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屁のルートを求めて
屁のルートを求めて 心臓に葉でも耳でもぶち込んで タートルズ(亀)を飼っていたら 苦痛で心臓がおなかを飛び出しそう 畑から田へそしてピノキオ広場へ 今日はケリが居る田圃から畑へ行ったのに 車置き場にとがる人やジルドゥルーズは 居なかった 外国人がせっせと周辺の草を 抜いていた 屁のルートは教えてくれない 蘆原を見に行く ススキ原を見に行く バス停を通過していた 池にちなんだバス停の名前に カメを連想したが田圃にカメは居なかった シラサギが逃げて行く 既に外国人はいなかった 先の途切れた非常階段に居た鳥たちも去り パスタ喫茶の駐車場でテントを張っていた人たちも去っていた 私はクム広場へ戻って来た(ピノキオ広場は通過点でしかなかった) そこから家へ帰るだけなのに 私は再びそこからグルグルしだした
屁のルートを求めて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1071.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-30
コメント日時 2023-09-20
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
うーん。 その、なかなかけったいな詩だと思うのですよ(笑)。失礼ですけれど。 その、読みやすさ、可読性に救われつつ、ドゥルーズをぶっこんでくる辺りとか。 その変質の、それはこの世への解釈の変質みたいなところで、過分に 何か、単語、シンボルへ対する、固執が見受けられて その固執は、関係妄想みたいなものを孕んでおり だから、妄想だから、それはこの世界からどんどん裏切られて 結果として ぐるぐるしてしまう ってことなのかな、と感じました。 というかそう思った。 きっと僕自身の詩作でも同じような境遇に話者を置きつつ こんなことを、書いているのかも知れないですけれど こんな、生、で、シンプル、な質感、それはダイレクトという意味で 書いたことは無かった。 まあ、前述した解釈が全然ちげーよってなったら元も子もないのですけれど。 ちょっと、美しい、と思える瞬間、面白い、と思える瞬間が確か、ありました。
1ユーモラスさと物悲しさが絶妙に同居していて、淡々とした文章がすごく読みやすく、飛躍しながらもしっかりと整えられた作品だと思いました。描かれる田舎の情景がどこか懐かしいです。
0田中恭平 newさんコメントを有難う御座います。ジルドゥルーズを持って来たのは自分の思い入れの深さのゆえで、詩の中での必然性の高さは考えなかったので、少し唐突だったのかもしれません。そうですね、関係妄想はちょっと言い過ぎなのかもしれませんが、結果として世界から裏切られてと言うシチュエーションに怯えて?先回りして、メンタルヘルスみたいに、シンボルに対する固執になっているのかもしれません。結果としてのぐるぐるなんて避けられないし、ショックだから、先回りすらできず、現実に任せている、任せるしかないと言う事が、詩作の動機、エネルギーなのかもしれません。美しいと思える瞬間、面白いと思える瞬間は重要だと思います。まさに詩作の動機、詩作のエネルギーだ思うからです。でもこの詩にそれら、美しいと思える瞬間、面白い瞬間があったのなら、望外なことでうれしく思うのです。
1橙色さんコメントを有難う御座います。ケリとシギを混同して居たりと、結構精神の葛藤があり、そのまま吐き出しては詩にはなるまいと言う考えもありました。蘆原、ススキ原も、怪しいもので、混同云々以前の問題での葛藤がありました。幽霊の正体見たり枯れ尾花ではないですが、尾花はススキの事ですね。これまで蓄積された日本文学を考えると、蘆原、ススキ原の持つ意味を考えたり、その意味が持つ位置づけも含めて、蘆原、ススキ原でよかったのかと言う葛藤もありました。詩になじむアイテムなのかと言う葛藤でしたね。
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