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気高い美しさ
難しい。ほんとうに、難しい。でも3、4割は理解できたかと思う。 冒頭の「僕をココに引き留めているもの」という表現には、それこそ引き留められるものがある。そこには、もしその何かがなければ「僕」はココにいる必要性などないということが含意されているかのようだ。なんだか切羽詰まっている。 けれど、ごく自然と共感している自分がいる。その何かとは、おそらくは、点在する切実なものたちといったところだろう。それらを―あるいはときにはただ1つを―抱くようにして世界と向かい合うということの、そのがむしゃらで、それでいて愛すべきトーンが、たった一行で活写されている。 それにしても、自分にとって大切なものが、世界から見れば、あるいは他人から見れば、なんでもない―その事実には、えもいえぬ空しさと、もっと言えば哀しみがあるように思う。 だからこそ、「それだけだけどね」と澄ましたように言う「私(僕)」には、諦念を抱きつつも、そこにあるたしかな意味を信じて空を見やるような、たとえるならそんな気高さがあり、そしてそれゆえに美しいのだと、僕は思う。
気高い美しさ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 639.3
お気に入り数: 1
投票数 : 1
作成日時 2024-01-25
コメント日時 2024-01-25
主に批評作品へのコメントとして言わせていただきたいのですが、 「それだけだけどね」という言葉は、分かりにくいところがあります。芥川龍之介の 『侏儒の言葉』に、揶揄的な文章の秘訣として、 「正に器用には書いてゐる。が、畢竟それだけだ。」と小説にコメントを寄せればいい、という 話が載っています。だから、言葉の使用には文脈的な生き方が備わっているということを無視できません。 意味付与の難しさを考えさせられました。
1何とも言えない素敵な現代詩ですね。 真似てみたいです。 また素晴らしい作品を読ませてください お願いします。
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