今年も季節は丁寧に巡ってきて
ぼくは今年も盆の準備をしている
あれから早くも十七年が過ぎて
不惑を過ぎても変わらずまごまごとし
加えて体重は十キロ程増量して
それでも狂いなく供養の日がくる
喪失の原風景はいつもそこにある
後悔と贖罪の漣が押し寄せる海辺に
寄る辺なく佇んで思索に耽る
そういえばあの日も同じような
晴れた日だったね
リノリウムが鈍く光っていた部屋
かなしみの昼下がり
あたたかくて雲ひとつない空の下
ぼくは君を抱きしめておやすみを告げた
そしてぼくが腕を離したとき
医師は感情を出さないように言った
「十一月十九日午後一時三十六分…」
遠くに見える人の波は
野辺送りの歩み
鈴の音が響いて
きつく目を閉じた
神などいないと知りながら
読経を聞く矛盾
彼岸の君は変わらないままなのか
それとも塩梅よく老いてきているのか
どちらにしてもぼくはこのとおりだ
慟哭の記憶は折りたたまれポケットの中
線香代わりの煙草をもう一本
呆けたように深く紫煙を吸って
作品データ
コメント数 : 10
P V 数 : 1137.8
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-21
コメント日時 2023-08-23
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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閲覧指数:1137.8
2024/11/21 23時21分42秒現在
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非常に身につまされる描写でした。 きっと神などいないと思うから経は読まれるのでしょう。 文句なしに投票します。
0こんにちは。 正直なところコメントするのが難しい詩だと思います。(コメントしておいてこんなことを書くのも変ですが) これが全くの創作ならば、いくつか表現を変えたいところです。たとえば、1連目の増量という言葉はやや事務的あるいは何か商品の宣伝文句のようですので、違う表現にしたほうがいいでしょう。(積み重なる年月の数を追うように、など) また、2連目の海辺を汀に、耽るを沈むに変えたほうが、より読み手か心情をイメージしやすくなるように思います。 そして3連目の「かなしみの昼下がり」は、その少し前に「晴れた日だったね」とあるので、何か明るさを想わせるような言葉を持ってくれば、悲しみとの対比がより鮮明になるでしょう。 更に4連目の矛盾という言葉もややありふれた感がありますので、何か機械的な音やノイズのような比喩を用いるのもいいかもしれません。 長々と表現のことを書きましたが、冒頭でコメントするのが難しいと記したのは、これが実際の出来事であった場合、こんな表現の工夫にどれ程の意味があるのか疑問だからです。 この詩が、このような心の内の苦しみを吐き出すため、あるいは同様の苦しみを抱える人に向けたものならば、一つ一つの表現の工夫など些末なものに過ぎないでしょう。 苦しみから生まれた言葉が、本当に詩的な美しさを纏うのは稀なことなのかもしれません。 でも、もしそんな言葉で詩が綴られたら、その詩は最高の詩になるのでしょうね。
0うん、非常に芳醇な作品です。 この作者にしか書けない、経験した者にしか書けない、強みがあります。 ただなんでしょう、品としていいのだけれども、もう相手さん?をなくしてしまった そのことに対して、非常にもう整理がついてしまったのかな、といいますか もちろん、そのこと自体必要で、詩として昇華するにしても うーん、何か、引っ掛かり、棘のようなものがあると思うのです。 いいえ、それは作者様のパーソナリティによると思いますけれど すいません、失礼しました。 その読んで、ひっかかるところが 神などいないと知りながら 読経を聞く矛盾 あっ、仏ではないんだ、とか。 非常にまとめられている作品で、大人ですからそうなのでしょうけれど・・・。 何か、自分のなかで非常にまとめがついてしまって 非常にドライな印象を抱かれる、可能性について言及したいですね。 品としてはいいと思います。一票。
0コメントありがとうございます。 神と読経については自分自身迷うところではありましたが、評価していただけて嬉しい限りです。 今後も精進していきたいと思います。
1コメントいただきありがとうございます。 表現についていつも的確なご指摘をいただき本当に勉強になります。 あまり自分で作品について説明することはよくないかもしれませんが、これは実体験に基づいて書いておりました。 そのためか自分で客観的に見られていないところがあるように思っております。 ただ作品として昇華するのであればやはり表現をもっと考えるべきと思いますので、さらに研鑽を重ねていきたいと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。
0コメントいただきありがとうございます。 悲しみに限らず、感覚を共有することは難しいことだと思います。むしろ同じ感覚を共有することは実は不可能かもしれません。 たとえば痛みを想像するとき、私はどうしても自分の尺度の中でしか実感ができないように感じます。知っているものを越える痛みはあくまで想像になってしまって、現実感がないといいますか…。 なので、同じ悲しみは共有できないとしても、読んでいただいた方にどう感じてもらえるかが大事と思いますし、そのためにはきちんとした表現をしていかなくてはと思います。 今後もきちんと書いていけるよう学んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
0コメントいただきありがとうございます。 神と読経とところについては私自身迷いがあったのですが、このあたりは再考の必要があるかもしれません。 ドライな印象を受ける可能性については、私自身気付いていない視点でした。書くにあたって、視野をもっと拡げなくてはと思いました。 大変ためになるご指摘をいただきありがとうございました。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
0そつなくきれいにまとまって、とてもお上手な印象です。が、もう一歩、踏み込んだ魂に穿つような一文があったりするともっと印象に残ります。死を扱うなら渾身の思いを。なんて、偉そうにすみませんが。
0コメントいただきありがとうございます。 今後も書く力をつけられるよう精進していきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
0コメントいただきありがとうございます。 渾身の思いというよりも回顧した過去を書いたことが田中さんの仰ったドライな印象の一因かと内省しております。さらに魂を穿つような一文にたどり着けるように日々書いていきたいと思います。 大事な気付きを得ることができました。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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