芝生のある公園
男の子、といっても四歳か五歳くらいの
まだ幼稚園にも入ってないかな?
歩いてた、何か探すみたいに
反対側、歩いてきたのは女の子
同じくらいの背格好? いやちょっと小さい
年齢もたぶん、小さい
二人すれ違ったその時、男の子はぶつかった
女の子に、わざと
そしてたぶん、意地悪をしたかった
女の子はよろけて足を止めた
そして男の子を見た
怖がるでもなく、逃げるでもなく
黙って立ち尽くして
もしかしたら転んだかもしれない、よく覚えていない
男の子の方も喜ぶでもなく、謝るわけでもなく
眩しそうな表情で立ったまま
女の子は泣かなかった
そこへやって来た、おそらく男の子の父親
彼は男の子の肩に手をやって言った
「こういう時、何て言うの?」
男の子は視線を落とした
父親は続けた「ほら言ってごらん」
男の子は女の子に向き直ると、苦しそうに声を絞り出した
「そりー」
女の子は黙って聞いていた
眩しそうに男の子を見上げて
地下鉄の駅は帰宅ラッシュの時間帯
ホームには人が溢れ、誰も列を作ってはいなかった
しばらくすると列車が滑り込んで来た
人々は入口のドアに殺到、日本とはあまりにも違う光景だ
ドアが開くと人々は降りる人を差し置いて
我先にと乗り込んだ
その隙を縫うようにして降りようとする人
肩がぶつかる、鞄が引っ張られる
でも誰も文句を言わない、諍いもない
きっといつもの光景
時々「そりー」と言う声が耳に届く
何処からともなくと
間違えた線は消さない
消せないのではなく消さないのだ
その老人は向いのアパートの窓に目をやりながら
眩しそうな目をして言った
「あいつが画家なもんか
毎日飽きもせず、下手くそな絵ばかり描いて
ただの絵の好きなじいさんだ」
街の広場ではプラカードを手にした若者のグループ
これから出発するデモのコールを練習していた
声に切実さや覇気はなかった
誰も無表情で、眩しそうな目をして
早く終わらせて帰りたそうな素振りで
間違えた線は消さない
何度でもなぞる
はっきりしてた線が形を失い
次第にぼんやりして、終いにはただの光となる
私の付き合ってる人は危険物を取り扱う仕事をしている
担任との会話、進路指導はまだ続く
若過ぎるから「若過ぎる」と言ったまで、と
覚えている言葉はそこまで
あとはそれを膨らませて
吐息でうんと膨らませて
窓から放り投げる
そうすることでやっと過去形に出来る
誰にも聞こえないよう
「そりー」と最後に付け加える
文芸部出身
だから良心と戦い続ける
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 951.4
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-07-02
コメント日時 2023-07-11
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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技巧 | 0 | 0 |
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2024/11/21 19時59分56秒現在
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光の使い方が上手いな 個人的な理由で匿名の作品には評価を 入れていないのですが、其れを抜きにしても気になったので。 日本では無いのかな? 雰囲気のある作品 何か少し上品な飲み物でも頼みたい気分になります 王下七武海
0いろいろわけあって、世を忍ぶ仮の姿で申し訳ないです。昔イギリスに旅行に行った時の記憶を元に書きました。空港が停電かと思うほど暗かったのを覚えてます。 上品な飲み物、何でしょう? 透明なカクテルか無糖に近いアイスティーを想像しました。ありがとうございます。
0最初はこの文章なんだろうって思い「歩いてた、何か探すみたいに」というあたりにすごく女性的なキャラクターを感じて良くわからなかったのですが、地下鉄からの加速度がヤバイ。。。シャガールってそうだったのかと思いました。みなさんがどうなのかちょっと分からないのですが高校生の時に英語の授業でシャガールをやって、The White Crucifixion(綴りあっているか不明)みたいな、白き磔刑という和訳だったのですが、そのときのことまだ覚えてる人はどれくらいいるかな?10年くらい前なので、まだまだけっこういると思っているのですが、とりあえず印象的でした。なんというかこの作品の事実の積み重ねがもつ味わいというか、ボルカさんの最近の文章を読んだ時に思い出したのですが、すごく変な例と思われるかもしれないのですが私ハンバーガーちゃんというTwitterで有名になった漫画家の方がすごく好きで、ようするにそれは、事実の積み重ねと嫌味のなさがあった。高性能な電気回路に似ている。 支離滅裂ですみません。ありがとうございます。
0繰り返される「眩しそうに、眩しそうな」という言葉が好き。私はどっちかというと「幻想的で芸術性が高いっぽい」感じの詩が好みで、そうしたところに詩の本懐を感じてしまうたいぷなんだけど、この詩の視線にはとても理性的な観察眼が見られて、無視出来無かった。というか、「幻想的で芸術的」も、「とても理性的」も、根差す場所はたぶん同じなんだろうな、みたいな感想を抱いたし、その感想がどういうことなのか、自分の中で?自分の中を?掘り下げてみたくなりました。最後の1文、「良心で戦い続ける」じゃなくて「良心と戦い続ける」なのが、なるほろ、とかなり腑に落ちる。光と影。そう言えば、子供の頃は不気味な絵だなぁと思ってたけど、生で見たしゃがーるは柔らかくて軽やかで透明な印象があり、良いなと感じたのを思い出せました。
0シャガールだったかどうかはうろ覚えのエピソードで、誰か有名な画家の話、でも私の中ではシャガールが一番しっくり来た、何度も何度も描き直すんだけど、間違えた線を消さないでそのまま残すもんだから、しかもそれがわざとなのか、がさつだからなのかわからなくて、だからその人の絵にはいろんなものが隠れてる、みたいな話を聞いたことがあって、そのことを思い出したんです。教科書のことに関しては世代が違うので私はわからないのですが、ハンバーガーちゃんは知らなくて機会があったら見てみます。 で、今見たら名前から想像してたビジュアルと違いすぎてびっくりしました。
0幻想もおそらくひっくり返せばそこに理性が現れるのでしょう。それらは互いに行間で結びつけられている。裏と表。くるくる回る。現実的な風景も初めて通る人には幻想的な景色と映るのかも知れず、生きて再び会えればいいと祈りながら、一番よく知った自分自身と手をつなぐ。共闘の始まりだ。 幻想は実は最も完成された形であって、現実こそが失敗の途上の姿、な気がします。だから戦わないといけない。表でも裏でもない存在と。
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