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約束
つむじと手が幼くなってゆくと 綿毛のたんぽぽを持っていた じっとみつめると銀白色の幾何学にのまれ、 る 見ていたよ、見ていたよ、生まれたよと 綿毛がこちらを見ている 待っていたよ、ずっと待っていたよと 私たち人間を待つと約束していたというのだ ふうっと吹き飛ばし、 風に乗る
約束 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1465.2
お気に入り数: 2
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2023-03-30
コメント日時 2023-04-27
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
きみはとんでもなく才能があるとこの作品を読んで思ったと言っておきたくなった。言葉は辞書や学問によって定義されるものではなくて、その使う人の情念が言葉を定める。私にそう確信させる詩だ。
0ご感想ありがとうございます。もっと上手にざっくりと編みたかったですがいかんせん表現力が足りなくて…… 才能?おそれ多いお言葉をありがとうございます。 ふと思ったんですが、そのようなご感想を持たれるというのは、作家性に依拠したイメージが発生したんじゃないかと思ったんですよね。ふと思ったまでです。
0はじめまして。 何かとても優しい感じのする詩ですね。 また、たんぼぼの綿毛に幾何学を感じるところは新鮮です。 冒頭の 「つむじと手が幼くなってゆくと 綿毛のたんぽぽを持っていた」 というところは、幼い頃の記憶をたどってその頃の自分に戻ってゆくことを表しているのかと思いましたが、次の連を読むと、それより更に遡った、人間を待っていたというたんぼぼの記憶にまで繋がっているように感じました。 人がたんぼぼの綿毛を吹く瞬間、全く異なる2つの命がひとつになる、たんぼぼはその一瞬をずっと待っていた、タイトルの「約束」とはそのことを表している、そんふうにも読みとれます。 短いですがとても美しい詩ですね。
0読んでいただきありがとうございます。言葉足らずな曖昧さが不安を生むかもしれないと迷いました。読み手の方に委ね、たんぽぽの種子が着床するように伝えたかったことが受け取ってもらえたのでとてもほっとしました。どうもありがとうございます。
0お読みいただいてありがとうございます。いつもいろいろと捏ねすぎてしまうので、たまにはシンプルなのもいいかな、と思って投稿してみました。推察の余地が残ってくれたようでよかったですが、たんぽぽの語りがちょっと怖かったんではないだろうかと思います。笑 俳句をやっていて、短い中に凝縮できるのだと知りました。そのせいもあるかもしれません。
0幼い頃の思い出と記憶が柔らかく楽しいです。佐藤さとるのコロボックルシリーズなどを思い出しました。
0もしかしたらいつか忘れてしまうのかもしれないけど、ずっとポケットに入れて取っておきたくなる詩です。走っていると熱で溶けてしまうかもしれない。いつか思い出した時にはもうそこにはいないような、そんな気がする、そんな詩。
0読んでいただきありがとうございます。そうですね、幼い頃見えていた世界に近づけるよう書きました。予感に満ちていましたね。(コロボックルシリーズ未読です)
1読んでいただきありがとうございます。そうですね、私も思い出したように書いたので、人生でどうしても必要なわけではないが、重要かもしれなかった物であって。場合によっては捨てられても仕方ないのです。気軽に読んでください!
0不思議な風合いで、言葉の魔法で人をいい気分にさせる、というのはこういう感じの表現だと思います。綿帽子が待っていた、という約束。
0読んでいただいてありがとうございます。言葉の魔法ですか。いつもいい魔法を使うばかりでもないけれど…… 綿帽子ですね。正しくはそうでした。次は正しい言葉を使いたいです。
0セイヨウタンポポは花期が長く、それこそ一年中見られる感じかもしれませんが、やはり今の時期、3月から4月ごろに咲く二ホンタンポポが如何に、いまだに確かに根付いて居るのかを今の季節に感じます。出生にまつわる抒情、待望の何とかではないですが、「約束」と言う重み。待つと言う約束。「綿毛」の抒情性、人間との交換性を思いました。
0読んでいただいてありがとうございます。そうですね、昨日、散歩をしていたらニホンタンポポと思われるたんぽぽの花の黄色を見て、もうそんな季節になったのかと思いました。たんぽぽを見ている我々なのか、我々を見ているたんぽぽなのかというところから筆(スマホ)を取りました。叙情性は、大事にしたいもののひとつです。
0再コメントですが、蒲公英に郷愁を感じ、特に綿毛ですね、つむじや手が幼くなっていく。蒲公英との対話と言う側面もあるのかもしれませんが、この詩では、蒲公英のセリフや、テレパシーみたいなものが感じられると言う事ですね。綿毛となってこれから起こる生命の連続見たいな現象の予感に、人間の側の魂がふるえているのかもしれません。
1そうか、テレパシーですね。そう肯定してしまうと途端に怪しげな空気になってしまうのかもしれませんが(笑) 子供は当然のようにテレパシーでタンポポと意思を交換するのかなぁ。
0おはようございます。 このような作品を読みますと いま、朝、読んでいるのですが、単純、幸せな気持ちになります。 それは技巧が働いていている、としてそういう点は他者の方は書かれているでしょうから 私が書くとして 夏目漱石が小説「草枕」の冒頭で 要は、生活というのはこれ、苦であって、その苦を取り除いたものが芸術である と、まあ書いているのですが 自分としては、それでも生活の中にあってそれに注目せざるを得ない、自分がいて 生活を詠った詩、これも好みます。 ですが、その、まるでその漱石の芸術論にかなった、小夏さんの作品を読み 安心するな、ほっとするな、こういう詩は良いな、と思いました。 すいません、漱石の引用は、小夏さんの気分を害してしまうかも知れない と思いつつ、こういう芸術の詩は、希少ですので。すいません。
1つむじの螺旋が時間を巻き戻すイメージを読み手に想起させて面白いですね。 でもただ童心に返ったというのでは無さそうで、 >私たち人間を待つと約束していたというのだ とても大きなテーマを予感させる言葉でありながら、遠くへ種を飛ばすためにあなたを待ってたよという既成事実が回収していく流れもあったりして、生命の誕生って至ってシンプルなものなのかもしれないと、そんなことを感じました。
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