芸部でひたすら洒落た表現について思いを巡らせているからで、しかし僕は彼女のことを、可愛いというよりは美しいと形容したくって仕方のない男で、とはいえそれはまぁ、この後一緒に帰ることになるだろう帰り道で、ほどよい頃合いでそれとなく明かせばよいだろうと思ったのだけど、しかしそう思い始めるや胸のウキウキが止まらなくなってしまう有り様だった。 沖田はこの校舎に2人の友人しかいなかった。ほとんどの時間を1人本を読んで過ごしていた。だから彼から声をかけられたということそれは、僕(ら)と彼とのあいだにそれとなく、しかしそのじつ比類なき強度で存在し続けていた透明な壁が、しかしその声をかけられるという出来事にいざ呑まれてしまった後ではもう、たしかに壁が存在していたということは分かるもののしかし、"それほどの"強度であったという事実は泡沫となって消え去り 、それはもうこのさき決してこの地上に戻ってくることはないのだという直観を伴うものだった。 幸福ながら、そんな風に不思議な寂しさのようなものがあり、そしてやはり気恥ずかしくもあるような情感を抱かえながら、そうして僕は、初めて彼と帰途を共にしたのだった。 今日は部の活動はなく、時刻はまだ4時過ぎだった。まだそれほど深まってはいない穏やかな秋の、夕刻と名付けることの憚られるような夕刻の青空の下を、僕ら2人は歩調を合わせゆっくりと歩いていった。 長い長い孤独の日々に、幾万もの言葉が彼の内面を象ってきた。僕もまた文芸部で、絶え間なく己の言の葉を豊かに繁らせるべく、日々というものを歩んできた。両者の内面は―言葉の森―は、このいままさに交わる一歩手前にあるのだという認識が、ふいに、しかしごく自然な滑らかさで、僕をいわば打ち包んでいた。しかし僕はそれをひとえに、僕個人のドラマとしてこの胸にぎゅっと仕舞った。このいま僕らはあくまで、ひとえに鈴原あずさという1人の女性の、美しい1人の女性の、その周縁をともに辿ることにおいて繋がらねばならない。 対人不安の気でもあるのかな?とすら思ってしまうようなその、生真面目に張りつめたトーンのさなかから、そのこわごわと開けられた唇の合間から、可憐で清らかな花のようなあずさが飛び出してきた―「ひ、瞳のなかに、星がある、みたい」「妖精みたいに、森のなかを風に髪をなびかせながら歩いているのが、見えるよう」…「あっ!」とその声が大きくなる―「でもとにかく、とにかくいつでも、彼女は制服を、それもネクタイのついた僕らの学校の制服を、着ていなくっちゃならないんだ」 "ふぅ〜"と息をつく音が聞こえてきた。この胸のさなかで、彼女の像がのっぴきらない変化を蒙り始めた。彼女の髪はあっという間にショートに切り揃えられた。彼女は色とりどりの花々の咲き誇る庭を、淡い淡い朝の風光に儚くその、首すじにかかろうかという亜麻色の毛先を、細やかに煌めかせながら佇んでいた。 後ろから彼女へと近づいていく。彼女は切なげに振り返る。一寸、あたかも冷涼な光線が放たれたかのようだった。その顔は、ほかでもない少年のそれだった―
0彼女を見るたび僕は自分が、あたかも奈良の都にいるかのような錯覚に陥る。美人というのとはちょっと違うけれども仏像のような、そんな気品ある顔立ちをしていて、僕はそれこそもう何百回と、その慈愛に溢れたお顔を―不謹慎にも―盗み見していることになるはずだ。 でもね、わざわざ奈良化なんてしなくたって、実は僕の町は松坂という、いわゆる"もののあはれ"を論じた本居宣長さんが生きていた、そんなすでに風流な町だったりするんだ。ただ少し込み入った事情はあって、というのは、宣長さんは仏教というものに対して、大陸から来た不純なものだという否定的な認識を持っていたらしくて、そうするとつまり僕のしていることというのは、本来相容れないはずのものを一緒くたにするという誤ったことなのかもしれない。 けれど実際の感覚的なところとしては僕にとり、―宣長さんが強く支持していた―神道も仏教も。等しく「風流」という語の下に仲良く並べられるものであり、それゆえ僕は彼女を通して松坂と、奈良の都を二重写しのようにして見ているのだし、まさしく奈良や平安の時代からの"風"が"流"れるというその、時空を越えた壮麗なたおやかさのさなか佇んでいるとなんだか、一枚の梅の花の周りを巡り続けるような儚さの、そのさなかに彼女が波のように浮かび上がっては消えるような、そんな切ないイメージビデオのただなかへと、比類なき切実さでもって胸を投げ出したいような気持ちに駆られちゃったりするんだ。 友達には笑われてる―「お前は姉貴がいないから、年上の先輩を過度に理想化しちゃうんだよ」ってさ。先輩、先ぱい、せんぱい…いや正直に言うとさ僕はもう、その「せんぱい」って言葉の響きだけでご飯何杯も食べられますって程度には彼女に、鈴原あずさ先輩にときめいちゃってて(汗) ねえ、1個上ってだけでどうして、あ、あんなに身体がいやらしく見ちゃったり、するのかな?(笑)誤解のないように付け加えるけれど、それはもちろん、たとえば胸が大きいとか腰がくびれているだとか、そんなハッキリ目に見える事物について言ってるわけじゃあないんだよ?それなら同級生にもグラビアアイドルみたいなのが幾人かいるし、それに彼女、胸はふつうに小さいんだ、ここだけの話(笑)僕が言ってるのはつまるところ、そこはかとなくその身体全体から漂ってくる色香のことさ。 あっ、でもあずさ先輩、脚はめちゃくちゃ綺麗だな。うん、そこは否定はしない(笑)彼女があの、寸分の隙もないようなしとやかさで近づいてくる折の胸の高鳴りを、ほんとうに君も体感することができたらいいのにと思う。けれど!なんということでしょう、あずさ先輩には男が、それもひ弱な僕なんかとは比べ物にならないくらいに逞し〜い彼氏がいてたり、するんだ。いやこれ、本当の話。 ここでもう1回、さきの話に戻ろうと思う。つまり彼女のその歩くという所作が、あまりにも完璧だって話に。でも完璧なのは脚の運びだけじゃないんだな。あれは牡丹雪がしんしんと降る冬の昼休みだった。僕は部の用事でたまたま、当時2年だったいまの3年の教室へと向かっていた。するとそこにあずさ先輩がその、ロシアのバレエ団の女優さんでも不可能ってくらいに優美に歩いてきていたところだったんだけど、少し遅れて、つまりあまりにも白磁のような太ももが美しくって遅れるしかなかったんだけど(笑)、そうして目に留まったのは彼女のその、両の手で抱きかかえるようにしてノートを持っているそのニュアンスだった。 胸が締め付けられるような切なさの稲妻に僕はもう、脳天がかち割れてしまったのかと思ったくらいだった。特段優しい顔をしていたわけじゃない。むしろ涼しげだったくらいで。でも、だからこそそこには、たとえようもなく高貴ななにかへの予感に満ちていた。それこそ仏の心へと至り得る、そんな風な。 その少し前の日に彼女が、くだんの逞しい彼氏といるところを見ていた僕には、しかしまだ驚く余地が残っていた。もっというと僕はほとんどもう必然的に、さきの高貴と、そして性という、一見相容れない2つを結びつけざるを得ない状況にいたことになる。 そんな"体験"は初めてだった。雪はすでに止んでいたけれど、大地には表皮のような雪が残っていた。斜めに足跡が続いている―まるで異界から使者が訪れたかのような、そんな規則正しさで。月光の下、それらは明かされて在りながら、この世界に存在しているいかなる影よりも妖しいのだと、僕は思った。 ひとえに雪に調律されたかのような、あたかも荘厳な葉擦れとでもいうべきザラつきに、僕の耳は浸されていた。顔を上げると、果たして彼女の2本の脚があった。雪より白いはずなどない。しかしその仄かな、仄かな紅はこの胸を、梅の花のその、無限に小さき紅の明滅へと誘っていた。その夢幻のさなかから、無防備な彼女の太ももがぬっと前へと投げ出された。目眩のままに僕は立った。荒波のさなかに、2人は泡沫のごとく溶け去った。
0青春ものの小説を読んでいる気分でした。過去の思い出や過ぎ去った青春を思い出す寂しさがノスタルジックに表現されているなと感じました。
1彼氏が野球をやって居るからかと、後の方を読んで得心しました。日曜日の雨は決して心の安らぎの為だけではなかった。青春の、汗と涙と、恋。それらが女の一人称視点から語られている。おばあちゃんや、縁台や、地球の果てや、人間は動物ではないかと言う懐疑、リニアの磁石並みの強さで、君を集約したり、近付いてくる空、昨日の自分が分からないと立ち止まる。青春が動物したり、人間したり、テクノロジーする、そんな現代美術の様なモードをこの詩からは読み取れると思いました。
1みなさん、温かいコメントありがとうございます。 コメント欄にて作品を続けるという、いわば反則的な(ですよね?笑)作品に対して投票いただいたことには、ほんとう申し訳なく思います(苦笑) こういう形は今回かぎりということにしたいですね、本当にどうもでした。
0