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【ホテルM】
南フランス一年後から滞在することになったホテルは、海岸通りに並んだ華やかなホテルのはずれにあるクラッシックな白亜の大建築で、友人に付き添って貰って初めて事務所を訪ねたときも、ここに住めるとはとうてい信じられなかった。外観もさることながら、24時間のレセプションがあること、人通りの多い海沿いを歩けば暗い道を一度も通らずに帰り着けることなどで、一人で行動する私には願ってもない宿だった。 事務所にはふたりの女性がいて、日本人だというと前例がないからと即座にことわられた。私はここに住みたいのです、と熱心に言った後、「ジュプペイエ」と思ってもいなかった言葉が出た。「お金ならあります」というような意味だ。それを聞いたとき、女性の目が少し大きくなった。彼女たちは相談し私は受け入れられた。 付き添いの友人は、一緒に旅行したりして私の記憶障害をつぶさに見ていたので、ことの成り行きに驚いていたが、最も驚いていたのは私自身だった。夢が消えてしまわないように、部屋が空いて実際に引っ越しをするまで、毎日のように海岸通りを歩いて、ホテルの下に立ち周辺を散策したりした。 私の住むことになった5階までは、長期滞在用の比較的安価な部屋になっていて、その上の階は廊下の絨毯を見ただけで豪奢な部屋であることが想像された。 実際に住むようになってみると、事務所の人もレセプションの男性たちもとても親切だった。私は夜遅い帰り道を心配することもなく、コンサートや海岸通りの様々な催しを楽しむことができた。広いバスルームには大きすぎるほどのバスタブがあり、キッチンで料理もでき、ダグマに日本料理らしいものを振る舞うこともできた。バルコンには、日本でしていたように大小の木や花を買ってきて小さい庭を造った。 しかし、「お金ならあります」と言ったものの、日本で経験しなかったクレジットカードの使い方のまずさか、事務所でホテル代を支払おうとするときに、ときどき「拒否」のサインが出てしまった。当時のフランスの電子機器はどれも古く、そのせいもあり、何度か試すうちにすんなり払えたので、事務所の人も「も一回やってみるね」という感じに試みてくれた。(しかし、実際に日本からのお金が途絶えているときもあったのだ。)そんな場に恐らく上階の滞在客だろうスペインのマダムが入ってきて、小切手帳に軽やかにサインをして華やかに出て行った。 ある時事務所の女性に案内され、ベッドに横たわっている老婦人を紹介された。その後数日して事務所に行くと、ホテル代を月2万円ほどおまけしてくれると告げられた。驚いていると、2階の一室にこのホテルのオーナーが滞在していて、そういう意向だという。私は声も出ないほどだったが感謝してそれをうけた。自分にできることとして、部屋の掃除だけは日本式に丁寧にした。
【ホテルM】 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 772.1
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-09-10
コメント日時 2023-09-11
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
お慕い申しております。 消防の方から来た、消火器売りの atsuchan69 です。 フランスは、乗り継ぎのためにドゴール空港でほんの少しの時間を過ごしただけなんですが、往復14時間くらい乗っていた飛行機がエールフランスだったので、それもあわせて観光はしてませんが空気だけは吸っています。 笑 フランスは、街で働いている黒人という黒人がなぜか男女ともにファッションモデルみたいに見えます。あと日本のアニメや文化は人気がある反面、高級な場所ではビンボーな日本人には冷たい、、これはフランスだけでなくどの国でもいえることかもしれません。空港で食べたサンドイッチも、ローソンやセブンイレブンで売っているサンドイッチの3倍くらいの値段でした。それとイタリア行きの飛行機で横に座っていたのがフランス人青年だったのですが、彼はマーティン・スコセッシが撮った遠藤周作原作の映画「沈黙」をずっと観ていました。たぶんカトリックだと感じました。 ホテル M は fiorina さんにとってきっと思い出以上の場所だったのでしょう。ボクにも思い出のホテルがあって、そのホテルは今はもうありません。逗子にあった、小さな「渚ホテル」です。葉山にもひと夏じゅうをプールですごした葉山マリーナホテルがありましたが、ここも今はオーナーが代わってるみたいです。記憶が間違っていなければ、昔は味の素の会長さんがオーナーだったと思います。あ、自分しゃべりばかりしてしまいました。どうかお許しを。
0おはようございます。 ビーレビューの投稿作を読んでいると、「あなたはどうなのですか?」「どういう塩梅ですか?」 と見て回っている感がありつつ、なかなか無い体験、経験ですね。 それだけで何か読んでいて「いいなぁ・・・」と思いつつ やっぱりマネーなのだな、と思いつつ。マネーは力がある。 その、マネーに力があると知りつつ、私個人の中で清貧につとめようみたいな 日本人的古い気質、みたいなものがあるのですね。 ただそれじゃあやっぱり外国じゃ通用しないんだなぁと思いました。 その、無意識、お金を汚く思っているとして、じっさい、お金持ったら変わるのかな、とか。 自分にできることとして、部屋の掃除だけは日本式に丁寧にした。 というのが、きっと僕もそうするだろうなぁと思いました。 ありがとうございました。
0訂正。渚ホテルだと思っていたんですが、「なぎさホテル」でした。葉山マリーナの方も、三郎助さんはホテルの(土地の所有者)だったと記憶にあるのですが、オーナーだったかどうは不明です。湘南の海は、サザンの歌や石原慎太郎が書いた「太陽の季節」の舞台になっただけではなく、ロイヤル・ダッチ・シェルもまさかこの海から始まっていたことを知っている人はあまりいないと思います。そして味の素もこの湘南の海から始まっています。あ、ボクたちの大先輩である堀口大學さんも葉山に住んでいました。
0✕三郎助さんはホテルの(土地の所有者)だった 〇三郎助さんはホテルの土地の所有者だった
0ありがとうございます。 何気ないおしゃべりも脱線も、ネット詩のコメント欄に許されている?贅沢ですよね。 でも~、もしかしたら、フランスを「おフランス」的に思われてませんか? サーフィンやヨットの碇泊する港は確かに湘南を連想させますが、 貧富と人種のるつぼが南仏とすると、湘南のほうが上品なおしゃれ感があります。 ルイ14世時代は知りませんが、現代の特に南フランスは大阪そのものじゃんというのが私の実感でした。 よくしゃべり笑い、美味しいものを食べて、親切で、跳ねるように上を向いて歩いている。 時々ものすごく暗い人もいるけど、やっぱりよくしゃべり笑い、美味しいものを食べて、親切で、、、 発音の丸っこい語尾も似ていますね。
0田中さんの伝えない伝え方がなんか絶妙ですね…。 長い間breview気まぐれに読んでいただけのくせに、妙に正しいことを言ってたかな、と焦ります。すみません。 じつは(まさかと思っていた文学極道が閉鎖になったので、) ビーレビも閉鎖があり得るのかと議論を少しのぞいたら、全員がビーレビ好きと言っているように思え、安心して笑っちゃったんですよね。 マネーについて 若いころは貧しかったです。清貧という言葉とも出会っていませんでしたが、実践していたような感じ。 南仏のころは、今しかできないと思い他の人を犠牲にしてお金を使いきりました。 費用捻出のため大切なものを売ったし、家族は次の給料まで大根一本で凌いだと言っています。 でも後悔はありませんでした。 リーマンショックを経て、今現在は借金しかありませんが、クレジットの使い方が凄く上手になったので、使用可能額をにらみながら旅行計画を立てているところ。日常は清貧を楽しんでいます。 地中海を超えてアフリカから来た人たちが、路上芸で生活の資を稼ぎながら、世界中から来た富裕な人と共存する場所なので、るつぼと言っていいようなエネルギーが渦巻いていました。 健康で働ければ、外国も清貧で行けると思います。
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