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一期一会「ディストピアにあっても」評。
此方の御方の、推薦文を書かせて頂きますのは、確か二回目となります。 何やら、癒着をしてはいないものかと見做される向きの御方もいらっしゃることでございましょうが。 良い作品でございますから、致し方もございません。 時代の意識の流れに逆行するかのような筆致には何時も、どうしてこのような苦境にあってもその苦境「そのもの」を十全に表現為された言葉を導き出せるのか。 感心致しますと共に、畏敬の念を懐いております。 勝者(誰でしょう。)の文脈に乗らず。 敗者の視点を保ち続けていらっしゃられるのは、多分、俳諧、と謂う本邦の詩文学の真髄に通底していらっしゃられるからであると、思われます。 下記より、言語に付帯する心象に附きまして分析し、解説をさせて頂きたいと存じ上げます。 作中、 「老人が犬を洗う」 というセンテンスがございます。 上記より 「老人」を抜粋致しまして、説明を致したく存じます。 「老人」と謂う一語に於きまして 西洋流の価値観、宗教観より、 象徴、或は隠喩を汲み取ります事も出来ましょう。 老人の正の価値(知性、経験等) 老人の負の価値(脆弱、衰微等) これ等正負の価値は、「犬」や「洗う」にも適用出来得る心象であることと、存じます。 此処で、私達は「価値観の主観的客観眼、或は意義の監視人」の存在に気付く事が出来得るかとも、思われます。 それは、誰でもない私達自身のみが共有する筈の、多数が決めた筈の。価値の物差なのですが。 (何者かが異物、例えば砂糖でも混入せしめない限りに於いては。) 此処で登壇致しますのが、われらがベルトルト・ブレヒト先生でございます。 本掲示板の流れを追っていらっしゃるお方には、説明するまでもございませんが。 異化効果とは、真に、「老人」は「老人」という表記の、意味極の範疇に止まる物なのか、遡及し、改めて問い質そう、と謂う姿勢であると言って仕舞えば解り易いかと存じます。 彼、ブレヒトは「意義の監視人」に石を投げます。本当に「それ」に遵っていていいのですか、と。 演劇に拠って演劇の劇化作用を無碍にする試み、それは劇のみならず表現、言語の普遍へと通底する言及であったと、理解を致して居ります。 異化効果を言語表現に慣用致しましたなら、 「老人」への正負の方向に固定した価値観を払拭致します事ができますでしょう。 而して、然様な視点は元来のわれわれの、個々人の洞察眼が追求をこころみて来、行く筈の事物そのものへ衝迫する視点が具有していたものでございましょう。 その、世界を再把握する手段の最たる例が、本邦に於いては俳諧であったのではないかと。私は思います次第でございます。 冗長な向きも大いにございましょうが。上記を以て拙い解説を終らせて頂きたく存じ上げます。 言葉の横溢する、オンライン空間ではございますが。 言葉で言葉を観察するのではなく。現象そのものを観察致したく、つくづく思いつつも、結びとさせていただきます。 一期一会。
一期一会「ディストピアにあっても」評。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 543.8
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作成日時 2023-03-18
コメント日時 2023-03-18