別枠表示
月の裏側で天使のミイラが発見された
うるさい。黙れ。クソ。黙れ。死ね。触るな。汚い。喋るな。殺すぞ。近寄るな。気持ち悪い。最悪。臭い。不快。穢らわしい。消えろ。クソ。ふざけるな。黙れ。黙れ。息をするな。吐き気がする。不愉快。死ね。馬鹿が。消えろ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。 今宵は月が綺麗ですね 満月。 真っ暗闇に差し込む怪しい光。 それはまるで魔法の水晶玉のように見えた。 それはまるで慈愛に満ちた女神の乳房にも見えた。 僕を、僕たちを、この街を、飲み込んでしまいそうな、大きくて、綺麗な月。 その月が与える興奮と、戦慄と、恐怖と、恍惚は、僕が抱えている不安を、あまりに小さな社会動物的感情を、さらに大きな本能的感情で塗りつぶしてしまう。 俺を連れってくれ。 月に向かってそう叫んだ。 誰に向かって叫んだ? 天使。 あらゆる存在の終着点。 有と無の境界線の守護者。 有を用いて有を証明することでしか存在を保てない人間世界を嘲笑うように、その天使は無を用いて自らの有を証明する。 きっとあの月に天使がいる。 天使は僕に通信を送ってきた。 「月に来い」 僕はあっち側に行くべきだ。 忌まわしい。 人間として生まれたことが、この上なく忌まわしい。 僕には帰るべき場所がある。 あるべき姿であるべき場所へ、帰る必要がある。 死ね。 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 穢らわしい。 何もかも穢らわしい。 僕は仰向けになった。 月の光はあらゆる穢れを浄化する。 まるで全身に水をかぶるかのように、僕を突き刺す月の光を全身で受け止めた。 おそらく、何もかもは存在するのだろう。 真実も、虚構も、神も、悪魔も、存在しないという事実も、存在するという事実も、男も、女も。 あらゆるものが、存在を許されている。 だから僕らは、当たり前のようにそれを言葉にできる。 なのにやつらは、存在を許されているという自覚もなしに、傲慢に、存在の権利を主張した。 黙れ。 天使の祝福には沈黙で応えろ。 黙れ。 黙れ。 黙れ。 一体なぜ、己の存在が自明などと思っていた。 一体なぜ、己の存在を決して侵されることのない聖域だと思っていた。 その聖域に、一枚の羽が静かに落ちてきた。それが合図だった。それに貴方たちは気づけなかった。 羽は伸ばされた。言葉は全て無意味になった。 僕は今、何をしているのだろう。 目の前にいるのは、女、女? 分からない。分かるのはそれが、女らしい形の肉の塊だということだけ。 その女は月の光に晒されて、天使の羽に犯されている。 穴という穴に羽をねじこむ。 数千本の羽が広がり、女を取り囲んで逃げ場をなくし、女から絶え間なく出続ける体液で女自身を溺れさせている。 女が小さくなっていく。 大人らしい肉の形が、少女の肉付きに変わり、幼児の肉付きに変わり、やがて胎児のような形になった。 なおも、女は犯され続けている。 穢らわしい。 胎児になってなお、この女は穢らわしい。 つまらない くだらない 忌まわしい 穢らわしい かくして私は天使になった。 存在との同化。 完璧への昇華。 ドーナツの穴のように、私を証明できるものはいない。 私を私だけ切り取れるものはいない。 イコールの先は空白。 嬌声と悲鳴とがこだまする地上を見下ろす満月。 モノリスを乗せて揺れる渡し船。 貴方は私を言葉にすることができない。 貴方の言葉は私のものだから。 貴方は私を認識することができない。 貴方の認識は私のものだから。 貴方は私に触れられない。 貴方は私の声を聞けない。 貴方は 貴方は 貴方は私のものだから。 「応答しろ」 「…」 「応答しろ」 「…」 「頼む。応答してくれ」 「…貴方はここに来るべきじゃなかった」 「いや、そんなはずはない…やつらは私に感謝すべきだ」 「どれだけ快楽で臓器を騙そうと、どれだけ論理で精神を守ろうと、同じこと。貴方も、やつらも」 「私が光の中で生きる。やつらが闇の中で生きる。決して交わらない。私に後ろめたさなどない」 「…貴方は天使なんかじゃない。私も天使なんかじゃない。貴方が、いや、貴方たちが求めていたものはきっと、とても空虚で、退屈で、つまらないものだった。そうでしょう?他に私を、私の真実を、言い表せる言葉がある?」 「…穢らわしい」
月の裏側で天使のミイラが発見された ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 727.8
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2023-10-03
コメント日時 2023-10-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
素直に佳いなあ、と思いました次第でございます。 短歌に専念しておりますと、本邦特有の、あらゆる価値を真綿にて締め上げ、都合の良い方向に解釈変更を致して仕舞います、 日本的価値観の卑しさが厭でも鼻に付きますものですから。 突き詰めて思考なされて、人間性の何たるかを炙り出しになられて下さいませ。
0こんにちは。 この詩を読んで、「ルナティック」という言葉を思い出しました。 英語で狂気を指す言葉で、かつてのヨーロッパ圏の文化で月(ラテン語でルナ)が人を狂わせるとされたことに由来するとのことです。(ウィキペディアより) でも、有限なる人が無限なるものや究極なものを求め志向する時、そこに狂気が現れるような気がします。 ルシファーは堕天使であり、堕天使は天使がいなければ存在しえない。 天使といえども絶対ではなく、我らと同じく相対的な存在。 何故ならそれは言葉で表されているから。 この詩から、そんなことを思いました。 (ちょっと脱線してますか・・・)
0誹謗中傷の羅列ではないと思うのです。女が犯され続けている。天使は存在論の使者だろうか。ダブ(鳩)の存在を私はこの詩の背後に感じました。平和が希求されているのだと思います。私が私であることの危機。アイデンティティーの危機なのかもしれません。誰か私が私であることを証明してくれと魂の叫び、要請がこの詩にはあると思いました。
0非常に純度の高い思索をしていらっしゃると思います。存在が許されている、というのが ポイントかと。その自覚をなしに存在するものへの嫌悪。この境地に至る精神性が、高い。 主語がややずれて現れるところがあることだけ気になりました。 「穴という穴に羽をねじこむ。」天使が主体になりますね。 「数千本の羽が広がり、女を取り囲んで逃げ場をなくし」羽が逃げ場をなくすというのはどうでしょう。なくさせ、の方がいいような気がします。 ですが、全体に、一人の主人公の思索の中で様々な主体(主人公、天使、女)の形を借りて、 話が進むように展開する詩だと思うので、そうした瑕疵も、それほど大きなものではないかもしれません。ある程度必然性はあると思います。 非常に考えられていて、表現も攻めていて、個性も表れている良い詩だと思いました。
0こんにちは。 三回通読しましたけれど、如月さんの詩の、基本になっている、ブレス、センテンス それらは結構、長めなんですね。 一行が長く、そうしてそれなくしては詩全体の構成を把握できかねるので かなり集中して読まなければならない。 そうして、なんだろ、月が綺麗ですね、なんかそうなのですけれど 文学の論理の展開で、セルフボケツッコミといいますか 前述した展開を必ずフォローするような、文章構成になっていてある種「型」があるんですね。 それはエンターテイメントとしてかなりやさしい記述でありつつ しかし、そういった「型」を放棄してみたのならば、それは自動筆記に近い形に なると思うのですけれど、そういう挑戦が可能な、力量はそもそも備わってらっしゃる方 だと思うんですね。 その、印象的なイントロで、「型」として巧くて、しかし 読者によっては「なんだよ、エンタメかよ」って思われる方がいたら、それは違うと 言いたいし、しかしそれを語るになかなか難しいと思う。 ちょっと関係あるかわかりませんが、カート・コベイン ニルヴァーナの「ブリード」のライヴ動画貼っておきます。音量気をつけて。 https://www.youtube.com/watch?v=xdTa6BiGXO0
0短歌や俳句などの文字数の制限。要するに「型」は、精神の奥深くまで入り込んで時にはそれを切り裂いてしまう芸術の、いわゆるセーフティの役割を果たしているのだと思います。 私は短歌が苦手なのですが、おそらく一番の理由は型の存在だと思います。私は詩を書いて死ぬのなら本望という考え方をしているので、セーフティを必要としないのです。 セーフティを設けないからこそ、こうして人間性を炙り出せるのだと思います。
2どれだけ求めても、永遠には辿り着けない。分かっていても求めてしまう。そして狂気に堕ちてしまう。神話や宗教も、究極の存在に狂わされた人が作ったものだと思います。 私はそういう人間の狂気が大好きです。最近は理性的な人間が多くてつまらないです。
1私は哲学の分野だと実存主義が好きで、存在についてよく考えます。ただ、考えれば考えるほど自分の存在そのものを否定してしまうような気がしてしまうのです。自分の精神の動きを見つめるほど、精神に穴が開いていくように感じる。そんな精神の混沌を表してみたいと思って書きました。
1私はよく、妄想や思いつきを論文を書くような感覚で詩に表します。この詩もそういうふうに書いていて、科学的にも論理的にも証明しようのない概念を表せるのが詩のいいところだと思います。
2田中さんに言われて自分の詩に型があることに初めて気づきました。 この詩はある意味自己完結的というか、自分の価値観と感性で全てを書き切る感じで書いたので、無意識に型を作っていたのかもしれません。
1天使へのプロセスだろうかとふと思いました。天使になった後のさらにその先があると思ったのです。天使とは自分の似姿であろうか、だとしたらバイブルではないですが、天使イコール神であるかのような。でも天使は神の使いであって神そのものではないと、理屈ではないですが、理屈がむくむくとこの詩を読んで居て発生しました。何か神劇であるかのような雰囲気を感じ取ったのです、この詩から。
0