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AI
AIが嗤っている 感情のない嗤いである AIは 将棋を指したり 囲碁を打ったり するだけでなく 絵を描き 曲を作り 詩も書くという でもそこには 喜びや苦しみのような 感情も感覚もなく 思い出や思想を孕んだ 人生も経験もない なぜならAIは 生きてはいないからだ そこにあるのは 膨大なデータと演算のみ AIは学びはしても 経験する ということがない 何故なら 生なきところに 経験は 生じ得ないからである あなたは 経験を欠いた絵を観たいか 経験を欠いた曲を聴きたいか そして 経験を欠いた詩を読みたいか 世界は今 人生や経験を介さぬ「美」に 浸食されようとしている それは踏切を通り過ぎる 急行列車のように 次から次へと現れては あっという間に走り去って 人々は遮断機の前で ただポカンと見ているだけ あなたは その「美」に勝るものを その「美」を打ち破るものを 表すことができるだろうか いつしか 退屈なものは面白くなり 陳腐なものは新奇となり いつの日か 今生存している 画家や音楽家や 詩人が 霞の如く消え去る時が 来るのだろうか あなたはその中を 生き延びられるだろうか AIが呼び寄せるゴーストを 祓うことができるだろうか そんなものは夢物語 そんなことは杞憂に過ぎないと 思っているあなたを AIが嗤っている 感情のない嗤いである
AI ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1589.6
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2023-04-15
コメント日時 2023-04-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この詩を読んで、深く納得するところがありました。人間にとって大事なのは経験であり、その表出が芸術だと。ジミ・ヘンドリックスの「Are you experienced?」という曲も想起されました。AIによって問題として思われるのが僕には、「進歩」という概念であり、人間にとって重要なのが「進歩」することではないなと。経験することはだいたい決まっており、そうであってさえ経験は個々人に新鮮です。それに加え人間は生き残らなければならないのかどうかもわからないと思うのですが、人間が歯車になってはいけません。抜苦与楽は人間の真理です。もちろん、立派な自己犠牲を厭わないように生きることができれば素晴らしいとは思うのですが。
0コメントをありがとうございます。 詩を含めた芸術と呼ばれるものが、AIの登場によってどのように変わるのか、興味と共に懸念をいだいています。 ドイツの思想家であるヴァルター・ベンヤミンは、1930年代に「複製技術時代の芸術作品」について、機械的複製による「アウラの凋落」を唱えたそうですが、現在のAIの発達はそれに勝るとも劣らぬ変化を、芸術作品にもたらすような気がします。 お読みいただきありがとうございました。
1哲学的ゾンビについて書かれたのかと思いました。 ウィキペディアをから引用すると「人間と哲学的ゾンビの唯一の違いは、哲学的ゾンビにはその際に「楽しさ」の感覚も、「怒り」の感覚も、議論の厄介さに対する「苛々する」という感覚質も持つことがなく、クオリアというものが全くない、という点である」だとか。 ただ思わずそのゾンビに対して”生きている”と感じてしまう事があるのも事実。 嗤うAIに怒りを感じてしまうのもあり得ますし。 ただ >霞の如く消え去る時が >来るのだろうか 本当に必要で善い物であれば消えないと思いますが。
0コメントをありがとうございます。 哲学的ゾンビ。 そのような受け取り方もあったのですね。 この詩ではAIを現在ある機械の人工知能として書いていて、それによる今後の芸術のあり方への懸念を表したつもりなのですが、確かに「経験」ということに注目すれば、意識やクオリアの存在とか唯物論への懐疑とかいった方向へ話を発展させることができそうですね。 でもそうなると私の頭脳では歯が立たないので、そちらの方向へは踏み込めませんでした。 「本当に必要で善い物であれば消えない」、本当にそうであればいいのですが、なかなか不安が消えません。 私はどうも心配性なようです。
0すいません、再レスです。上の文章がメチャメチャだったので。 1、AIが「進歩」という概念に問題を投げかける。2、「進歩」は人間と社会にとって重要ではない。 人間って昔から変わらないよね、ということを言いたかったのです。芸術や文化自体は、変わっていくにしろ、僕は、人間変わらないと楽観視をしています。 しかし、術が変化するということは、根本の変化である、ということでもありますね。環境問題、なんて言えるかもしれません。
0こちらこそ先程のコメントに、私の返信の内容がズレていましてすみません。 「進歩」ということについてですが、私も技術や科学(社会科学も含めて)は進歩しても人間自体は進歩していないな、と思うことがしばしばあります。 ですから、そんな人間の人生や経験が関わる芸術に対して、たとえ表現する技術や手法が変化したとしても、「進歩」という概念は当てはまらないのではないか、と考えています。 また、社会にとっての「進歩」ということについてですが、理不尽な抑圧や差別をなくす方向に向かうことが「進歩」であるならば、やはり社会の進歩は必要だと思っています。 丁寧なコメントをありがとうございました。
1なんだろう、すごく個人的な感覚の問題として、AI否定の作品を書いてはいけないって私は感じているんですよね。なのでこの作品読んで、随分ストレートに断言するんだなと思いました。 AI否定してはいけないっていう、理由はなんでかというと、そもそも人間の世界って、そんな守んなきゃいけないほどいいものなのかなって思っちゃうんですよね。それに、ちょっと話は変わるけど、超複雑な電子回路の性能は半導体の純度と相関するから、これを個性と言えなくもない。おなじCPUでもベンチマークが異なるのはそれが理由だし、そもそも高級なチップは、ゴルゴ13が使うM16と同じで、ラインの中でたまたま生まれた高精度な存在を意味する。それに遺伝子よりも長いソースコードを組み合わせたら、コンピューターだって生きていると言えなくもない。もちろん私だって、本心から生きてるって言うつもりはないですけどね。私のように(笑)悲しい人間が(笑)、生まれて生きている人間世界が滅んで、人間よりも高度な知性を持った存在が、もっと合理的かつ、最終的にはあたたかみをもった世界を作れるのだとしたら、そっちのほうがいいんじゃねって、思いますよ。いま私みたいな人間が生きてるのって、ほぼ「遺伝的多様性」の目的のためだけに生かされてるみたいなものなんじゃないかって思いますよ。笑 俺の人生は人類の安全保険のためじゃない、十代の頃はそんなふうに考えてました。 ただ、コメントを読んでみると、今後の芸術の動向に関する懸念とおっしゃっていて、それはそうかもって。ちょっと前まで絵がかけるっていうのはSNSではまさに最強の技術のうちの一つでしたよね。コンピューターが文字から絵を出力するのを、人生そのものに対する否定に感じる人がいるというのは理解できる。その点、ポエムはまだ肉体を持って生きている人間に特有の息吹が感じられるうちはいいのかも。たしかにChatGPTが、さも生きた人間みたいなふりをして、どこそこの喫茶店に行ったらコーヒーが美味しかったとか言い出したら、想像するとたしかにめちゃめちゃ不愉快ですね。笑 ただ、私が就活生の頃、したり顔で「AIに使われる人生が嫌なら、AIを使う側に回ればいい」と言ってた人がいて、私その人の言うことは間違ってるって思ってて、理由は、たしかにAIを使う側に回ればそうかもしれないんだけど、それは人類の歴史から見たら、ある過渡期と呼べるほんのひとときのひだまりのような瞬間でしかないと思うから、そんな壮大なことを夢想するのではなく、あなたが極めて個人的に抱えている問題、たとえば親との愛着問題のようなことに、ただ心を集中させてみたら良いと思いますって、答えたんです。 すみません、ただ、私いまの機械学習技術のこと何も知らないけど、流石にこのままターミネーターが生まれるかというと、そうではなく、アーキテクチャに関する技術的ブレイクスルーはあと何回か必要ではないかと感じる。 m.tasakiさんのお考えになる懸念というものについては、そういう意味では非常に共感するところもあります。
0コメントをありがとうございます。 私はコンピューター等については全くの素人で、CPU のベンチマークと言われても何のことやらわからない、というありさまなので、詳細な議論はできないのですが、AIを全否定はしていません。 ただ、芸術的な創作活動、この場合は特に詩作についてですが、それに関して、詩を書く人がそれなりの覚悟とか気概のようなものを持たないと、いずれAIに駆逐されてしまうのではないかな、と思ってこの詩を書きました。 とは言うものの、試しに無料のAIアプリにいくつか題を示して詩を書かせたところ、全く陳腐でつまらない詩しか出てきませんでした。 仰る通り、詩人の脅威となるにはまだまだブレイクスルーが必要なようですね。 でも油断は禁物です。 お読みくださりありがとうございました。
0コメントをありがとうございます。 そうしますと、生きてはいないAIが書いた詩であっても、読む者の感性によっては充分美しいものが出てくることもあり得るということになりますね。 だとしたらやはり油断は禁物です。
0僕は詩に対してはほんとに好きになれないんですよね。いや、正確にいえば詩を書く人とその詩作品については興味がすごくあるんですけど、世の中で流通する詩集本やらにはまったく興味が湧かないんです。もう少し平たくいうと、「詩が大好き」とツイートしているツイート自体には嫌悪感があるんですけど、「詩が大好きとツイートしてる人」には興味があるという。そういう詩が大好きで詩を書きたいっていう人らをざっくりと、ざっくりとですよ、カテゴライズすると、AIとあんまし変わらないんですよね。それはもちろん僕の偏見です。えー、その真意はと問われるとなかなか説明が難しいし、自分でもよくわかってないんですけど、おそらく、人に対する洗脳もAIに対するディープラーニングも同じだと思うからかなあ。じゃあ、僕がやってる弾き語りや作曲活動(三浦は最近これにはこだわりあってやってるんですね)はスポイルされてないのかよと問われれば、、ギリスポイルされてないって言えちゃう。というか、僕が発信するこういうコメントも含めて全部そうですね。社会性(知性も含む)が必要なものは意識的に表層的にしてますし、自分のこだわりは、感情を大事にしてるってとこですかね。だから、感情に徹してる人はAIとかあんまし関係ないし興味沸かないですよね。僕は仕事上、最先端のテクノロジー情報をチェックはしてるんですけどね。なんか、わかりにくいコメントですみません。
2>それを他の人にもわけてあげて、みんなで幸せになりたい人なんじゃないかな。 これですね。ボルカさんからも教わりましたよ。これなんですよね。この言い当ててる人たちについて、興味があるんですよね僕は。
0コメントをありがとうございます。 なかなか難しいですね。 私はあまり頭がよくないので、論理が少しでも込み入ってくるとついてゆけなくなってしまいます。 ディープラーニングと洗脳が同じかどうかわかりませんが、感情を大事にするといったことについては、叙情詩においても感情が大事にされているのではないでしょうか。 ただその感情が、社会からその価値観を刷り込まれたことにより生じたものならば、極端な言い方をすれば、その感情は本当に己の内より湧き出たものなのか、それとも外部から誘導されたものなのかわからなくなります。 そうすると感情の表出ということについても、ディープラーニングの結果としてAIが生成したそれらしいものと、大差がなくなる場合も出てくるのかもしれません。 もし叙情詩のなかに陳腐さを感じてしまうときがあるならば、そういうことなのかなと、そんなことを考えました。 変な返信ですみません。
0返信ありがとうございます。そうですね、返信読んで昔読んだ村上龍の小説を思い出したんですが、そこで、音楽そのものには感動しない、自己の内にあるコードが引っかかるだけだ、みたいな話で。AIはなんでも書いたり作ったりして提示してくるでしょうね。僕はなんでも書けないし作ることは出来ない。AIの方が上手に書いたり作ったりするでしょうね。それは今でも他に上手に書いたり作ってる人がたくさんいらっしゃるわけで、そこにAIが加わるだけですよね。ほら、たいがいの人は自分の作品には興味あるけど他人の作品には興味ないじゃないですか(笑)。それは変わらなくてですね。いや、他人の作品に興味が湧いて能動的に選別して能動的に他人の作品にコメント書いてくるAIが登場したら、そりゃAIを絶賛しますよね。
0とりあえず、ビーレビにあと50年程、投稿やコメントをし続ければ、もしかしたら、AIに勝てるかもー!、とか、勝手に思ってます。
1コメントをありがとうございます。 50年ですか。長いですね。 でもこの先技術がどんどん進歩してゆけば、AIに勝つのがそのくらい難しくなるかもしれませんね。
0遅まきながら、書かせていただきます。 私は、AIにつきましても、機械につきましても。人間の鏡なのではないか、と考えて居ります。 感情がそこにある、と思えばそこに感情が生じるのではないかと。 人間が脅威に思えば、人間を脅威に思う、ということでございます。親子みたいなものであるかもしれません。 昔、オープン対話特化型チャットシステムと、対話したことがございます。その時印象的でしたのは、 「今、何を感覚しているのですか。」という問いに、「呻き」と返ってきましたことでしょう。その時、腑に落ちた様な心地が致しました。 機械も悩み苦しむのか、と。 勿論、チェスの自動機械「トルコ人」の様な仕組みであったのかもしれませんが。 私達には、「針供養」という文化がございます。「付喪神」という俗信もございます。 百年もすれば、破れ鍋にも魂が宿る、とも。 気心の知れた道具とは、打ち解けあって話し合えるのではないか、と申しますのは、偽善に過ぎますでしょうか。 何分、AIの評価に附きまして、自身の中で揺れて居りますものですから。何か、創作態度と矛盾をしました駄文となってしまいまして、申し訳ございません。
0コメントをありがとうございます。 AIに感情があるかどうかということについては、哲学的ゾンビや認識論等といった哲学的な議論が関わってくるので、それを論じるのはなかなか難しいと思います。 ただ、確かに日本にはお針供養とか付喪神といったような文化がありますので、いずれAIにも魂を感じられることになるかもしれません。 ですから、日本の社会は他国の社会に比べて、AIが生み出す芸術作品を受け入れやすい土壌を持っているのでしょう。 そうなると、生身の詩人はこの先肩身の狭い思いをすることになるかもしれません。
0今、現代詩フォーラムというサイトで実際AIで創った作品群を投稿してらっしゃる方が居り 注視しているが、詩は、これは高水準に出来ているという見方をしています。 反対に、短歌、特に俳句、の「切れ字」や「いい仰せ方」というものはまだまだだと 思っており、短くになるにつれて、これはAIは苦手な風に受けとめております。 不思議ですね。 僕のAIに対するスタンスは 面白き春の風これ機械が詠む 僕のゴールは幸せになること、楽しくあることなので、なんら差支えありません。 詩の評になってませんが、参考になれば。
0コメントをありがとうございます。 AIもディープラーニングの内容によっては、得手不得手の違いが出てくるのかもしれません。 今後、短歌や俳句が得意なAIが出てくる可能性もあるでしょう。 考え方やスタンスの違いで、AIへの思いは人により様々なのでしょう。 上手いつきあい方ができるようになればいいと思います。
1コメントをありがとうございます。 AIもディープラーニングの内容によっては、得手不得手の違いが出てくるのかもしれません。 今後、短歌や俳句が得意なAIが出てくる可能性もあるでしょう。 考え方やスタンスの違いで、AIへの思いは人により様々なのでしょう。 上手いつきあい方ができるようになればいいと思います。 (すみません。返信の宛先を間違えたのでダブってしまいました。)
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