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短歌連作,『白葉集』
花瓶の水を捨てぬおもはず憂ふとき百合の根に一塊の重たさ 幻視癖ぬけきらず壁掛けの受難煉獄阿鼻叫喚に体躯は つややかに葡萄の玉の球体に反射鏡添へ置かれをり卓子に 奔放を愛しむゆゑ失脚すヨーゼフ帝に萵苣のごと髭 向日葵畑で泣きてをれ飼葉桶に温もりてちのみごの搾油機 現実に捕はれ死せる花圃の百合に針零りかくのごとくに驟雨 翼賛のひとそろひなる号令にわれしたがへ紫陽花の小苞 民衆革命に率ゐられ恍惚のギロチンの髪引きて落ちぬをとめは 悪趣味のいづれおのれに降りかかり雹雪に艱難の町庇毀れぬ 「鰯の埋葬」愛でて長逝大伯父は食卓の壁ぬりつぶしけり 歌捨てよてふ杜鵑草小さき蘂ひらき飛びたちぬらし一寸の闇 空寂のあはれ本堂ひとあらず燕子花屏風絵の箔押 弘仲雑貨店閉ぢて明るむビル街も閉ぢぬシャッター街の鎧戸 灯油価値つり上がりたる公道に重装甲車軋みつづきぬ 鎧はば砦町隣ひらける土地に濃紺の茄子色の滑走路 かつて満州國あり古地図の上まろまろとふくらめる酸漿の袋 仏門にあくがるるなら光彩に釈迦牟尼が頸かかげてルドン 菩薩画の此岸睨めをり菌糸類あざやかに縁取りぬ光背 萱の敷野を夕草雲雀おちながらも鋭く啼きぬ他界近からず くるしみはくるほしき一過狂想メゾソプラノ声楽科教室に 人生に危ふき淵あり刮滑る板金工の汗滴らず 戦闘機、母、贋紙幣、をさなくも仔の愛は枕辺に充ちて 皇帝と教皇隔つ柵あらば吠ゆ牧羊犬のおとなしくせよ 重戦車模型店の棚へ褪せかつて車裂き辻にありて未だ匂ふ 諌めらるべし反骨の青年の全ては茉莉花はた爆薬 中天に茱萸の枝振り小棺を運ぶをとこに木陰差しをり はてなくばいづくに遊星くらやみに雲星燃えて銀漢が渦 裏切りの徴もつゆゑ原罪になやめるプロメテウス史の焔 晩夏向日葵くろぐろと立ち尽くす核の炎はなちたるひと 戦争に向かふ歌壇に霧立ちぬウクライナ昨日の木霊騒霊 みちみちて万黄に揺るをみなへし野には早馬などなきものを カエサルの薔薇をふふみて死にゆかむこころゆるさずおそれなきこと 歌は寂滅を慾せどもかりがねのこゑ夕まだきへととけゆかず 死して報はるこころざしありや緋の釘にうちつけられて黒きはくてう 黒鳥誘惑の後うらぎらる恋の靴黒くしてちぢにみだるる 純潔の奪はばうばへ蝙蝠の傘おりたたねゐつ花藪しぐれ みづからのかたきを愛せ拳闘のきりきずまみれの紫のヴィオラ擁き 鉄条に嵌め殺しなる薔薇ありて秘密とは早咲きのごともろかりぬ 身の丈を越えておのれをささふ幹たちばな骨張り小梢につぼみ 永訣の園にてたかが十五枚口にたしかめたりし銀貨も
短歌連作,『白葉集』 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1154.7
お気に入り数: 2
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-27
コメント日時 2023-08-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
色々な花々が散りばめられて綺麗です。戦争に関心がおありなんですね。テーマの選び方にお人柄が出ると思います。をみなえし、のが良かった。向日葵も。嵌め殺しの薔薇、も。向日葵を嵌め殺ししたい。嵌め殺しじゃないか、嵌め生かしですね。総じて短歌が古色めいてドラマティックでした。病魔の陽炎を皆殺し。幻視癖はお辛いでしょう。私も酷い時に少しありました。
1おはようございます。 その、題にあるように、白葉、ですね、白葉でつまづいている自分がいまして そのインターネットで調べたのですけれど、しっくり来るものがない。 その、自然詠といえばいいのか、それをストレートにシルバーリーフ つまり、白い又は雪のいろに染まる植物を指して そういう自然詠へふったのか? シルバーリーフだって、とても耽美するものでしょう そうして一読しましたら その、わりとすらすら読めて、前作の武装という意味で 難しい漢字の仕様も少ないですし(前半は多いですけれど) そういった意味で僕の好みかなと思ったのですけれど。 花瓶の水を捨てぬおもはず憂ふとき百合の根に一塊の重たさ 向日葵畑で泣きてをれ飼葉桶に温もりてちのみごの搾油機 現実に捕はれ死せる花圃の百合に針零りかくのごとくに驟雨 晩夏向日葵くろぐろと立ち尽くす核の炎はなちたるひと カエサルの薔薇をふふみて死にゆかむこころゆるさずおそれなきこと 鉄条に嵌め殺しなる薔薇ありて秘密とは早咲きのごともろかりぬ ちょっと取りこぼしているか?と思いつつ・・・ そうすると「百合」と「向日葵」ですね。これが白葉なのかというと ちょっと違って、ですから、この歌群全体のフォルムとしての 立ちあがり、在り方が白葉なのではないか、と。 そうするとですね、反対に、白葉、シルバーリーフのイメージから 漏れちゃうような歌がありつつ 率直にいえば、戦争詠ですね。 話しが飛んで、 幻視癖ぬけきらず壁掛けの受難煉獄阿鼻叫喚に体躯は の幻視癖、というものがキーワードだと思いました。 その、これ、コメントするか迷いつつ書いているのですけれど まぼろしを視ている、のだから、それが癖になっているのだから そこにはメンタルヘルスの問題なり、脳に負うているものがあるわけだ、と。 その前提が無ければ、シルバーリーフの耽美な世界には行けない。 創作者にしか行けないのだけれども、その、園の世界を表現して 鑑賞者を連れてゆくことはできるだろう、と。 現実に捕はれ死せる花圃の百合に針零りかくのごとくに驟雨 その朝の五時から一時間かけて、まあ色々思うことありますけれど やはり、問題、戦争詠についてですね。 まあこれについてはあえて僕は避けるといいますか 逃げ腰すいませんなのですけれど ホイジンガという人に「中世の秋」という本があって これが文庫で上・下巻出ていて今でも印象に残っているのが その上巻で、その中世ヨーロッパの方々というのは非常に喜怒哀楽に富んでいた、と。 そりゃもう泣くときは皆でわんわん泣くし、怒るときはどんどん後進したと。 そうして、日本の現代にこうして歌があって、感情をわっと発露されてらっしゃるとして それってかなり、そのメンタルヘルスの部分でも感情でも健康的でいいのじゃないか。 鷹枕可さんにはね、その前作の評で、「やったもん勝ち」という側面がある と、少し意地悪かな? 申してしまいましたけれど それも、「中世の秋」を想いますとね、鷹枕可さんが歌をしているのは 実は「必然」なのではないか、と感じました。
1>そりゃもう泣くときは皆でわんわん泣くし、怒るときはどんどん後進したと。 行進した、の打ち間違いです。さいきん多いです。失礼しました。自戒。
0詩的なご講評を賜り、まことに嬉しく存じ上げます。 嵌め殺し、ではなく、嵌め生かし、ですね。皆殺しの歌ばかりを歌いたくは、ないものです。 観念言語を多用する癖がございまして、歌が重くなりがちでございましたが。花言葉を慣用すればよいではないか、という、これまた、安易な思い付きでございます。
1いつも確りと読んでくださって本当に、有り難うございます。 田中様の批評のご視点を伺えますこと、此れをよすがと致しまして。毎回挫けそうになりながらも、何とか投稿をさせて頂いております。 先ず、何故「白葉」なのか、此れは略インスピレーションに頼る形にて、題名とさせて頂きました。 最近、ちらほらと白秋の短歌を勉強も致して居りますことも影響を致して居ります。 上記の理由もございまして、歌の一首一首を葉にたとえますなら、それは「白葉」しかないだろう。という安直な思い付きでございます。 昔、病変した白い葉(病葉の一種でございましょうか)を見つけ、つぶさに観察致しました事も、着想の種となりました次第でございます。 幾首か、採って下さりました歌に付きまして。 >花瓶の水を捨てぬおもはず憂ふとき百合の根の一塊の重たさ 此れは、写実的意識を先行させて頂きました。技巧練習も必須であろうと思われましたので。 >向日葵畑で泣きてをれ飼葉桶に温もりてちのみごの搾油機 此れは、シュルレアリスムを意識致しまして編ませていただきました。 「シュルレアリスム」と「スーパーリアリズム(超写実主義)」の語源が同一であると聞き及びまして。 これからはふたたびシュルの時代であろう、と先走り、作歌をさせて頂きました。 >カエサルの薔薇をふふみて死にゆかむこころゆるさずおそれなきこと 此れは、歌らしく詠ませて頂きました。因みに、シーザー(カエサル)という名の薔薇の品種もあるそうでございます。 それとも掛けまして、編ませて頂きました。 全体像を覆う「幻視」に付きましては、上段にて湖湖様も触れて下さりましたが、意図的幻視と、半睡の無意識的幻視の両種を体験致して居ります。 短歌という詩形式の要請致します処に、如何しても幻想‐幻視を差し挟みたくなりますのは、個人的嗜好の為す処も夥大にございますが。 余りに歌壇的現代短歌が「想像」の可能性を禁忌とし、日和見的現実詠に捕われ過ぎているのではないか、と思う事も屡ございますことを付記させて頂きます。 総括と致しまして。中途二十一首目から三十首目迄は蛇足であった、と反省を致しております。 戦争詠の難しさ、思想信条と私性の吐露が歌作と密接に関係を致して居ります事を、身に沁みて実感を致しました。 而して、歌が、自己の思想の鏡ならば。表出致します事でその思想の問題点もおのずと明瞭となりましょう。 蛇足。 ロシア-ウクライナ問題の落とし処を熟考致して居りました。のですが。 此れは過去の「加害、侵略国」である「日本」が、ロシアとの交渉のテーブルを用意し、ロシアの代わりにウクライナへと謝罪する他にはないのではないか、 等と理想論めいた事を抜かしつつ、結論とさせて頂きたく存じます。
2ああ、白秋ですか。 確か、上、下巻の白秋の解説付きの本を読んだ程度ですけれども 確かに、白秋は重たいとして、鷹枕可さんよりも柔らかいですね。 なるほど。それで合点が行きました。 しかし、戦争詠が、僕個人としては蛇足であるとは考えませんけれども。 しかし、一体、その思想、として確固として正解はあるのか。 その、前衛短歌を現在している後衛、それはつづくものという意味で その日本が実際、なんらかの形で戦争に加担している以上は その何か歌わなくちゃやりきれないということが言えるでしょう。 その、僕は煙草を喫うのですけれども、JTがですね その会社の殆どを投げ出す形で、スイスに行っちゃってたと思うんですね。 あっ、こういう情報は確認して間違っていたらばまたアナウンスしますけれど そうして、JTのシェアがですね、ロシアでトップで ウクライナ側から、その戦争に協力してませんか?みたいな形で ストップが入りそうです。というか入った。 ですから、多分、日本で煙草を嗜んでいると、そうすると 間接的にJTに協力するっていうか まあ、煙草に依存させられているのですが、ヤバいんですね、僕としては。 (まあ、鷹枕可さんが愛煙家として慌てないで下さいネ!) だから、なるほど、ウクライナもそういう形で 日本の企業を撃ってくるのか、今後こういう動きが広がるのか、と。 そうしたら、ロシアも同じようなことをするだろうと。 まあ、冷静に静観ですね。 しかし凄い時代になったと思いますが・・・根詰めしないようお体労わって下さい。
1折返し、レスポンスを賜り嬉しく存じます。 ああ、「敵味方」という思考自体が問題を孕んでいるのですね。 大概、私自身も作歌しながら敵味方の領分を繕ってしまっているものですから、 問題の根は、実に深いと思われます。 含みなく、われわれは「隣人を愛さなければならない」のでしょう。 皮肉、風刺は自身に跳ね返る形にて行わなければならない、とも考えて居ります。 曲がりなりにも、塚本好きを表明致しますならば。 塚本は、屹度誰よりも自分の出自、思想を風刺していた、と思われますので。 下記、稍話が逸れますが 「本阿弥書店」が発行しております短歌月刊誌「歌壇」九月号に、 良い歌がございましたので、引用させて頂きたく存じます。 >情勢論の草繁る野に見失い ああ、また元の木阿弥になる 歌人、三枝浩樹史の歌でございます。 種々、考えさせる余白があり、達人たるべくはこうあらねば、と思いました次第でございます。 状況は不透明且つ、一筋縄ではゆかぬかもしれませんが。 稚拙でも、思想信条を訴え続くべし、と腹を括りました次第でございます。 そして。何やら気の所為か、此の社会の全体主義的風潮の高まりを覚えて居ります。 杞憂であって欲しいものですが。 お互いに、心身を余り痛め付けないように致したいものでございますね。 それでは、ありがとうございました。
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