別枠表示
童話 月夜にくらげが光るのは(前編)
ある夏の日のことでした。くらげのプアルンは、いつものようにあてもなく海の中を漂っていました。頭の上からは、じりじりと太陽が照り付けます。どんなにがんばって水を飲んでもすぐに体がしぼんでしまいそうな、かんかん照りの日でした。 藍色に沈む海の底へ、仲間たちが優雅に舞い降りて行きます。先に生まれた仲間たちのかさは、しっかりと厚く、力強く波打ち、水の中を自在に泳いでいました。水中に差し込む太陽の光を照り返し、くらげたちは乳白色の花のように輝いて見えました。 それに比べて、つい最近旅立ったばかりのプアルンのかさは、水のように透明で、薄くて、どんなに力をこめても波の勢いに負けてしまうのでした。僕は、このまま溶けてなくなってしまいそうだ・・・。プアルンは、ほっと小さなため息をつきました。 そのときです。はるか遠くの波間に、黒い影が走りました。あっと思うまもなく、黒い影は無数のカツオの群れとなって、稲妻のように突っ込んできました。次の瞬間、プアルンの真下から銀色の火山が爆発するように、イワシの群れが海面に吹き上がりました。イワシたちはもつれあい、逆巻く光の玉となって、海と空との間で沸き立っています。どのイワシも尾びれで鋭く海面をたたき、群れの奥へもぐりこもう、せめて自分だけでも助かろうと、必死に身をくねらせています。 容赦なく突上げるカツオの群れが、イワシもろとも海面まで押し上げているようでした。プアルンはひとたまりもなく吹き飛ばされ、気づいた時には荒れ狂うイワシの群れの上で、ぽんぽん跳ね上がりながらもがいていました。 ジャンプしたイワシが、白い弾丸のように突っ込んでくるカモメたちに、目の前でさらわれていきます。(たすけて)プアルンは何度も心の中で叫びました。背中やお腹を突き飛ばされるたびに、ぎらぎらした太陽が上になったり、下になったりしました。全身から、しぼり取られるように水が抜けていきました。(たすけて)もう一度、プアルンは声にならない叫びをあげました。 (もうだめだ)プアルンがつぶやいたちょうどその時、銀色の塊となったイワシの群れがすうっと海中に吸い込まれ、プアルンはぽちゃりと海の中へ落ちました。ひんやりとした海水が、ほてった体を優しく包みこみます。ふわふわと落ちていくプアルンの体に、群れからはぐれたイワシたちが次々と体当たりを食らわせながらすり抜けていきます。 「透明野郎は引っ込んでろ!」「いるのかいないのか、はっきりしやがれ、このくそったれ」「じゃまなんだよ!道をふさぐな!」「でかい面してんじゃねえよ!」・・・イワシたちは、腹立たしそうに激しいののしりを浴びせながら、ジグザグに泳いで逃げていきました。 プアルンは、よれよれになった、自分の体をじっくりと眺めました。(いるのか、いないのかわからないやつ、か。そうだよね、こんなに透き通って、自分の力で満足に泳ぐことも出来ない。)プアルンはくてっと体の力を抜いて、波の揺らぎに身を任せました。 海は、夕暮れの凪を迎えようとしていました。穏やかな海面からわずかに頭を出して、プアルンは金色に輝いていた波頭が、いつしかルビーやシトリンのような光を帯びるのを、夢の中の出来事のように眺めていました。 太陽が真っ赤に燃えて、めらめらと大気を震わせながら水平線に近づいていきます。はるか彼方の水平線から、太陽を迎えに行くかのように透き通ったオレンジ色の炎がのび上がり、太陽とつながるのが見えました。次の瞬間、太陽からプアルンに向かって、一直線に金色の道が引かれました。溶けた金の上にダイヤモンドをちりばめたような、海面の道。金に、山吹に、橙に、そして紅に、めくるめく変化を見せながら、ちらちらと揺らめいて、プアルンを誘いました。おいで、小さなくらげ君。おいで・・・。 プアルンは、しびれた手足を必死に動かして、沈んで行く太陽を追いました。光の道の中にいると、プアルンもとろけるような赤に染まった気がしました。プアルンを突き飛ばしながら通り過ぎていった魚たちが、赤い炎を抱いて金色に燃えるプアルンの周りに集まり、いっせいにほめそやす姿が目に浮かびました。 けれども、太陽は吸い込まれるように海の向こうに沈み、光の道はすうっと細くなって、波間にきらきらと散って、消えていきました。空に残った桃色の輝きは、あっという間にすみれ色に溶けていき、青い闇がすべるように海面に押し寄せてきます。群青の海はのっぺりと暗さを増して、わずかに残った夕日の名残を飲み込みながら、生き物のように濃密な黒へと姿を変えていきました。波の音が、急に深く大きくなった気がして、プアルンはしくしく泣き出しました。 どのくらい泣いていたのでしょうか。どうしたの、という優しい声に、プアルンは、顔を上げました。海の上には、いつしか無数の光が銀の砂をまいたように広がっていました。波がちらちらとゆれる銀の光をまとい、青白く光る夜光虫が、そのかすかな輝きの下をするすると通り過ぎていきます。 「なんで泣いているのかな」 今度ははっきりと、潮騒を練り絹でくるんだような、穏やかな声が聞こえました。プアルンははっとして振り返りました。紺色の空には点々と星がまたたき、白い月が、じわっとにじむようにプアルンを照らしていました。 「お月様?今声をかけてくださったのは、本当にお月様なんですか?」 「そう、私だよ」月が、静かに答えました。 「あなたには、僕の姿が見えるのですか?」プアルンは驚いてたずねました。 「もちろん」月が、愉快そうに答えました。体をゆすって、笑ったようにも見えました。 「僕・・・自分が透き通りすぎて、誰にも見えてないんだとばかり思っていました」 「透き通っているからこそ、君の心がよく見える。泣いているのがよくわかるのだよ。それにしても、どうしてそんなに悲しんでいるのかな?」 「・・・僕、ひとりぼっちなんです」プアルンはつぶやくように答えました。 「仲間たちは、みんな立派なかさを持っていて、海の中を自由に泳ぎまわっています。でも、僕のかさは薄くて、弱い。どんなにがんばっても、みんなの所まで泳いでいけないんです。それに、こんなに体が透明だから、他の魚たちに気づいてもらえない。みんな、僕にぶつかって初めて、僕がいるんだっていうことに気づくんです」 「そうか、そうか、それはかわいそうに・・・」月が静かに答えました。 「君は僕と同じだね、僕もひとりぼっちだよ」 プアルンは驚いて顔を上げました。 「僕はいつも、君たちが楽しそうに泳いでいるのを空の上から見ているんだ。夜だけじゃない。時には昼間だって・・・。僕は泳げないから、君たちの所にまで下りてはいけない。いつも、ただ見ているだけだ」 雲がすうっと月の前を横切り、月の声が少し遠くなりました。波がタプ、タプ・・・とプアルンの身体をやさしくたたきます。そよ風が静かに雲を押し流し、また煌々と月が輝き始めました。 「最初は寂しかったさ。何でたった一人で、何万年も夜空を照らし続けなくてはいけないのだろう、どうして誰も、僕の仕事を変わってくれないのだろう・・・そんなことばかり考えて、ため息ばかりついていた。でも、皆が僕の姿を見て、美しい、とほめてくれる。誰かを元気づけられる。いつのまにか、それでいい、それだけでいい、と思うようになった」 ※後編は来年投稿します。皆様、よいお年を。
童話 月夜にくらげが光るのは(前編) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1052.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-12-28
コメント日時 2018-01-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
感想として適切かどうか不安ですが、私はこの作品がとてもおかしかくて笑えました。特に、「」の台詞が面白く、「透明野郎は引っ込んでろ!」のくだりはひとりで爆笑してしまったんですが。まりもさんの狙ってる通りであれば嬉しいです。なんといいますか、まりもさんのタフさが垣間みれる作品だと思います。
0今晩は、 感想です。 恐縮ながら、ストレートにいいますと、「……クラゲの気持ちになんて、なったことがなかったな……」というのが素直な気持ちです。 そして小さく内気で我慢していたために誰にも言えなかったプアルンの気持ちを聞いてくれるのが、触れることも叶わないお月様だ、というのが悲しい。後編、プアルンには笑ってほしいです。
0渚鳥さん コメントありがとうございます。 「童話」を集中的に書いていた頃があって・・・その頃は、犬や熊の気持ちになるだけではなく、イモリやカエル、スコップや縄跳びの縄など、いろんなものに「成りきって」遊んでいました。 幼年向けは原稿用紙5~6枚が多いのですが、さすがに子供向け過ぎる。大人の中の子供の部分に響くように書こうとすると、低学年から中学年向き、原稿用紙10枚~15枚くらいになるので、前半後半に分ける形になりますね。 一月に2編まで投稿可能なので、一月読みきり童話、を、しばらく試みてもいいかな、という気もしています。明日の夜あたり、後編をアップしますね。
0