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どうか許して
俺は300年前のプロパガンダを信じ込んだまま列車の窓からの景色を眺める。イメージを持った言葉で首が締められ嘘しか語れなくなった事に気がついた。夜空に輝く人工衛星が俺のもとに手紙を落としていく。彼らは神様を求め物語を燃やして終点を探し続ける。そうした共感が人の尊厳を壊して回った。生まれ育った場所を忘れた者のために戦争を作り出さなければいけない。どんなに吐き出されても温もりを求める抒情詩が力学の記述の中で銃を突きつけられ唯一の謝罪。真実よりも善い嘘を。
どうか許して ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 726.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-10-30
コメント日時 2023-11-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
300年前というとフランス革命も起きていないので、カトリック的(宗教的な)プロパガンダという事なんでしょうね。 ここでは広義の宗教的プロパガンダという読み方の方が自然なのかな >物語を燃や す事が、 >人の共感を壊して回った から、物語性の一側面である >善い嘘 こそ現在では求められるべきだ、という論旨なのかしらん 確かに現在行われているとある戦争は、物語(ナラティブ)というよりは宗教的なディスクールによって先導されているイメージがある 近代すら飛ばして中世に時間を巻き戻すような暴力的なこもディスクールに関してナラティブを用いて対応しようという問いかけ(あるいは仮説)なんだろうけれど、この戦争をめぐる物語には物語のディスクールの強制力もまた働いてしまっていると思う だから、一概にそのナラティブ、「嘘」が「善い」と宣言されるコンテクストをも、吟味しなければならないと思うんですよね ただ、仰ってる事の内容云々に関わらず、いまこうした思考や危機感を詩人というか物書きの人々が持つという事は、本当に大切な事で、それをこのビーレビという場に投稿された事においては、とても大切な事なんじゃないかなと思います ややこしい言葉を使って申し訳ない
0論が詩であるような。嘘が真実を勝るとはただの便宜的な嘘ではないでしょう。矢張り戦争の虚構性を暴いているような印象もあります。しかし慎重に戦争の悲惨さを強調するやり方では反戦としては弱いだろうと感じている自我が根底にある詩だと思いました。
0「300年前のプロパガンダ」が宗教・政治・商業のどのプロパガンダを指しているのかわかりませんが、今の世における抒情詩の存在意義を問うているのでしょうか。 現代の過酷な世界の力学の中で、抒情詩はどれだけの力を持ち得るのかを問うているような感じがしました。
0中東で起きている戦争について、私は恥ずがしながら不勉強なもので皆目分かりません。捻くれと感傷で詩を書いています。ただナラティブと現実社会の関わり方には興味がありますね。 色々と勉強します。ありがとうございます。
0嘘が善いのでも、真実に勝るとも思いませんが、善意が根底に有るものは嘘であっても人々を融和へ導く事の出来るものだと信じています。 ありがとうございます。
0はい、プロパガンダと抒情詩のについて考えています。 ありがとうございます。
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