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終末に愛
崩れるパズルのように、色を失っていく世界 貴方の右隣、安心しきって僕は、終わっていく世界さえ美しいと思ってた 僕らは祈り、願っていた。その祈りさえ捨てて、声を荒げた 期待や意味なんて無駄だって、生まれたときに分かってたから泣いていたんじゃないの 冷たさ分け合ったり、温もり寄せ合ったり 色を失う世界と逆向きに、心は貴方の温もりで色づいて ねえ、本当は、終わることを願ってたんだ 僕以外全てが美しいこの世界を、壊してしまいたかった それでも、叶うなら、貴方には生きていてほしくて 変わらない明日を願うから もう一回、もう一回、もう一回 明日を もう一回、もう一回、もう一回 世界を もう一回、もう一回、もう一回 未来を もう一回、もう一回、もう一回 貴方と 笑顔で飛び降りたあの子の背には歯車の翼が生えていた 意識という光がすれ違う仮想世界は格子状のホログラムで囲まれていた 空から天使が落ちてきて大地を割った 神々が愛した楽園は変数に歪まされた 人間は動物になった 文明は砂になった 人為的な福音と警報 旧帝京市街地の真実と嘘 8128の鐘の音 エゴに塗れた紛争 救えない惨状 雲の上に行けたら 海の底に沈めたら 僕らは愛を見つけられるのかな 世界に愛されるのかな 灰に埋もれた平和は忘れたから どうか貴方だけは もう一回、もう一回、もう一回 祈って もう一回、もう一回、もう一回 願って もう一回、もう一回、もう一回 繋いで もう一回、もう一回、もう一回 守って 春月夜に、貴方は美しい、心と体の全てが 失っていくだけの世界で 傷ついていくだけの体で 孤独を分かり合い心に寄り添う人 もう一回 貴方と もう一回 貴方と もう一回 貴方と もう一回 貴方と 最後の樹の下で
終末に愛 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 905.8
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-16
コメント日時 2023-08-19
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
愛はあなたの胸の中、という歌詞の喜納昌吉の歌があり、いい歌です。人の心は憂いの海、それでも人生の花を咲かそう、という、沖縄の苦渋の中から生まれたであろう音楽はカタルシスがあり、生きることの苦労と感動を教えてくれます。おすすめ。
0こんにちは。 終末観を描いたような詩ですね。 終わりを感じているのは自分の世界でしょうか。それとも現実の世界でしょうか。 本当は期待や意味など無駄だと分かっていて、世界が終わること、世界を壊すことを望んでいるけれど、生き残って欲しい人がいる。 そんな矛盾した切ない想いが、幾度となく繰り返される「もう一回」に表されています。 「笑顔で飛び降りたあの子の背には歯車の翼が生えていた 意識という光がすれ違う仮想世界は格子状のホログラムで囲まれていた」 というところがとても印象的でした。 この部分を読んで、仮想世界とはサイバー空間だけのものではなく、もしかしたらこの現実の世界も仮想のようなものなのかもしれないと感じました。 ところで、「8128の鐘の音」とは何か気になって調べたところ、8128とは完全数のひとつなのですね。古代の人はこの完全数に神の完全性を観ていたそうですが、世界の終末にこの数の鐘が鳴るというのはシニカルですね。 「傷ついていくだけの体で 孤独を分かり合い心に寄り添う人」 「もう一回 貴方と 最後の樹の下で」 やはりとても切ないです。
0暇があったら聴いてみます。 僕からもおすすめの曲を。 関ジャニ∞の「愛でした」という曲です。爽やかで希望に満ちたいい曲です。
0詩を書く上で欠かせない「愛」というものを、私なりに表現しようとした結果。世界が終末を迎えました。私にとっての「愛」は「終わり」と結びついているのかもしれません。
0こんばんは。 この作品はプリントアウトしてさいてい五度、通読したと思うんですね。 それで、ラインマーカーで気になったところをチェックしてゆく過程でですね あっ、これは全体全部丸ごと、その気になるところででして 否定調子で言っちゃえば、その、キラーフレーズが多すぎるのかな、と思いました。 ただし、ここは詩として批評する場所として 詩人が全部丸ごとで勝負する作品を持ってきたのだな、と、解釈します。 そして精読したのですけれど、、、ここがこうとは挙げられない だって全部が重要ですので ですからその作者のスタンスとしてきっとリズミカルにセンテンスが流れてゆくから きっと、きっと、作者、如月さんは書いていて、まあちらっと ここはこうなって、みたいな頭は働いていると思うんですけれど 書ききった感はあると思うのです。 その、前作は、書いている気持ちよさ重視だったのがちっと開けてきて まあ表現する、圧、のようなものがのっている、と見受けられるけれども それも非常にたのもしいと思います。 ●そして・・・ それで、僕は、その自分の中に言葉が無いから、以前に話したようにその、人の言葉 に頼ったり芸術論の方へ行ってしまったけれど 如月さんのこの詩を見て、すこし持ってきた言葉あるかなと思うんですけれど まあ、ほぼないと思われるのですね。 それって凄い稀有なことなのですけれど、なんか田中の言ってた道は違うらしいよ 如月さんこそ王道だったよ、みたいな話になっても それもひじょうに、たのもしいことだと思うんです。 春月夜、なのですよね ペンネームが如月でね、また、ぼちぼちボード上でお会いできたらと。 そのね、あのこの作品を読んでいたときにはビーレビがダウンして それは申し訳ないと思いつつ、すいませんでした。 正直書くと、めちゃめちゃガチ論の批評文をコメントしようかなと思ったけれども 消えまして(笑) うーん ただそのときはそのガチ論が正しかったように思ったんですけれども 今書いていて違ったな、としみじみ そのダウンしている間ほんとうに僕は 最後の樹の下 にいたのですね。
0プリントアウトしてラインマーカーまでするほど気に入っていただけて嬉しいです。 私は詩的表現が好きで、できればどこを読んでもこれは詩であると言われるような詩を書きたいと思っています。 そのガチ論の批評文もできれば読みたいですね。暇と元気さえあればぜひ書いてください。 それと、田中さんは人の言葉に頼ったり芸術論の方へいったりすると自分で仰っていますが、そういう田中さんの詩もいいと思います。
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