別枠表示
完全な私の世界
私の世界は今ここに戻って来た 私の世界は今ここにある 遠くこだまが列車に運ばれていく 私の世界は薄れていくのか 私の世界はあまりに広い いつもの感情が渦を巻き くわえられたタバコが消えかかっている メモの端に感情がこもる 私はずっと私自身の世界を私から奪って行ったものに我慢がならなかったのだった 私の周りにあるはずの世界は私に与えられていなかった 私の好きになった女の子たちと遊ぶあるいは交流することがなぜだか不可能なことだった それでも私の周りにあるはずの世界は後ろを見ても前を見ても美しいと思われた 初恋だって美しかった 女の子は清純で非の打ち所がなかった 城跡でのひと時と永遠に思えた時間 二人だけでずっといたような世界 私の周りにあるはずの世界は私に全てを与えようとしてくれていた 私の周りにあるはずの世界は世界自身と私自身以外の全てを備えていた 今手元にある『キャリー』と朝の日と夜の月と雲と私の思い 人々の心はずっといつも美しかった 私の目だけが歪んでいたのだ 世界はとても広くシンプルだ 記憶の中は全て自由に飛び移ることが出来る ただ時ばかりが続いて行く 私の死を運んで来るまで そんなことをもう考えなくてもいい 私の頭の中は白くはない 鳴き交わす虫の声 夏よ今の夏よ 遠くも近くも同じことだ 全てが平等だ 何一つ不満があるものか 永遠の中にあるただの一人である私の思い それを与えてくれた超常的な存在に対していつまでも続けたいような感謝を持つ ただ強く今だけをずっと続けて行こう 前を見て後ろを振り返って 遠い夜空の星たちがずっと見守ってくれている 完全になった私の世界は私自身を排除していなかった 今までずっと これからもずっと いっしょだ 私が世界であり世界が私だった 歪んでいたのは世界であり私自身だった
完全な私の世界 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 674.4
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-08-08
コメント日時 2023-08-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「私の世界」や「世界」そのもの。 「私が世界であり世界が私だった 歪んでいたのは世界であり私自身だった」 この二行は結論ではないのかもしれませんが、何か示唆的でした。
1久しぶりにガチモノローグやなと、読んでいたら『キャリー』って笑。 あの恐怖映画の『キャリー』であるなら、上手い使い方。
1こんにちは。 仏教の「悟り」の様相を描いたような詩ですね。 禅の十牛図の最後の図である「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」を想わせます。 かつての自分自身の歪みが自分を取り巻く世界を歪ませていたことに気づいたとき、世界と自分が決して切り離せないひとつのもののように感じる、ということが巧みな表現で描かれれています。 ただ、中盤にある「私の周りにあるはずの世界は世界自身と私自身以外の全てを備えていた」というところの解釈はなかなか難しいようです。 仏教的に解釈すれば、ここでの「世界自身と私自身」とは、それぞれが他から切り離され全く独立した自性(本性)を持っていると見なす妄見のことを指していると解することができます。 そして、それら以外の全てを備えていたというのは、上記のような妄見を克服して「私が世界であり世界が私だった」という境地に到達したことを表しているとも受け取れます。 仏教的な解釈に偏ってしまって済みません。ただ、最後の方の 「完全になった私の世界は私自身を排除していなかった 今までずっと これからもずっと いっしょだ」 というところは非常に美しいと感じました。 このような廓然とした心境に至りたいです。 ところで今手元にある『キャリー』とは、スティーヴン・キングの小説のキャリーですか?
1めちゃくちゃ巧くてかっけえっすね。テキストボリュームの前にそれを許すペーパーの広さ、大きさがあって、なんか書き方変えました?と思っちゃいました。
1示唆的だというのは、そのとおりだと思います。世界と私についての話し、研究を、この詩では述べました。そうする必要がありました。つまり、長年の苦しさと恨みと悲しさなどがあったのです。エイクピアさんには、世界や私は自明ですか。
0映画をご覧になったのですね。僕は小説だけなので、そのうち見てみたいと思います。『キャリー』は僕にとって重要な本になりました。必然的に行き当たりました。内容では、「なにか」についての話だったのが重要だったです。三浦さんにとって僕のモノローグの詩は良いものだと読めたでしょうか。
0中盤の「〜世界自身と私自身以外の全てを備え〜」のところは、世界も私も十分でなく、その存在において欠けていたというようなことを言いたかったのです。世界が現れると同時に私も現れるということ。入鄽垂手ということでは、世界と私を求めてずっと苦労してきて、それを手に入れたのですが、十牛図を調べてみると、2の段階で釈迦の正法、禅の大綱の会得となっており、僕の力ではとてもそこまで行っておりません。独自の体験からは、相当に思惟した、体験したと思っているのですが、どうなんでしょうか。つまり、世界と私の回復と、幻聴からの回復といったことを得ただけなのですが。 m.tasakiさん、『キャリー』を読まれたのですね。僕は、この作品が、世界を知りたいと思っているteenager全員のバイブルになってもいいんじゃないかと思いました。文章も大変素晴らしい。第2、第3部よりも、第1部が面白いです。人生ずっと、うすぐらい雲の垂れ込めた空の下にいるような感じがずっとしてて、気が晴れませんでした。仏教の勉強や修行は、この、世界と私が中途半端であってはそれほどの効果を持たなかったようです。 本が読めるようになったので、昔貪るように読んでいた小説類を、読めるようになった目で、これから毎日読みまくっていきたいと思っています。
0ペーパーとは、構想の大きさのことでしょうか。書き方は『キャリー』に習って変えました。田中恭平さんに、巧いと言っていただいて、ほっとしました。もっと巧い人は、たくさんいるので、そこに少しづつ自分の手で関わっていきたいです。自分次第だと思います。
1