この酷く落ち込む憂鬱といふ名の大河に吾は
唯、流されるに任せるのか。
とはいへ、この川幅を泳いで渡る気力もなく、
また、幸ひにもこの大河は静かに流れ、
吾はそれに浮かんでたゆたふのが悦楽なのだ。
憂鬱に身を堕すことが悦楽を齎す逆説でしか吾は
生を繋げぬこの捻くれた存在にはいい薬だ。
生とは闇の中を生きるのに似てゐる。
何処まで行っても周りを見渡しても御灯明などありはせぬ。
光が希望と言ってゐるものはその誤謬に気付かぬのか、
それとも、闇ばかりの生に灯明がまるであるが如く嘯いて人心を惑わすし、
基督のやうに磔刑に処す生贄を探すことに精を出しては、
虚しくも充実した生を終へるのか。
どう転んでも生きるとは闇を生ききること。
光はだから誑かすのだ。
何故なら光とは悪魔の別名で、
光を謳うものは何も信じてはならぬ。
只管に真摯に闇に向かって、
自身の位置すら解らぬ闇の中で、
藻掻くのが人生といふものではないか。
何を闇を怖がってゐる。
さあ、立ち上がれ。
さうして一歩ゝ踏み締めるやうに暗中の中を
手探りして歩くのだ。
さすれば、己の道が見えるはずだ。
作品データ
コメント数 : 2
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作成日時 2023-05-16
コメント日時 2023-05-16
#現代詩
#縦書き
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2024/11/21 22時54分55秒現在
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闇(憂鬱)VS光(灯明)という対比が非常によく掴まれた実感の上でなお、文章になって、イメージ豊かに展開され非常に満足の行く読み物だと思いました。 なんというか、文章のつながりがはっきりとあるので、一つの論として成り立っており、闇こそが人間存在の真実、人生であるという説が説得力を持って迫ってきます。 河や道など、必要な比喩はきちんと提示され、その上で論証すべき人間存在の憂鬱さ、闇しかないということなどが、俎上に載せられありありと心と眼に迫ってきます。 本当に、言いたいことは、憂鬱を渡り切るべきだということだと読めました。
0すいません、途中で送信してしまいました。上に続けますと、自分の位置がわからないということこそ真実であり、そこでもがくのが当然である。つまり、自分の主体性を持って感じ、見、考え、トライする。その真実相に人は本当に生きることを見出すべきだと。立ち上がれ、というところでは、中島らもの詩「突がったエンピツ」(『中島らも詩集』)の中で、「INK&INK&READ&WAKE UP」と言われていたところを思い出しました。 少し、暗いことを言うと、例えば地獄に行くような人間に向けてさえ応援として働くような読み方もできるな、と思いました。 非常に満足を感じる素晴らしい詩だなと思います。他の作品にもまた目を通させていただきます。
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