それのほか みちはない - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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それのほか みちはない    

うつろ灰色の翳に高尚なまん月がまろびでる 象牙すすけた草原のときは、まだまだ みちなかば いっそう留めた錯覚を立ちのぼらせつつ嫌がりました ふとあなたは、という穏やかさだけで ただ顔を曇らせたすがたで どこにもありゃしないが、と埋め戻して 首を振るばかりの無言劇のようだが その日のうちに膨らんできただけの そうそう錆びた咲き始めを知る ふと呼び戻しそうになって示し直して 一番星を飾り付けて待っていたとき 倒れかかってきたそれを 振り払って 今 握り返した どこか祝日を食いつぶす膝の上の。つぶらなきみ すこし濡れた前髪、のびた手足だけがいきてくる ぼくはそぞろを気取り ネオンの命日の傍を通る ね、何度も便りに描いた へたくそな羅針盤を片手に かたわらに 消えかかりのカンテラなどを 携えながら 隣街まで歩こうかとおもい、投げだした夢でした さてあなたは踏切を渡るとすぐにあらわれる ひつじ雲はほころびた花びらの香りを尋ねた そこには赤い時計店 タグの付いたエゴの元、空回りとソラシドを均す 近く鳥居は走馬灯に重なり いまや、待ち構える とおくかすかに厭う 幼くみえるかたちが、蝋染に揺するとみせる このつばさをひろげるには  ――また、微熱のまま かたちを ころしたい あのころから抜け出せずに 茜空に追い詰める 真直ぐとのびる反薄明光線は、いよいよ撫で回す 輪郭も影も色も香りも、黴臭く 真近よりこぼれる 腐りはじめてからそこで停止したじかん 視界に収まる程度すら引き伸ばされたいま  己の手が届く範囲、 甘くふやかした天の格子 塵や埃と、叫ぶように  見あたらないから縋っていた つきかけはしをのぞむ どこか 帰りたいとおもいながら 希望は雲の空の影だと 刳れるのだと、日々手探りながら   かなぐり捨てるまでが とかく難しいもの ものですから いつかの ただ星を潤ませた潮気で そのうち溢れて生きた そうそう錆びた咲き始め かれゆくばかりの樹珠なぎ せつなさは少しよろけて つまるところ 息を飲むほどに 光をうんでは、しぬ 翠のトンネルをひたすら征く。ペガサスを生む、いま 泣きましたか じかんを 潰していた。虚構ばかりが ムゲンなのかも 痴れなかった  苦言騙るより なまくらな坂道で すれ違うよるを得て  いまはただ かいなでる ただただゼンマイ仕掛けの旻はしずかに幕をおろした 想像より 堅く しずかに降り積もる とどかない高さに 知り得ない遥か と置いて あるものを 探していた 永遠とは小刻みに震え こもれびを散策する 史実なのか しらない顔だな、 となにげなく打刻された福音 あいだがらに劣ると わらってみせるつもりもないが わたしというものも あなたということも だれも かれも なんも なかったかのように みな 未来に、ありたかった そしてそれだけ  見えざる 時折、吹雪いたかよう 浪漫がまわしものだ



それのほか みちはない ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 25
P V 数 : 2014.0
お気に入り数: 2
投票数   : 1
ポイント数 : 0

作成日時 2024-02-01
コメント日時 2024-03-06
#現代詩 #縦書き
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
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 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
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構成00
総合00
閲覧指数:2014.0
2024/11/21 23時14分10秒現在
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    作品に書かれた推薦文

それのほか みちはない コメントセクション

コメント数(25)
エイクピア
作品へ
(2024-02-01)

かたちを ころしたい と言うフレーズには少しドキッとしました。虚構の無限性、詩に広がると言うよりはむしろ詩の外に広がっているような気がします。羅針盤は詩をどこに導くのだろうかと思います。恐らく、幾度も替えるでしょうが。踏切を渡るとすぐに表れる「あなた」は光の存在なのかもしれません。僧旻の不思議さを思います。古代にさかのぼったわけではないでしょうが。

0
田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2024-02-01)

カンテラなんて言葉、めずらしい。

0
田中恭平 new
田中恭平 new
作品へ
(2024-02-01)

こんばんはー。滋味深いここちになりました。 こころが、しゃんとしたり、温かくなったり、文字の意味通り、滋味深くなりました。 それにしても、最後のフレーズにはやられましたね。 私は、詩は、他の世界へ連れて行ってくれる側面があると思うのですが この作品、A・O・Iさんの作品は、それが心地よい世界であったとき あたたかい息すらこぼすようです。

0
A・O・I
エイクピアさんへ
(2024-02-08)

いみいみいみばっかいわれて、んじゃ崩せるだけ崩してどうなるん?と思って、そういったきっかけや気付きを得たところがあるんじゃないかね私。今思うとだけど。コレはあらかた書き終わってから答えが出ていたというそれだけでした。形を殺したときになにがあるのか、おもいは残ります、浪漫があるでしょう。なんてね。

0
黒髪
作品へ
(2024-02-08)

なんというか、文章としては面白い。だが、イメージを結びません。テーマを読み取れないのは、 読者側の責任もあるとは思いますが、どうでしょう、もっと短く凝縮して書いてみても、 いいのでは。だんだん読みやすい作品へと変わって来ていらっしゃるとは思いますが、 人間を書いているとは思えないのです。現代アートっぽいというか、そういった特徴かと。 バルトークの音楽とモーツァルトの音楽を比較しても明らかなように、同じ詩といっても、 全く様相が異なっている、ということは、全てについて当てはまると思うのです。 ですが、様相が異なっているとはいっても、そのポエジーをめぐっての冒険が、 詩というものの宿命だと思います。ポエジーをもっと強くするにはどうするかという意識は、 常に反省しないといけないのだと思います。そのうえで、作品の個性も主張されるわけで。

0
鷹枕可
作品へ
(2024-02-09)

兎角、読み難い。 此れは油彩の赤。夜目や藪目に彩度の高く。 難読を極めても面白い、かも。

0
トビラ
作品へ
(2024-02-09)

個人的な印象としては、言葉が無意味でわからないというより、言葉の意味性が強くて伝わりづらいのかな、と思いました。 それの他にも、道も未知もたくさんあるんじゃないかな。 其れ逸ーれ。

0
A・O・I
作品へ
(2024-02-09)

自分の詩作コンセプトです、手癖を自分で分析したものになります  読み手の解釈に委ね 梳かれた言葉ごとに読み取る詞、捻り捩じった羅列・流れの一音にどれだけの意味が込められるか、心に浸透するような詩でも世界が思い描ける小説とも遠い、形も話も見えない言葉たち。  文字としての言葉を 口に出した時の舌触り 引っかかり 意味として感じることを 重ね掛ける、擦れては ざらついたコトバの羅列に中る。蠢いた時や物が パズルピースのように、くみ上げていく。アナタがワタシが、ただ乱雑な表皮が いつかなにかとかたちづくり、光と影が埋まるような レリーフ。 自分、大体意味を重ねがけております。心象風景、比喩、ダブルミーニング……手法としてよく理解してはいないけれど。自分が納得する方へ兎角書かされるままに迎えて入れて置いてます。その瞬間は考えとは遠いところで、自分の計り知れないところにあると思っています。 ただ湧き出るもの、書かされてしまうことに従順であること、突き詰めて活けること。 詩を書かされるだけの媒体にだよ、わたしたちのからだは。そうありたいとおもうが。まだまだ書いてしまっている段階だな、自由が効かないものであるけど、どうにかしようと足掻いてしまうものです。 良いも悪いもただ指摘するのではなく、読み手様がどう感じとったのか、なぜそう思ったのか、読み手様との違いを楽しみたい知りたいと思っています。 ご覧いただきありがとうございます。

1
A・O・I
田中宏輔さんへ
(2024-02-10)

>カンテラなんて言葉、めずらしい。 たしかに〝てらんぷ〟ぐらいでよかったかもしれません。およみくださりありがとうございます

0
トビラ
作品へ
(2024-02-10)

読んでいて、うまく感じとることができなかったのですが、そもそも感じとられることを目的としていないということでしたら、それも納得です。 心に浸透することからは遠いということは、心に響く──感性に訴えることから遠いと受け取りました。 そういう意味では、試みは成功していると思います。 A・O・Iさんの書くことに対する情熱や熱意はよく伝わってきて、その熱量が魅力になってると思いますね。 作品のなかで言葉はただ物質として存在する。 それはどこか、砂漠のなかですっと立つモノリスのような印象を感じます。 内容は感性で解釈するものではないということでしたら、僕には理解が難しいかもしれないです。

0
A・O・I
トビラさんへ
(2024-02-10)

 >心に浸透することからは遠いということは、心に響く──感性に訴えることから遠いと受け取りました。 違います。  ・心に浸透するような詩でも世界が思い描ける小説とも遠い  私のいうここは、心に浸透するような詩――共感や感動を瞬時に呼び起こすようなものが言葉として書かれている詩、文字を言葉と読んですっと入ってくる一般的な詩のことをいいます。  そのあとに書かれている ・世界が思い描ける小説とも遠い という部分で一般的な解釈だとわかっていただけると思いましたが、言葉足らずでしたかね。まあこれが自分の出来うる詩のコンセプトだろうな、ってだけなのですが。  これを書いた当時((読み手の解釈に委ね 梳かれた言葉ごとに読み取る詞、捻り捩じった羅列・流れの一音にどれだけの意味が込められるか、心に浸透するような詩でも世界が思い描ける小説とも遠い、形も話も見えない言葉たち。)の部分です))まだ詩作はじめて一年もたってない頃ですが、すでに一般的な詩から外れていることに気づいたのです、誰が好き好んで(いや好きですけど)書こうと思ってこう書けると思う? ずっと悩んできました。なにか意図を持ってこう出来たら苦労しないです。いつも手探りですよ。それは変わることなく今でも突き詰めて行けていると思います。ただ、うまくわかるようにとか楽しんでもらおうとか、それを目的にするような、そうですね共感や感動を相手に与えるための詩作は、そのころから意識してなかったですね。  書き手が理解してほしいと思ってないから。そこで思考を打ち切るのは勝手ですが。書き手の思考を読み取るクイズじゃありませんから、書き手の思考にとらわれず、どうぞごじゆうに、なにか素直に受取れるならそれで、充分たのしめるのではないでしょうか。そこに何も見えなくても感じられるのなら、作品に感化されたから、感じられることが詩であって、詩になるのだとおもっています。

0
A・O・I
作品へ
(2024-02-10)

 ただわたしのものがおもしろくないりかいできない、それだけでも充分、己を顧みて、なぜ?と。それが気になるのか、わからないものとわかるものがあること、その差をとことん考えるべきだと思う。相手を知るのではなく、それはもう自分を深めることだと思うね  例えば、なんでこいつこんなにきらいなんだろ、でもいい。じゃあじぶんはなにがすきなんだろう、きらいなやつのことなんて想像しなくていい、すきなものを見つめ直す。深めていく。そういうことだろ。(違うか?どうだろうな)  必死に読もうとしてくれることはとてもありがたいのだけどなあ。なぜ内容を理解しようと務めるのだ?  理解されるということを目的としてしまうのか?   なぜ作品を理解に落とし込もうとするんだ?   なぜそう思うのか理由はなんですか?  なにか気になるからコメントくださるのだろうから、それがなんであるのか、書き手を見つめ答えを定めるのではなく、読み手自身が己に問いつづけるものなのだと思うよ  貴方が自分を知る事ができる、そのための差を見つめる行為が大事なのではないでしょうか。  お読みくださる方、コメントくださる方、たちどまってくれてありがとうございます (コメントは各自個別にゆるゆる返したいと思います)

2
A・O・I
田中恭平 newさんへ
(2024-02-11)

田中さんが滋味深いと感じられるのは田中さん自身が何でも喰える気持ちが、受け入れる姿勢がきちんと備わっているからではないでしょうか、わたしのもんはそうとうゲテモノだとおもいますけどね。その中になにか感じられるのはいままでの経験で味覚が発達してるのだと思いますよ。・〝詩は、他の世界へ連れて行ってくれる側面がある〟 とのことですが、そうですね自分の知らない世界を覗くことが出来ますね。それは大いなる糧ですから。今自分がどんな姿をしているのかを確認しつつ。無理のない範囲で呑み込んでいけたらたのしいとおもいます。兎角わたしの詩に触れ心地よい世界と築いてくださり、ほんとうにありがとうございまーす。

1
A・O・I
黒髪さんへ
(2024-02-12)

 詩作において、文学や文芸はきちんと意味合って言葉を使っている印象があり。アートや芸術だと好きなように感じればいいというスタイルのように思います。  さてでは、詩は文として言葉の本来の意味 伝達責任が伴われるものなのか。造形としての創作物の自由を持つのか。やはりそれぞれの詩作方向に委ねられるものですが。  わたしはアート的な方向で詩作を行っています。ですから ・〝現代アートっぽいというか、そういった特徴かと〟。 と言われ( ゚д゚ )彡そう! わかってるじゃん!と頷きました。  んで、  >イメージを結びません/テーマを読み取れない/もっと短く凝縮して書いてみても/人間を書いているとは思えない   と黒髪様はおっしゃいましたが、なぜ私のものを読んでそう思うのか詳細な理由をが書かれておりませんでした。  これは多分ですが、黒髪様の詩作が伝達責任を伴うものとして、機能されているのかと思います。ですから文としての理解を重きに置くわけですよね、ですから、見えないものわからないものは、駄目なわけです。わたしの場合はオブジェクトとしての自由さを持って詩作しているわけです。これは例えですが目をつぶって感覚として、触るものを書いているつもりですから、これがなにであるかは読み手様しかわからないのです。ですからなにも感じられなかったのなら、すいませんごめんなさいでしかないです。  ここで一文ずつどんな意味でこさえたのかを私自身が披露しても意味がないと思います。ならそう書けよというだけの、押し問答になってしまうでしょうから。    黒髪さま、コメントありがとうございました

1
A・O・I
鷹枕可さんへ
(2024-02-13)

>兎角、読み難い。此れは油彩の赤。夜目や藪目に彩度の高く。難読を極めても面白い、かも。 何を言ってるのかよくわからないので、再コメがほしいです。コメントは推測するものではないので、これでは貴方様が伝えたいことも伝わらないのではないでしょうか。コメントを与える時もらう時、曖昧に書けば書くほど納得に導かれるものですが、それではどちらも気付きにはならないとおもいます(晴曇コメント返しより)。この詩のコメント欄にもつらつら書きましたのでお読みいただければ幸いです。鷹枕可さまコメントありがとうございます。

0
鷹枕可
A・O・Iさんへ
(2024-02-15)

お返事がてらに。 上記の他の御方への返礼より、見えてきました事等を。 オブジェクト指向、のコンセプトにて詩作をなされていらっしゃるとの事。 而して名詞的構成を迂回、或は忌避をなされていらっしゃるが為、心象(イマージュ)を結像し難いのでは。と。 上記「読み難い」の説明。 概ねの現代美術が美術史の本流足り得るか、は後の美術史家が妥結するべき事である事を念頭に置きつつ。 言葉には、パロール(発声、或は発音)とエクリチュール(記号、つまり文字)の両側面がございます事は、今更説明の必要もございませんでしょうが。 御作はエクリチュールの方向から、謂わば文字を物体‐記号として表記をしていらっしゃるのかな、という所感を懐きました次第でございます。 でございますから。パロールとしての。音、としての説得力に於いて、弱いのではないでしょうか。と考えます。主観ではございますが。 勿論、「だから分り易く書け」と申している訳ではございません。 創作の、詩作の方法論は各々異なるモノで当然でございましょうから。 さこそ、文字配列の抽象美術として鑑賞をすれば佳いのでございましょうが。 音読、朗読の実演に於きましては朗読者の多大な表現力、演技力を必要と致します事は想像に難くないと、思われます。 モノ、と呼ぶべき某か(実象、現象そのもの、認知以前‐態、リアル、等等)を剥出する営為こそが詩の本懐ならば、 貴方様は表記文字の配列の抽象性に拠って、それに肉迫為されようとしていらっしゃる。 それだけのことで、ございましょう。 難読を極めれば、意味‐破壊へと向いましょう。 されど、斯様な試みは、約一世紀程も前にダダイズムの繁栄に拠って、スマート且つ大胆不敵な所作に拠って、既に達成をされている、 その事実も念頭に置く必要も有りうべきかと。 復、今更、とお思いになられるかとも存じますが、目には音楽の魔が宿り、耳には美術の魔が宿る、 その様な端境にて創作に勤しみになられる事も出来ましょう。 脱‐美術、脱‐音楽的な、現代‐美‐的コードの範疇に通底を為すかのように。 お気に召すままに脱構築を為されると良いのではないでしょうか。 最後までご閲覧下さり、允に有り難うございました。

1
A・O・I
鷹枕可さんへ
(2024-02-15)

 鷹枕可さま丁寧な御返事ありがとうございます。(1700字あります、すいません)  自分はなんもしらんで創作しています、そのなかで気になったりつまずいたりすると検索して調べたりするのでしょせん付け焼き刃ですから。こうして教えていただきありがとうございます。知っていることも含めて精進していきたいとおもっています。  さて、それで美術史、文学史でもあるけど、確かにわたしのものはハカイでもソウゾウでもないですよね。ただのへたくそでデタラメで思ってもらって構いませんが。じぶん、自動筆記も辞書無作為も普通に書いたりもします、んで文字素材として一旦置く、んでそこから文字を選び取ってじぶんてきには意味を持って構築し直す形を取っています。すべてではないですけどね。なので手法としてはパズルです。その中で名詞の意味を外せばイメージは結ばない。当然ですわかっています。まあ自分はなにか特定のことやものを一つに見えるよう絞られた詩を書こうとは思ってないんで。それで抽象的なものを、と数日前に書きました。けれど何かソレも違うのだなと、今は思っています。  えー昨日なんですが違う投稿場でコメントもらい腑に落ちまして、その方いわく『>文章を読む時に「意味を読み取る」ということ以外のところから呼び起こされる、普段は意識されない感覚へと、意識を向けさせる詩』と教えていだきました。たしかに!と腑に落ちてしまったのですね。  自分でも何を書いているのかなにを感じてほしいのか汲み取りきれないのでなやんできました、ことばにならならないから詩であらわしていることは確かです。それがオブジェクトしてあるが、ひとつのかたちを備えるように書いているわけではない。んじゃあ見えるわけもないなとおもって、目をつぶって感覚として触るものともかきましたが、今それもなんか違うなと気づかされたところです。  これは自分で、確固としてこの場に書かれたことで先を見ることに繋がったのかなと思いますから。でも偶然とはいえ、おもしろいですねほんと。  鷹枕可様のコメントのなかに音読に関して書かれていましたが、あれは晴曇のコメント返しを見たのだろうか、それとも音としての引っ掛かりというところからかな。なんていうか言葉の意味を大事に詩を書かれているかたはとうぜん言葉をことはどおりの意味で読むので、そういった言葉の読み取りの方の違いをひしひしと感じるのですが、これはただ目で追ったとき頭の中で文字が現れ声に出して読む感じでわたしは思考しているので。音読するために書かれているという意味ではないです。むしろポエトリーリーディングはいまのとこ全く考えてない興味ないですね。  こうやってお答えしなからじぶんでじぶんのことを整理できるので、けっこう考えごとを文字に落とすのですが、にしても長くなりましたね……なんもいみないかこれ  しかしまあじぶんでアホだったなと。好きに読んでほしいいいながら、ぶつくさ書いてしまったなと。やはりなにかしら楽しんでほしいと思って、熱く!ですけど、なかなか難しい、のかな。難しいですか? 答えを形を無理やり見ようとしてませんか。なんてね。でもそれはずっと不思議に思ってみています。感じないなら仕方ないですけどね。強制するものじゃないので、つまらないものを見せてしまったな、すいませんとはおもいます。読めるわかるものを書いてないので。精進精進だな。  正直、誰かがやってようがやってなかろうが自分が出来ることしかしたくないできない。影響受けたいわけじゃないから。しらないままでいい。自分で突き詰めていきたいだけだからさ。とかく勉強が足りないんだな、んだから言葉が出ない、うまく伝えられない、コメントぐらいはきちんとしたいのだが、自分で自分も制御できないのでこうしておしゃべりだ。なんかすいませんでした。  勝手自分で暴走して自分で解決しちゃった感じが否めませんね。  とかく自由に書きたいかなとは思っています、それが先人たちの破壊や想像から達成されたことでも。新しいことがやりたいわけじゃない、ただ私は私を突き詰めたいだけですから。長々と自分語りばかり、大変申し訳ありませんでした。精進いたします。

1
佐々木春
佐々木春
作品へ
(2024-02-15)

詩に詳しくないので見当違いかもしれませんが、文字の並びやかたち、意味ではなく音の連鎖がおもしろいと思いました。

0
ゼッケン
ゼッケン
作品へ
(2024-02-17)

語尾の揺れが素敵ですね。ゼッケンです、AOIさん、こんちは(お名前の・取っちゃった。気になるなら戻します)。 >高尚なまん月がまろびでる >錯覚を立ちのぼらせつつ嫌がりました >どこにもありゃしないが、 冒頭から上手に揺れている。で、 >振り払って 今 握り返した と来る。ぶれながら、揺り戻しながら、たゆたう文章空間が展開される。これが心地よい。序盤。 中盤にかけては「きみ」と「ぼく」だったものに「あなた」というちょっと大人びた人称が現れて「かなぐり捨てるまでが とかく難しいもの」と幼少期から青春期のセカイから出ようとする意志を感じさせる。これが行きつ戻りつ揺れていた作品に直線的な「方向」の概念を導入する。方向を与えたとたんに「ものですから」とまた語尾の感じを変えることで序盤の「方向」に意識を振って後半への溜めをつくる。加速の予感。文章の動力学を自在に操作してはるよ、これは。 そういうことをやっといて、「つまるところ」と凝縮。 >つまるところ 息を飲むほどに 光をうんでは、しぬ >翠のトンネルをひたすら征く。ペガサスを生む、いま 生んで死んで、疾走する。この二行の天翔ける感を作り出すためにかけられた準備。コメント読むとAOIさんが意識的に構成したものではないらしい。でも、だからといって、この二行がここに書かれたのは偶然ではない。ここまでの流れを受けて出てきた二行だと思う。 ジェットコースターで大きな山越えたところで「泣きましたか」とまた「ですます調」でもう一回来るよ、と、予告。これは読者にそう予測できるようにここまで仕込んだからの技ですよ。この読者にはAOIさん自身も含まれているらしい。文章がリズムを自己生成している状態だと思う。ここから言葉のアップダウンを続けて唐突に「しらない顔だな、」とぶっきらぼうなフレーズが入って、読者が我に返らされたところでジェットコースターは減速して出発地点の現実に帰還。そう、いままでさんざん読者をひっぱり回した「浪漫」を「まわしもの」と指摘することで文章空間から読者を追い出す。作者も追い出して執筆体験も終了になる。読者も作者も癖になる作品=体験です。

1
A・O・I
作品へ
(2024-02-17)

〝文字の並びやかたち、意味ではなく音の連鎖〟はものすごく気を使っています、文字が放つめろでぃみたいな感覚であれば、とは思っているのですが……まだまだ難しいですね。佐々木春さまコメントありがとうございます。

0
A・O・I
ゼッケンさんへ
(2024-02-18)

コメントありがとうございます。ゼッケンさんの語り方ノリがよくいつも好感触っす。 語尾の揺れが素敵とのこと。褒められてとても嬉しいです。語尾は単調にならないようにいつも気を使っているので。ものとして気持ち良いものをとはおもっていますけど、やはり意味わかりませんから、理解とは違うところを楽しんでもらえれば嬉しいですけど難しいですねー。 しかしゼッケンさんの読み鋭いっすね、書いてる本人は納得行くようにしか考えてないんですけどめちゃ的確に思います。納得してしまったので。 これ結構謎に自信作だったんですよね。まあ引き込めない自分の筆力の、伸びしろみたいなものを信じて精進ですかね。やはりコメントはとても勉強になります。お読みくださりありがとうございます。

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いわみつ
作品へ
(2024-02-27)

こんばんわ どうせさ、もうこんくらい書けるんなら一度、もろちょーだっぴしてしまえばいい。 文章は上手いが、なんとも内容がなんも意味が分からん。 なんかイカ臭いような、変にまともに固執してる感ある、ここまで意味分からん文章はなかなかない。

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A・O・I
いわみつさんへ
(2024-02-28)

お読みくださりありがとうございます。 文章うまいと言われ嬉しく思います、ただ自分は感性でモノを置いてるので、理解をもって共感共有する詩ではないです。すいません。 詩は言葉の本来の意味 伝達責任が伴われるものなのか。創作物の自由を持つのか。やはりそれぞれの詩作方向に委ねられるものですが。詩作において、文芸はきちんと意味合って言葉を使っている印象があり。芸術だと感性で行うスタイルのように思います。大まかに2つのタイプに分類されるのではないでしょうか。 たしかに自分の詩はどっちつかずみたいな文面に見えてしまうのでこういったお言葉をいただくのは仕方ないとは諦めていますが。

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湖湖
湖湖
作品へ
(2024-02-28)

凝った文章で苦味のあるロマンテイシズムが大人びて耽美的ですね。

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A・O・I
湖湖さんへ
(2024-03-06)

およみくださりありがとうございます

1

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