道を行く少年の瞑られた瞳を
世界は祝福している
ほどよい加/減という魔法で
なんと穏やかな微風だろう
なんと淡い薄く伸ばされた水彩のような光だろう
少年よ
君のその可憐な黒睫毛は
この今ただここに憩うためにある
そうして再びその瞳が開かれるとき
君はやはり道の上にいる
いまだ見ぬようでいつか来たような
そんな道の上に
しかし君は今たしかに旅立とうとしているのだ
慣れ親しんだ丘の上から
広く遥かなる大地へとー
やがて遠い日には
君は湖のほとりにでも行き着いて小屋を立て
そうして愛する人とともに水に泳ぐのだろう
でも忘れないでほしい
その両脚で歩き出した今朝という時の
この乾いた大地のざらつきを
君が耳を澄ますなら
大地はいつでも君を呼び
君を今朝というこの時へと連れ戻すだろう
始まりの時は君の胸の隅々へと
広大で優しい風を吹き渡らせる
そうして君は遥かなる時の旅人になる
悠然と季節を、万感を
通り過ぎてきた1人の気高い旅人に
そうして君は、今へと帰り接吻するのだ
今を吹く風に、今を照らす空に、今を抱く大地に
諸々が過ぎ去ってしまった哀しみを
それらにそっと、溶かし込むようにして
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 1071.3
お気に入り数: 0
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作成日時 2023-09-26
コメント日時 2023-10-02
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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2024/11/21 23時16分06秒現在
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2022年2月13日に「詩人たちの小部屋」に投稿したもの(いまは非公開)を、一部改稿。
0こんにちは。 今まさに旅立とうとする少年へのメッセージですね。 そんな少年への讃歌のようでありながら、故郷あるいは今というこの時が、忘れ去られてしまうことの寂しさをも詠っているようです。 「世界は祝福している ほどよい加/減という魔法で」 「いまだ見ぬようでいつか来たような そんな道の上に」 「その両脚で歩き出した今朝という時の この乾いた大地のざらつきを」 これらの表現が、ただ単に旅立ちへの励ましを詠っているのではないことを表しているように思えます。 彼を待ち受ける未来への微かな憂慮のようにも感じられます。 生きてゆくことの苦しさや哀しみを知っている者が、世界へと旅立とうとしている少年へ向けた、淡い寂しさや哀れみを纏った優しさの視線。 この詩を読んでそのようなものを感じました。
0深く含意を読み込んでいただき、感謝いたします。この作品を書いたのは一年半ほど前ということになりますが、今回ここに投稿するにあたって、書いている折のことを昨日のことのように思い出しました。 m.tasakiさんがおっしゃられるように、僕の胸には一貫して、輝きに満ちた旅立ちという日すらも歳月の中に埋もれていってしまい、思い出されることすらなくなってしまう―そんな現実に対する寂しさ―もっと言えば哀しさ―がありました。 だからこそ、"でも忘れないでほしい"と、この先の人生において折に触れて思い出すことを勧めるという、やや説教臭くもある内容になったのだと思います。 そうして思い出すことによって、大きくなった少年は、旅立ち当時の"ざらつき≒希望や緊張がひしめき合っている気持ち"を思い出し、そしてまた、そうして歩んできた日々がもはや過去のものでしかない哀しみに打たれる。しかしそうして切実な過去と、自分と再会するからこそ、また新たに人生を再開したいと思う―この作品で僕はそんな、けして戻ることのできない切実な過去に触発されることの、その哀しみゆえの希望を描き出そうと思ったのです。
0うん。 そこはかとなく、アメリカ文学の影響があると思うんですよね。 渇いたタッチでね、光りにあふれて、って。 スタンド・バイ・ミーの少年たちの更に少年だったころを突いているというか。 まあ、アメリカの少年たちも地方の州とか郊外に住んでいたら絶望説もありつつ やっぱり自然、を味方につけていると強いのかなと思いました。 私も外へ出たくなりました!
0僕はおそらく、ビーレビの中ではもっとも読書経験が少ない部類の人間だと思うのですが、その数少ない読書体験の多くを占めているのは、たしかにアメリカ文学だったりします。 そうして読んできた中で印象的なものの1つに、簡潔ながらも瑞々しく広がりのある風景描写があります。そこに僕は、大げさかもしれませんが、音楽的なものと絵画的(あるいは映像的)なものの融合を思い、文章というものの1つの理想を見た思いがしたのです。 ちょうどそうした小説を読み直していた時期に書いたこの自作を、いま振り返ると、しかし、簡潔にまとめるということに関してはかなり巧くできている(もしかしたら今はもうこんな詩は書けないかも)ものの、瑞々しさも広がりも、全然足りていないように思います。 でも"私も外に出たくなりました!"と田中さんにおっしゃっていただき、瑞々しさや広がりの、その一端を伝えることはできたろう。だとしたら、やはりここに発表したことは良かったのだ―そんな風に、いま僕は思っているところです。
1詩のように見える。
0ありがとうございます。僕はポエム的なものを書くことも多いですが、この作品はガチな詩として(やや肩肘張って)書いたものです。詩と見ていただき、うれしいです。
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