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ひどいことをしました(フォーラム的投稿)
先日、私は大きな過ちを犯しました。 不治の病と戦っている方の投稿した詩に、そうとは知らず、ひどくキツい批判のコメントを送ってしまいました。 投稿された詩だけでなく、自己PRが前面に出たその方の姿勢まで批判しました。 返信が届いて、その方が死の病に罹っていて、もうあまり時間が残されていないことを知り、驚いて慌てて謝罪の返信を送りました。 でも、「私の思慮不足でした。申し訳ございませんでした。」と、それ以上の言葉は出てきませんでした。 コメントを送った直後は、少しキツ過ぎたかな、と思いましたが、少しどころの話ではありません。キツい批判でも後々のためになるのなら、と思って書いたのに、その「後々」がその方にはないのですから、その方にとってはただの誹謗でしかなかったことでしょう。 自己PRが前面に出ていたのも、残された短い時間を有効に使おうと必死だったのだと思います。 ひどいことをしてしまいました。 詩を書く人々には様々な事情があり、その中には、大切な人をなくしたばかりの方や、重い病と戦っている方もいる、ということはわかっているつもりでした。でも、本当にわかってはいませんでした。 詩を読む、そして評するとはどういうことなのでしょう。 作者の背後にある様々な事情を考慮して読むことと、純粋に一つの作品自体に焦点をあてて読むこととは、やはり違うように思えます。 でも、作者の事情を全く考慮せず、それを無視していいとも思えません。 どこまで考慮すればいいのでしょう。 どこでバランスをとればいいのでしょう。 個々の事情がなかなか見えない中で、何を拠り所にすればいいのでしょう。 また、以前読んだ「読書セラピー」という本の中に、詩のセラピー効果は作品としての完成度とはあまり関係ない、といった意味のことが書いてありました。そのことも何か関係あるのかもしれません。 何を以ていい詩というのでしょう。 皆さんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。 なぜあんなコメントを書いたのか。 今では悔やむばかりです。 本当にひどいことをしてしまいました。 安易に他人を批判することの愚かさを知りました。
ひどいことをしました(フォーラム的投稿) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1311.7
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-03-08
コメント日時 2023-03-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
その方を考えて、詩を書いてみたらどうですか? 色々な感情を盛り込んで。
2詩の出来、上下でいうところの技巧、詩の構造や扱っている内容、テクニック、洗練、などで批評するよりも、詩の持つ心根を重んじて私は感想を言って、いいところを誉め、どしても悪いところは少したしなめる、そんな感じにしています。人を大切にするならある程度は能力よりも心根を批評するほうが人生に道徳があって人にも希望があるからです。能力の部分も詩作では大切なのも事実なのでそこも無視はできませんがそこを重心にすると辛口や毒舌になりがちなので気を付けます。人を大切にし、人が良く生きることの価値に寄り添うのが詩という高級な人間性を表す文芸だからです。と私は信じています。
3ご返信ありがとうございます。 今はまだ気分が落ち込んでいるので無理ですが、いずれ考えてみます。
1ありがとうございます。 命っていうものは、何よりも大切ですからね。
1テクスト論の問題ですね。 結論から申しますと、自身は、ダメなものはダメと仰って頂きました方が、嬉しく感ぜられます。 明日死すると致しましても、向上の余地は僅かでも残っております訳でございますから。 只、自身の批評(或は作品)が誰かの頸を締める可能性への覚悟は、常に意識せねばならない、とも改めて考えて居ります。 而して。表面上の体裁を取り繕いました対話ばかりが飛び交う場所も、どこかしら不健全且つ、発展の芽のありうるか、とも思われますので。 調度良い緊張感を以て参加なされるのが、よろしいのではと。 以上、及ばずながら、発言をさせて頂きました。
1私個人的には、ここに作品を投稿する以上、本当に作品のことを思って書いたコメント等は受け入れるべきだと思うし、私だったら、例え、死しか待ってない状況でも、m.tasakiさんの真摯なアドバイスに対して、自分が死ぬ病気である、とはレスしないですね。だって、レスで書いてしまったら、あまりにも何もかも明らかになりすぎて、せっかくの作品が台無しになる気がするんです。本当にその自分と想いや状況や背景を作品に込めているのなら、わざわざレスで書く必要はないと思うからです。2回目ですが個人的意見です。
3コメントをありがとうございます。 「能力の部分も詩作では大切なのも事実なのでそこも無視はできませんがそこを重心にすると辛口や毒舌になりがちなので気を付けます。」 まさに仰るとおりですね。 そのような湖湖さんのご意見を、もっと早くから知っておきたかったです。 (後悔先に立たずですが・・・)
0コメントをありがとうございます。 「自身の批評(或は作品)が誰かの頸を締める可能性への覚悟は、常に意識せねばならない」 肝に銘じておこうと思います。 他人の作品を評することの重さを、改めて感じております。
1コメントをありがとうございます。 「公約数的な敬意」という言葉には考えさせられます。 少なくともそのような敬意を保つためには、偏った思い込みを廃するような思慮深さが必要になると思います。 常に己の心を点検していなければならない、そんな厳しさを伴うもののように感じます。
1コメントをありがとうございます。 つつみさんのコメントへの返信については、正直なところ少々悩みました。 私が批判した詩には、その方の置かれている状況や背景が込められていました。 でも、あのときの私は表現方法や技巧的な点ばかりに目がいって、込められていた背景を読みとれていませんでした。 私のコメントへの返信を見てはじめて、「ああ、そういうことだったのか」と気づいた始末です。 今回のことを通して、私は自分に、他人の詩にコメントしたり評したりするに足るだけの力量があるのか、その資格があるのか、もう一度己を見つめ直す必要性を感じました。 以前、私のコメントを面白いと仰っていただいて、とても嬉しかったので、つつみさんにはたいへん申し訳ないのですが、投稿された詩にコメントするのはしばらくの間控えさせていただこうと思っています。 本当に詩を読むということは、詩を書くことよりもずっと難しいことなのかもしれません。
0近年人殺しの言葉が 禁じられてる 言葉なんか 信じていないと そういう厨二的な ニヒリズム的な ことを 三浦は日頃から 云うてるんですけど 表裏な意味合いで 言葉なんて どんな扱いをしても 暴力だと 思っている ネット詩では わかってくれよオレのことを的な人間ほど、気持ちの悪い長文のコメントを書いていて。そういう暴力は無自覚なだけにタチが悪い。 若者や 可愛い女子 あるいは母性溢れた おばさんは許せる どんなことを どんなふうに書いても 美しい ところがおじさんは 本当にダメだ。 お前、 そんなに言い訳をして 見苦しいと思わないのか? 黙れよ。 黙っているという 人間が為せる一番の知性を って、そうおもうんだ もちろん おれもだよね きっとおじさんは 詩を書くことの目的が 何かちがうところに あるんだろうね まあ 生きようやおっちゃん いろいろ言っちゃったけど 生きよう お前の言葉は 美しい
2コメントをありがとうございます。 全く落ち度はないと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 模範的とも仰っていただいて、恐縮しております。 でも今はまだ、どうしたら書き手の心情をもっとうまく汲み取れるか、ということをよくよく考えてみようと思っています。 また、間が悪いなんてことはありません。 ありがたくコメントを読ませていただきました。
0コメントをありがとうございます。 全く落ち度はないと仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 模範的とも仰っていただいて、恐縮しております。 でも今はまだ、どうしたら書き手の心情をもっとうまく汲み取れるか、ということをよくよく考えてみようと思っています。 また、間が悪いなんてことはありません。 ありがたくコメントを読ませていただきました。 (宛先を間違えてしまい、返信がダブってしまいました。申し訳ありません。)
1コメントをありがとうございます。 「言葉なんて どんな扱いをしても 暴力だと 思っている」 「そんなに言い訳をして 見苦しいと思わないのか?」 耳が痛いです。 胸も痛いです。
0ご指摘ありがとうございました。 ほっとしました。
0みんなのコメントを読んでやっとこれを詩として読んではいけないものだとわかったんだけど、何とかしてほしい。メタ詩も増えてきた昨今「フォーラム的投稿」というのを素直に受け取っていいのかそれともネタなのか、まあ素直に受け取ったパターンでコメントすると、批判内容は厳しくても真摯にコメントしたのであれば後悔したらその人には失礼かもしれませんね。別に筆を折るわけではない、まだギリギリにもうひと花咲かせられるかもしれない。真っ直ぐぶつかってあげましょうよ、と私だったら思うのですが。 いやそれより何でみんなこれをネタかもしれないと思わないのか、不思議。私の心が汚れているからかもしれない。
1コメントをありがとうございます。 紛らわしく思わせてしまい申し訳ありませんでした。 これはネタではなく事実です。 私のマイページのコメント欄を遡っていただければ確認できます。(恥ずかしいのであまり読まれたくはないのですが) 以前フォーラム欄に、荒らし行為が相次いだので今後フォーラムは管理者からの連絡のみとし、フォーラムに載せたいことがあったら自分の投稿枠を使って掲示板に投稿してください、ということが書かれていましたので、このような投稿をしました。 おそらくは、その際の表題のルールを明確に決める必要があるかもしれません。 「批判内容は厳しくても真摯にコメントしたのであれば後悔したらその人には失礼かもしれませんね。」 確かにそうかもしれませんね。ただ、文体や口調には今後気をつけようと思います。
1こんにちは。 以前おすすめされた詩を、書いてみした。(あまりいい出来ではありませんが・・・)
0懺悔します。私もSNSで、筆者様と全く同じ事をしたことが有ります。 罪悪感に苛まれておりましたが、コメント欄を読んで、少し気が楽になりました。 筆者様がこの様な作品を投稿してくれた事に、誠に勝手ながら感謝致します。 ありがとう。
1コメントをありがとうございます。 他人を安易に批判すると、結局自分に返ってくるものですね。 人にはそれぞれ事情があるのに、それへの想像力が不足していると、こういうことになるのだと思いました。 詩を書いていながら、想像力が欠如していたとは、何ともお恥ずかしいかぎりです。
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